「シャネル&ストラヴィンスキー」トークイベントレポート

中村(以下N):ル・シネマの番組編成を担当しております中村と申します。
去年はシャネル・ブームとも言われましたけれど、こちらのル・シネマでもシャーリー・マクレーン主演の「ココ・シャネル」を上映致しました。こちらの映画はシャネルの生涯を少し早足で紹介した非常に分かりやすい映画だったんですけれど、その次に、「ココ・アヴァン・シャネル」。 “アヴァン”というだけに大体はデザイナーとして成功する前のエピソードが重点的でした。そして本作の「シャネル&ストラヴィンスキー」。シャネルが生涯で一番愛したといわれるボーイ・カペルが冒頭に登場して、そのカペルが亡くなってからのシャネルのお話ということですね。

秦早穂子さん(以下H):この映画はシャネルのことをよく知っていると、非常に面白いですね。まず大切なのは、この時代背景ですけれども、映画は「春の祭典」初演の1913年から始まります。その時代は一つの世紀が終わったすぐの時代。一つの世紀が終わるには、10年ほどかかる。前の世紀の痛みを引きずっている、そういう時代です。ちょうど今は2010年ですけれど、私たちも21世紀に入ったとはいえ、20世紀のあらゆる負債というものを背負いながら苦しんでいる時だと思うんです。ちょっと自分の今の時代と重なり合わせながら、どういう時代だったかなという風に観てくださると良いと思います。1920年というのは、その前に第一次世界大戦がありまして、シャネルは帽子屋から服のほうのデザイナーになって、そして戦争によって、非常にお金を儲けます。ですからもうこの映画のときには37歳になって、経済的基盤を築いているわけです。

N:そうですね。ボーイ・カペルが亡くなったあとシャネルが悲嘆にくれて、そこから彼女が這い上がるというかそういうバネになるきっかけ(ストラヴィンスキー)を紹介したのがディアギレフですよね。

H:ボーイ・カペルはイギリス人ですが、父はユダヤ系の銀行家だと言われていて、母親は謎なんです。自分の力で財産を作り上げたという人で、その当時男の人が自分の力で財産を作り上げていくっていうことは、いわゆるパリとかロンドンの上流社会では珍しい存在であった。そんな彼の特徴は大変なポロの名手だったということです。

N:多方面に渡って大変に才能のあった方ですね。そしてミシア・セールという芸術の世界のミューズと謳われた人も出てきますね。

H:この映画では少ししか出てきませんが、ミシア・セールはシャネルにとって非常に重要な人です。ミシア・セールはポーランド人ですけれども、父親はポーランド系のユダヤ人彫刻家だったんですね。彼女はとってもピアノがうまい人でした。彼女は従兄と結婚するわけです。その従兄は「ルヴュ・ブランシュ」という芸術雑誌を発行していました。そこではルノワールもモネもいたり、それからプルーストやマラルメがいる。そういう総合雑誌みたいなものを出して、その雑誌の表紙をいつも飾っていたのがミシア・セールなんですね

N:今でいう、モデルのような存在ですよね。

H:というか、芸術界のミューズの存在。芸術界では有名な人だったんです。ところがご主人が破産してしまって、その借金のかたを二番目の夫になった人に全部けりをつけてもらうのですが、
二人はうまくいかなくて、ホ
セ・マリア・セールという絵描きと三度目の結婚をします。シャネルに言わせると、ミシア・セールっていう人は全然インテリでもなければ、本も読んだこともない変な女性らしいけれども、しかしミシア・セールによってシャネルがいろんなことで成長したことは事実ですね。

N:ミシア・セールのおかげで、シャネルがサロンに入り込めるようになったのですね。

H:ボーイ・カペルが自動車事故で死んでしまい、それで絶望に初めて落とされて、そこを救うのがミシア・セールとその夫でした。そして、1920年のときに彼女をイタリア旅行に誘い、いろんな芸術や美術のあらゆるものを教えて、芸術家仲間のサロンで学ぶんです。そういうことを理解しておくと、映画を観てなるほど、と思うことが多くあると思います。

N:そうですね。そしてこの映画の主題は香水〈N°5〉と「春の祭典」ですけれども、その香水のシーンもあります。そこで調香師の方が出てきますよね。

H:調香師、エルネスト・ボーもロシア人です。彼の父親は、ロシア皇帝の侍従だったそうです。第一次世界大戦が終わって、ロシア革命がおきて、ロシアの貴族たちがみんなパリに亡命してきます。

N:それでその彼からの影響、そしてロシアからの影響が大きいのでしょうけれど、刺繍や宝飾が劇中にでてきますね。

H:ええ、刺繍や毛皮とかいわゆるロシア、つまりスラブのゴージャスで、パリにはないような趣味を取り入れるわけです。

N:シャネルっていう人が非常にすごい人だなって思うのが、たくさんの恋もして、それを糧にして新しいアイデアを生み出す、そのあたりが非常にたくましいですね。デザイナーとしてのポジションも、いま現在とは同じではないというような気がします。

H:現在では想像もできないと思うんですが、かつてのデザイナーには社会的に地位がなかった。あの時代、デザイナーは御用商人だったんです。裏口から入ってくる社会的に地位の低い人たちだった。だから単に洋服のデザイナーだけではだめだってことが分かったときに、芸術の世界に入って芸術家のパトロンになること、そういうところから舞台のデザインもすることによって、もう一歩自分を上げるということは考えていたと思います。私自身も若いころに映画の仕事をするということは、家や学校でも反対されたものです。

N:当時は女性にとってはふさわしくない職業だったんですね。

H:そうした視点に立つと、シャネルの時代がよりよく感じられるのです。ここで大切なのは、シャネルが芸術界の一員に組み入れらたにしても、いわゆる上流階級にはまだ足を入れていない時代ということ。それは次の段階です。階級社会の壁は厚いわけです。

N:そこが、先生がシャネルという人に惹かれるところなんですね。今現代のわたしたちが今こういう風に過ごせるようになったっていったら大げさかもしれないですけれども、
そういう礎を築いた女性であるってことは言えるんじゃないでしょうか。そういう時代があって、今日、我々があるんだと思います。

ページの先頭に戻る
Copyright (C) TOKYU BUNKAMURA, Inc. All Rights Reserved.