「ドラクル GOD FEARING DRACUL」初日レポート

悪魔と人間に託した、コミュニケーションのゼロ地点。

 どんな内容、どんな規模の公演でも、初日の開演前の客席は張りつめた空気で覆われる。俳優やスタッフがバックステージで戦っている巨大な緊張感とは違う、期待と不安と想像力が入り混じった独特の高まり──。だが『ドラクル』初日のシアターコクーンは、その高まりがいつも以上に感じられた。主演の市川海老蔵と宮沢りえに対してメディアの注目度が高く、歌舞伎関係者も多いことはわかる。だがそれだけでない。中2階、2階の立見まで埋め尽くした普通の観客が、固唾を呑んで幕開けを待ち望んでいる。『ドラクル』はそれだけ未知数の高い作品なのだ。

 物語は二部構成。一幕は、吸血鬼本来の欲望に蓋をしてストイックに生きるレイ(市川海老蔵)と、彼と共に神に祈って生きるリリス(宮沢りえ)の暮らし、ふたりの絆が主に描かれる。だが彼らの暮らしと愛を引き裂く者達が現れて二幕、レイが再び悪魔に戻るのと同時に、リリスの過去が明らかになる。
 前半、丁寧に描写されたレイの人間らしく生きようとする想い、それに対するリリスの影響力を考えると、これは愛に目覚めた悪魔の物語かと思う。柔らかさの中に芯の強さを感じさせる宮沢も、超人的なキャラクターや立ち回りを封印されて繊細さが表出した海老蔵も、その物語を成立させるにはふさわしいからだ。長塚は初めて真っ直ぐなラブストーリーをつくろうとしている? それこそが『ドラクル』の未知数だと、つい結論づけてしまいそうになる。

 ところが後半、勝村政信演じるリリスの前夫アダム、アダムの現在の妻で永作博美が演じるエヴァとの会話の中で、リリスの過去が明らかになると、長塚の本当の目的が見えてくる。リリスがレイと暮らしていたのは、純粋な愛や気高い博愛主義ではなかった。しかしそれを知ったレイは、悪魔には似つかわしくない言葉を口にする。それは長塚がこれまで繰り返し追求してきた、根源的な人と人の関係性、コミュニケーションのゼロ地点を表す言葉。『ドラクル』の未知数=この作品に託した長塚の想いは、それを今の日本ではない場所で、しかも人間ではない人物が言って成立させることだったのではないだろうか。

 その点で18世紀のフランスという世界観がしっかり必要になるのだが、美術と照明が圧倒的な完成度でそこに貢献した。キャストでは勝村と永作が人間らしい温度と匂いを醸し出し、宮沢、海老蔵と共にドラマに奥行きを与えた。回を重ねれば一幕のテンポも上がり、さらにメリハリも付くことだろう。その変化もまた、見たくなった。

text: 徳永京子(演劇ライター)
photo: 谷古宇正彦

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