19世紀末から20世紀初頭にかけて黄金期を迎えた近代ヨーロッパのガラス工芸。第1章ではその中から、1878年と1889年のパリ万国博覧会に出品された作品を紹介します。
産業革命が浸透し、資本主義が発展した19世紀後半、陶磁器やガラス製品など高級工芸品の市場は活況を呈していました。とりわけ科学と技術の進歩で大量生産が可能となったガラスは日常生活に広く浸透し、建築、室内装飾、照明器具など次々と新しい用途に活用されていきました。それらは1851年のロンドンを皮切りに、パリ、ウィーン、シカゴなど大都市で開催された万国博覧会の会場で脚光をあびることとなりました。
ここで紹介する「スティーグリッツ男爵中央工芸デザイン学校※2」のために1878年と1898年のパリ万国博覧会を機に購入されたガラス作品は、異文化圏からの影響を積極的に受け入れ、特殊な技法に挑戦した意欲作で、ヨーロッパのガラス工芸界に新たな方向性を示し、アール・ヌーヴォーのさきがけのひとつとなりました。

※21881年サンクトペテルブルクにスティーグリッツ男爵の後援で設立された美術館併設のデザイン学校



 エルミタージュ美術館には初期から晩年にわたるガレの秀作が多く収蔵されており、フランスとロシアの友好関係の下で当時ロシアに渡った作品を通し、ガレの軌跡を辿ることができます。

 ガラス、陶器、木工家具の3つの分野で活躍したガレは、1889年のパリ万国博覧会に、自然の造形を取り入れた新しいスタイルの家具やガラス器を発表し、国際的な評価を得、1900年のパリ万国博覧会でもガラスと家具の2つの分野に出品し、グランプリを受賞。アール・ヌーヴォーを代表する作家となりました。
 ガラス器の製造販売業を営む父を持つガレの故郷、フランス東部ロレーヌ地方の首都ナンシーは、その豊かな資源から常に隣国ドイツとの紛争の火種であり、その大半を占領されていました。ロレーヌの人々はドイツに対抗するロシアとの同盟に強い期待を寄せていました。テーブル《フロール・ド・ロレーヌ》(ロレーヌの植物)は、1893年にロシア艦隊がフランスを訪れた際に贈られた豪華装丁本『ロレーヌの黄金の書』を置く台として、ガレに制作が依頼され、黄金の書とともにロシア皇帝アレクサンドル3世(在位1881-1894)に捧げられたものです。寄木細工で天板いっぱいにアザミの花やエピーヌ(イバラ)など故郷の草花を表現し、そこに町や村の名前を忍ばせて、祖国奪還への思いを託しました。

 また、南国の蘭を彫りこんだガラス器《蘭文蓋付壷》一対は、皇帝ニコライ2世夫妻が1896年にパリを訪れた際に、パリ市から皇后アレクサンドラに贈られた献上品でした。 
 さらに、1902年にフランス大統領エミール・ルベがサンクトペテルブルクを訪問した際には、花器の大作《トケイソウ》を含むガレのガラス器12点が、皇帝一族と側近たちへの贈物として持参されました。
 これら国家間の外交上の贈物は、当時の人々のガレに対する高い評価を物語っています。


 
  エルミタージュ美術館には、同時代に渡った作品のほかに、その後新規に購入された歿後の作品も所蔵されています。第2部では、ガレの産業芸術家としての側面と、1904年に歿した後も1936年まで存続したガレ社の歴史を物語る作品を紹介します。
 ガレ社の製品は、制作に要する手間と難易度に応じて、高級品、中級品、普及品にランク分けされ、博覧会やサロンへの出品作品あるいは特別注文で制作された特上品がその頂点にありました。
 一方でガレは工場経営者として、また産業人として一般向けの良質なガラス製品の量産に取り組み、「万人のための芸術」というユートピアを目指した産業芸術家でもありました。

 1904年にエミール・ガレが歿した後、ガレ社は妻のアンリエット(1845-1914)、そして娘婿のポール・ペルドリゼ(1870-1938)に引き継がれ、手間のかかる高級品の製造は放棄され、カメオ・ガラスの量産は一時拡大しましたが、世界大恐慌の影響で、1931年に窯の火は落とされ、1936年にはすべての活動が停止しました。


 
  ガレとともにアール・ヌーヴォー期に国際的な脚光をあびたドーム兄弟の一家は普仏戦争の敗北のため、アルザス地方のビッシュからナンシーに逃れてきました。ナンシーには、中世からのガラス産地として知られていたアルザス・ロレーヌの占領地から逃げてきたガラス職人たちがいくつもの工房を築いていました。やがてそのガラス工房の経営を兄のオーギュスト(1853-1909)、芸術監督を弟のアントナン(1864-1930)が務め、新しい時代の幕開けとなりました。

 ドームの特徴は、ナンシー派独特の自然の観察に基づいた花の装飾にあります。アンリ・ベルジュ率いるデザイン室のメンバーたちは植物園に通い、写生を繰り返しました。
 国際的な園芸都市でもあったナンシーで、ドームの作品にはロレーヌの草花や、新種の園芸品種、珍しい外国の温室植物 などが取り上げられ、またロレーヌの野原や森、四季の移ろいや夕暮れのノスタルジーなども大きな魅力です。
 ガレ社とは違い、兄弟の共同経営の下、複数のアーティストの個性を統括していくドームは、20世紀の戦前戦後の激動を 乗り越えて現在に至っています。


 
 自然界の造形に着想を得たアール・ヌーヴォーはガレの時代に頂点を迎えましたが、1904年ガレの他界を境に、1910年にかけて急速に衰退していき、新しい流行が芽生え始めました。
 19世紀後半に発展した産業の機械化は、20世紀に入り交通、通信の分野で目覚しい進歩を遂げ人々の生活を変えました。機械文明を称える新しいスタイルが生み出され、ルネ・ラリック(1860-1945)ら、新時代のガラス工芸家たちが登場しました。彼らはそれまでのガラスの特性をくつがえし、1925年にパリで開催された「現代装飾美術産業美術国際博覧会」(通称アール・デコ博覧会)で国際的な成功を収めました。
 第一次世界大戦(1914-1918)は、ヨーロッパの歴史に大きな転換をもたらしました。ロシアでは1917年に社会主義革命が起こり、皇帝ニコライ2世一家が処刑され、帝政に終わりを告げました。
 アルザス・ロレーヌ地方はフランスの勝利と共に、祖国に戻り、歴史は新たなページへと移行していきました。

(C)Texts, photos, The State-Hermitage Museum, St.Petersburg, 2006
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