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展覧会紹介
コラム
ジョン・エヴァレット・ミレイ展
コラム
ジョン・エヴァレット・ミレイ
1829年イングランド南部のジャージー島に生まれ、1840年、史上最年少の11歳でロイヤル・アカデミー(王立美術学校)に入学した。1848年秋、ハント、ロセッティらと「ラファエル前派兄弟団」を結成、革新的芸術運動の中心的役割を担い注目を浴びる。67歳で亡くなるまで、唯美主義的作品、子どもを主題とした作品、肖像画、風景画など、新たな技法を探求しながら幅広いジャンルの作品を手がけ、当時のヨーロッパで大人気画家の地位を獲得した。1885年准男爵に叙せられ、1896年ロイヤル・アカデミー会長に選出された。同年、ケンジントンのパレス・ゲイトで没。
Column1 オフィーリア
情に棹させば流されるミレイの世界に流される
ミレイの名作《オフィーリア》は、シェークスピアの戯曲『ハムレット』に登場する悲劇の女性の死に至る姿を描いた作品。恋人ハムレットに自らの父を誤って殺されたがために気が触れてしまったオフィーリアは、花環を作り、水辺の枝にかけようとしたところ、足元の枝が折れて水に落ちてしまう。迫る死も介さず、祈りの歌を口ずさみながら流されていくうちに、水を吸ったドレスの重みで沈んでいく―。これは死の寸前の、恍惚状態の女性の姿なのである。
 この作品があまりに有名なため、オフィーリア図の定番のようになっているが、シェークスピア文学の19世紀における再評価の中で描かれた作品としてはむしろ稀有な場面であった。自分にとってさえロマンチックな時代劇にリアリティをもたせようとしたミレイは、物語の背景を「現代」のイギリスの田園に想定した。しかも彼は、それを川辺で直接描くという手法をとり、細部に至るまで克明に描写したのである。それにより、物語はぐっと現実味を帯びることとなった。描かれた植物も、全てどんな種類か突き止めることができる。そしてそれは、自然を愛し、園芸を最高の趣味とするこの国の人々の心を掴むことになったのである。画面に展開するのは「イングリッシュ・ガーデン」とも言うべき美しい自然の中に完全に融けこんだオフィーリアの恍惚。それは極めてイギリス的である。
 やがて死に至る美少女の姿は、現在の日本人にも大きな感動を与える。しかし私たちの前にその感動を味わった先人がいた。夏目漱石である。彼はロンドン滞在中の一九〇一年、テイト・ギャラリーでこの作品に出会っている。そして小説『草枕』(1906)の主人公にそれを語らせる。小説は、俗世から離れようと山中の温泉宿にたどり着く青年画家の話。宿には、美しいが気が触れていると言われた未亡人がいた。画家はミレイのオフィーリアを参考に、この不思議な女性の絵を描くことを考える。
 「余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、・・・」。
 流石江戸っ子の文豪、「土左衛門は風流である」とまで言わしめるのである。
Column2 ファンシー・ピクチャー
子供の輝く瞳の中に この画家の実力を見た
英国絵画にはファンシー・ピクチャーと呼ばれる分野がある。子供に愛くるしい衣装を着せ、愛くるしいポーズで捉えたスウィートで可愛らしい作品群である。ファンシー・ピクチャーは18世紀後半に流行ったが、19世紀後半のヴィクトリア朝でその伝統を復活させたのがミレイであり、《オフィーリア》を描いたラファエル前派の画家はこの分野の第一人者でもあり、上流階級の肖像画と並んで、円熟期のミレイに大きな名声をもたらした。
 《初めての説教》は、ミレイがファンシー・ピクチャーの世界に手を染めた最初の作品。モデルを務めたのは長女のエフィーで、5歳のときである。ミレイには8人もの子供がいたのでモデルには事欠かなかった。実際、この作品に限らずミレイは息子も娘も多くの作品に登場させている。とはいえ、可愛い盛りの自分の子の姿をあとあとまで留めておきたいと願うのはいつの時代も同じこと。現代ならさしずめ、七五三を祝う様子をDVDに録画する親たちといったところだろう。
 とくにこの作品における少女の可愛らしさは格別である。日本語のタイトルには反映されていないが、原題には「私の」、というか「あたしの」となっており、幼い少女自身が可愛らしい声で言っているような感じをあたえるのである。また翌年描かれた《二度目の説教》も、「あたしの」であり、その正直さは感動ものである。
 これらの作品をきっかけに、ミレイを中心にファンシー・ピクチャーは万人向きの当たり障りのない美術品として、豊かな中産階級の層の厚い当時の英国社会で大いにもてはやされ、これら二点も、作者自身によって多くの複製が作られるほどだったのである。
 たしかに少女像は当時大いに流行っていた。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が出版され一世を風靡したのも同じ一八六〇年代の英国である。もっとも、キャロルの場合はロリコン的なところがあったにしても、こうしたブームには、大人の現実世界から逃れたいという、逃避的なところがあったのかもしれない。しかしながらミレイの場合、子供たちをファンシーな世界の住人に仕立てることができたのは、やはりその卓越した描写力であり、それが今日の私たちをも感動させるのである。

Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男


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