国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア

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2018.11.29 UP

【レポート】展覧会初日・トレチャコフ美術館キュレーターによる講演会

11月23日より、展覧会『ロマンティック・ロシア』が始まりました! モスクワにある国立トレチャコフ美術館の近代絵画コレクション72点の中に、ロマンあふれるロシアの美を探る展覧会です。本展の開催にあたり、国立トレチャコフ美術館キュレーター、ガリーナ・チュラクさんによる記念講演会が行われましたので、その様子をダイジェストでご紹介します。

 

ロシアの原風景

 

まずスクリーンに映しだされたのは、ロシアの風景画の第一人者、イワン・シーシキンの《正午、モスクワ郊外》。ライ麦畑の広がる大地を、農作業帰りの農民たちがのんびりと歩いている本作は、画面の半分以上が空という大胆な画面構成に驚かされます。しかしチュラクさんは、この光景こそ、ロシアの原風景であると話されました。

イワン・シーシキン《正午、モスクワ郊外》1869年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

「ロシア人は、生まれてからずっと、この絵のように、頭上には高い空を、足元にはどこまでも広がる大地を感じて生きてきました。ロシア人にとって、ここに描かれた自然こそ“私たちの「祖国」”にぴったりのイメージなのです。ロシア人の国民性は、こうした風土の中でかたち作られたと言っても過言ではないでしょう。その意味で、展覧会の第一章、風景画のセクションは、大変重要な位置づけとなっています。」

 

ロシアの四季を感じて

 

「まずロシア人が待ち望んでいた芽吹きの時。ロシアでは春になると雪解け水で川があふれ、洪水が起こります。そんな春の洪水の様子を描いたのが、レヴィタンの《春、大水》です。水の中で、細いけれどもしっかりと立つ白樺の木、そして水面に映るその影が美しいハーモニーを奏でています。チャイコフスキーのピアノ小品集『四季』が聞こえてくるような作品です。

イサーク・レヴィタン《春、大水》1897年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

冒頭にご紹介したシーシキンは、“森の王”“ロシアの森の歌い手”と言われるほど、森を描いた画家でした。ロシアの美術関係者なら“シーシキン”という名前を聞いたとたん、実際に絵を観なくても頭の中に素晴らしい森の情景が浮かんでくるといいます。そんな彼が、静かな森の中を散歩する人々を描いた作品が《森の散歩》。先頭の男女は、シーシキン本人と若妻と言われています。ロシア人が言うところの“美しい夏”は、愛を語る季節でもあるんですね。

イワン・シーシキン《森の散歩》1869年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

同じ夏でも、そろそろ秋を目の前にした、雨の降る森を描いているのが《雨の樫林》。こちらもシーシキンの代表作ですが、夏が終わってしまうというもの思いに沈む季節の、少し霞がかかった森の風景です」

イワン・シーシキン《雨の樫林》1891年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

そしてロシアに“黄金の秋”がやってきます。日本の秋は、紅葉が赤く染まりますが、ロシアの秋を彩るのは、白樺の黄色ということです。

グリゴーリー・ミャソエードフ《秋の朝》1893年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

「“黄金の秋”はロシア人が大好きな季節。画家たちも白樺が金色に輝く秋の風景をよく描きました。ミャソエードフの《秋の朝》も、枯れていく自然の美しさを華麗に描いた作品です。

 

この短い秋が過ぎると、いよいよ冬将軍がやってきます。ロシアでは、突然森が霜に覆われて、小枝のひとつひとつが音をたてて凍るという現象が起こるんですよ。そんな神秘的な風景を描いているのがバクシェーエフの《樹氷》などの作品です。

ワシーリー・バクシェーエフ《樹氷》1900年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

また冬のセクションでは、有名なロシア民話の主人公で、春になると溶けてしまう少女を描いたワスネツォフの《雪娘》や、冬の草原をソリを引いた馬たちが疾走するサモーキシュの《トロイカ》など、ロシア人の冬の生活を彷彿とさせる作品も紹介されているので、ぜひご堪能ください」

 

トレチャコフと肖像画

 

そのほか会場では、モスクワやサンクトペテルブルクなどの都市の風景、また街や田舎で暮らす人々の悲喜こもごも、そして愛らしい子供たちの世界など、当時のロシアの様々な面を観ることができます。そのなかでも肖像画は、国立トレチャコフ美術館にとって特別なジャンルだと、チュラクさんは言います。

 

「トレチャコフ美術館の創業者であるパーヴェル・トレチャコフは、様々なジャンルの絵を各方面から集めました。肖像画の収集にも熱心で、彼は優れた作曲家や音楽家、俳優など、ロシアの文化芸術を支えた人々の肖像画を描かせたり、購入したりしています。

 

本展でも、男女ともに肖像画が展示されていますが、とくにロシアでは、文学でも絵画でも、女性は外見の美しさだけでなく、心が清らかで豊かであってこそ理想とされましたので、そのように表現されています。たとえばマカーロフの《アレクサンドラ・チェリーシェワ、旧姓ヴェリーギナの肖像》は、貴族の妻を描いた作品ですが、ドレスや宝飾品などで物質的な豊かさを誇示するのではなく、彼女の心の美しさが全面に出るように描かれています」

イワン・マカーロフ《アレクサンドラ・チェリーシェワ、旧姓ヴェリーギナの肖像》1865年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

《忘れえぬ女(ひと)》

 

では、本展で一番人気の高い女性像《忘れえぬ女(ひと)》で、作者のクラムスコイは何を描こうとしたのでしょう?

イワン・クラムスコイ《忘れえぬ女(ひと)》1883年 油彩・キャンヴァス ©The State Tretyakov Gallery

 

「まず、モデルは誰か? ということですよね。そのナゾの解明には100年以上に渡って、様々な人が挑戦してきました。トルストイの小説の主人公アンナ・カレーニナという人もいれば、アレクサンドル・ブロークの詩に登場する“見知らぬ女”ではないかと考える人もいますが、未だにこのナゾは解けていません。

 

見下すような眼でこちらを見つめるこの美しい女性は、幌を上げた馬車に乗っています。当時、サンクトペテルブルクでは、女性が屋根のかからない馬車に1人で乗り、ネフスキー大通りを行くなんて、とてもお行儀の悪いことでした。彼女が誰なのかはわかりませんが、少なくとも、社会で当たり前とされていることを受け入れず、自分の行動、その眼差しや挑発的な態度によって、自由に生きていくことを表明している女性であるということは確かでしょう。

 

ロシアの文豪ドストエフスキーは、自分は作家として、生涯をかけて人間の神秘を解き明かす、と言っています。本展のタイトル『ロマンティック・ロシア』にある“ロマン”という言葉には、心が暖かくなるもの、高まる気持ち、そして愛といった意味のほか、ドストエフスキーが言うところの“神秘”も含まれていることでしょう。日本の皆様には、ぜひこの展覧会で、ロシアという国の神秘に迫っていただきたいと思います」

 

(取材/構成:木谷節子)