春だ!ブンカチャージ

ブンカチャージ

特別インタビュー

篠崎史紀
(NHK交響楽団 第1コンサートマスター)

NHK交響楽団(N響)の第1コンサートマスターを務め、“まろ”の愛称でも親しまれている篠崎史紀さんに、オーチャードホールで20年以上に渡って開催されてきた『N響オーチャード定期シリーズ』について、さらにホールで聴くクラシック音楽の魅力について語っていただきました。

『N響オーチャード定期シリーズ』について

新しい化学反応が楽しめるオーチャードホールならではのプログラム

1998年からN響がオーチャードホールで開始した演奏会は、今や20年以上の歴史を持つ伝統あるシリーズ公演の一つですが、その魅力はキャスティングにあります。キャスティングという言葉はクラシック音楽らしくないかもしれないけど、どんな指揮者やソリストが来るかということ。そしてもう一つの魅力は、演目の面白さ。集まった人と楽曲によって新しい化学反応が起こり、期待とワクワク度を感じさせる演奏会が『N響オーチャード定期』だと思っています。

N響のメインホールであるNHKホールでの公演と、オーチャードホールでの公演はやっぱり違うもの。それぞれ場所が近いのに、同じものを提示していたら意味がありませんからね。これまでNHKホールの定期公演では新たなものを提示しながら時代と歴史をつないできましたが、それと同じものではなく、その場で新しい化学反応や未来を見せるのが『N響オーチャード定期』です。

そうした意味でも、これまでの『N響オーチャード定期』で思い出に残っているのは、普通の演奏会ではやらないようなプログラムです。例えば、ヴォルフガング・サヴァリッシュの指揮でシューマンの「4つのホルンのためのコンツェルトシュテュック」を演奏したことがありますが、普通はやろうと思ってもなかなか出来ないプログラムで、僕たちにとって非常にフレッシュな体験でした。楽員やオーケストラのスキルを表に大きく出し、名曲だけどなかなか演奏されることがなく、そしてその曲の表現力が素晴らしいと言われている指揮者が演奏する──そんな時空を越えたものまでも感じさせるカップリングの公演が今も印象に残っていますね。

今この瞬間にできる演奏の積み重ねが未来へとつながる

演奏会で最初に考えなければいけないのはプログラムだけど、オーチャードホールでの演奏会はN響がやりたいことだけではなく、オーチャードホールの多くの方たちが企画を練り、未来につなげるための演奏会を考えています。ここがすごく大事で、演奏会を単に人気と数字で測るイベントとしてとらえていたら、おそらくこんなに長い間続かなかったでしょう。N響ができること、オーチャードホールができること、そしてスタッフが考えた未来に対する思い。この3つが融合されないと『N響オーチャード定期』は出来上がらないし、これがあるからどの演目を聴いても面白い。演奏会へ来た方には、その中に込められたメッセージをどこかで受け取ってもらえると嬉しいですね。

演奏において僕たちは偉大な作曲家に対して敬意を表し、その時に集まった演奏家たちでできる最高のものを、今の時代でこの瞬間にできることを提示しています。それをずっとつないでいくことによって長い線が出来上がる──これが『N響オーチャード定期』の一番すごいところ。僕たちはこのシリーズをこれから先もずっと続けていきたいと思っています。

ホールで聴くこと、クラシック音楽の魅力について

「聴く」ための行動も含めてすべての体験が心の栄養になる

クラシック音楽において演奏というのはほんの一瞬の一箇所にすぎず、そこに到達するまでには様々な感情や考え方がたくさん詰まっています。作曲家がその一曲を作るためにいろんなことを感じたり、考えたり、それらがひとつの山になった頂点を演奏として聴くわけですが、この頂点までの道のりすべてを感じることが、クラシック音楽の一番面白いところ。そして、同じ楽曲を同じ譜面を見ながら何万回と演奏できる再生能力の強さが人間の何かを刺激し、だからこそ時代が違っても多くの人が求めるのだと思います。

そんなクラシック音楽をオーケストラの生演奏で聴く魅力。それは実際にホールに来てみないと分かりません。例えば、楽器の音が鳴った瞬間に波動が起こって空気がものすごく振動するのですが、これを感じられるのはホールだけ。また、今はテレビやパソコン、それにスマートフォンやCDとどこでも音楽を聴いたり見たりできるけど、それらはあくまでもその場のちょっと瞬間的な刺激でしかありません。一方、会場に演奏会を聴きに行くためには、様々なセレモニーが必要となります。チケットを買ったり、ホールまで歩いて行ったり、たまたま周りにいた人と会釈したり。こうした出会いやセレモニーが自分の中の人生の記憶になっていき、さらに会場で生演奏を聴くことによってその大きな波動を自分で感じることができる。これが心の栄養になるんです。

人間が何か物事を得る時というのは、自らリアクションをし、そこで感じたものを吸収することが大事だと思っています。例えば、ボタンひとつでCDを聴くことは、何を聴いても同じ行為ですよね。また、スマートフォンを使えばいろいろな情報を手早く探したり知ったりできるけど、その情報が消えるスピードも速くないですか? 一瞬で得たものの多くはその場しのぎで、一瞬に消えていくのです。逆に、コンサート会場での体験は、多くのものが自分の中に絡んできます。朝起きて何を着るか、出かけてどこを歩いたか、電車でどこに誰がいたか、会場に入ってこんな人がチケットをもぎってくれたとか、隣にこんな人が座っていたとか、指揮者が歩いてきたけどつまずいちゃったとか…。いろんなものを自分で感じることができる、このすべてが大事なことです。

ホールとは、人間として必要なものを教え、心を育ててくれる場所

オーチャードホールでの演奏会は、お母さんの手料理を食べた瞬間に懐かしさがこみあげてくるような、自分の人生においての栄養や記憶を積み上げてくれるものじゃないかなと思っています。そしてこうした心を育てることは大人の役目。大人の社会にはいろいろあるけど、そういうものを全部ひっくるめて心を作っていくものを与える夢のある場所。それが劇場やホールじゃないかな。本当だったら言えないこと、学校の授業や常識的な大人が教えてくれないけど人間らしく生きていくためにものすごく必要なものも、演劇で見せたり音楽で感じさせることを通じて得られるはず。

オーチャードホールがある渋谷という街は、いろいろなものを世界に発信していて、福岡県出身の僕にとって憧れの街の第1位です。宣伝だけで興味を持たせたものを発信しても一瞬で消えてしまうけど、渋谷から発信しているのは世界の他の土地の人でも興味を持つようなものだから、大きく広がっていく。まさに世界に誇れる街ですね。僕たちも音楽を通じて人と人をつなげていけたら最高だなと思っています。

ホールに行くという手間が無駄に感じる人もいるだろうし、素晴らしいと感じる人もいるだろうし、それは個人の意見だからどちらでも構いません。でも、ぜひ一度体験してみてください。自分が何か新しい世界に一歩を踏み出した感じになれるかもしれませんから。

©K.Miura

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