建国300年 ヨーロッパの宝石箱リヒテンシュタイン 侯爵家の至宝展

Liechtensteinリヒテンシュタイン侯国とは

現在世界で唯一、家名が国名になっているリヒテンシュタイン侯国は、今年建国300年を迎え、かつて神聖ローマ皇帝に仕えたリヒテンシュタイン侯爵家が統治しています。アルプスに抱かれた小さな国土にはライン川が流れ、大都市の喧騒とは無縁な穏やかな時間が流れています。この国は現在金融業などが盛んで、小さいながら世界屈指の豊かさを誇りますが、昔から侯爵家は代々領地経営に成功して富をたくわえ、皇帝にも貸し付けを行うほどでした。その富を背景として積極的に収集した美術作品により、現在のコレクションが形成されていったのです。

ファドゥーツ城
ファドゥーツ城
ファドゥーツ城

リヒテンシュタイン家が歩んできた歴史

ウィーンの南方にある侯爵家と同じ名を持つ古城は、12世紀の古くからリヒテンシュタイン家の所有となっていて、いかにこの家系が長い歴史を持っているかがわかります。歴代の当主は早くからオーストリアを統治していたハプスブルク家に仕え、その傍ら豊富な財源で領地を購入し、支配地を拡大していきました。

侯爵の地位を獲得したのは1608年、カール1世侯(1569-1627)のときでした。当時の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の下で顧問官などの要職を歴任していた彼は、ルドルフの収集癖に影響を受けたと考えられています。カール1世以降、歴代の侯爵と美術品収集は切っても切れない関係になったのです。

そしてアントン・フロリアン侯(1656-1721)の代に神聖ローマ皇帝カール6世の承認のもと、当時所有していた領地を統合することにより、1719年についにリヒテンシュタイン侯国が成立しました。

ファドゥーツを中心とした現在のリヒテンシュタイン侯国の姿は、1938年にフランツ・ヨーゼフ2世侯(1906-1989)がウィーンから移住してきて以降のものです。戦争とその後の混乱で広大な領地は失ってしまいましたが、リヒテンシュタイン侯国は新たな形で存在感を発揮しているのです。

ウィーン「都市宮殿」内部
ウィーン「都市宮殿」内部

「侯爵」ってどんな暮らしをしているの?

リヒテンシュタイン侯爵家は、基本的には拡大した領地の経営を成功させることにより収益を得、それにより豊かな暮らしを築き上げました。第2次世界大戦に際して領地を失い財政難に陥りましたが、戦前から開始していた銀行業に励んだり、税制上の優遇によって企業を誘致したりと、現代的な手法で再び豊かさを取り戻すことに成功しています。

そんな貴族の多忙な日常には、芸術作品が今も昔も欠かせませんでした。こうした仕事の疲れを癒してくれる美しい絵画や磁器、食事の時間に華やかな彩りを添える食器類もまた、過去の侯爵にも現代の侯爵にも重要なものだったのです。

展覧会の第1章では、侯爵家の人々の肖像画と、貴族生活の雰囲気をよく表した絵画を紹介しています。

ウィーン「夏の離宮」内部
ウィーン「夏の離宮」内部
ウィーン「都市宮殿」内部
ウィーン「都市宮殿」内部

「侯爵」とは

ヨーロッパに現在でも残る「爵位制度」。「公爵」や「伯爵」など、どこかで耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

そうした爵位の中に、リヒテンシュタイン家が代々継承する「侯爵」も含まれています。爵位には時代や場所によって様々な種類や序列がありますが、侯爵は常に高い地位であり続けました。

1608年にリヒテンシュタイン家のカール1世は侯爵の地位を授与され、その領地は1719年に侯国として成立しました。以来300年間、同家は爵位と領地を守り続けてきたのです。

ウィーン「夏の離宮」内部
ウィーン「夏の離宮」内部

All photos: © LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna