『クララ・シューマン 愛の協奏曲』ヘルマ・サンダース=ブラームス監督インタビュー

天才作曲家ロベルト・シューマンの妻クララ。彼女はピアニストとして活躍する一方、7人もの子供を育てる母親でもあった。そして当時、新進の作曲家であったヨハネス・ブラームスにも慕われ……。映画、テレビなどさまざまな形で劇化されてきたクララの生涯。その映画化に今回挑んだのは、ブラームス家の末裔であるヘルマ・サンダース=ブラームス監督。彼女に、本作に込めた思いを語ってもらった。

構想10年。ようやく結実したプロジェクト

監督が映画化を思い立ったのは、10年以上も前になる1996年。イザベル・ユペールがクララ役を演じる予定で、プロジェクトが進んでいた。監督自身は楽器を弾けないことから、アイザック・スターンを輩出した音楽院に通い、ソリスト養成の過程をリサーチした。さらにベルリン・フィルのリハーサルにも通いつめ、音楽への理解を深めた。
「2000年にフランス、イギリス、ドイツ、日本、ベルギーの合作プロジェクトとして映画化が実現する予定でした。イザベル・ユペール主演で、クラウディオ・アバドが率いるベルリン・フィルがオーケストラで出演の予定。すべての準備が整っていたのですが、突然プロジェクトの担当者がお亡くなりになり、計画は頓挫してしまったのです。私はものすごくショックを受け、プロジェクトの実現は不可能だと思いました。どうしてもやりたいと思い直したのは、ピアニストのエレン・グリモーと協力したことです」
2002〜05年にかけ、監督はエレン・グリモーの世界各地でのコンサートツアーに同行した。そして『善き人のためのソナタ』のマルティナ・ゲデックを主演に迎え、ようやくプロジェクトが実を結んだ。


ロベルト、クララ、ヨハネスの複雑な三角関係は音楽界では有名なところ。監督もまた資料を徹底的に読み込んで、脚本を練り上げた。
「ロベルトとクララには密接な手紙のやり取りがありましたし、二人で日記も書いていました。ロベルトの医者が書いた記録も読みました。実はヨハネスとクララにも手紙のやり取りがあったのですが、クララの希望で焼却されてしまったのです。焼却を免れた手紙が3通ほど残っているのですが、それを見ると彼女が焼却して欲しいと頼んだ理由はわかります。実際、当時の周囲の人たちはクララとヨハネスの関係を不倫だと見ている人が多かったですし、ヨハネスの母は『クララが息子を誘惑した』と言って、クララにドアを開けることはなかったのです。また当時の音楽批評を読むと、ロベルトが若いヨハネスに対して異常なまでに心酔していたこともわかります」


資料を読めば読むほどわかってくる、3人の興味深い関係。それでも監督はスキャンダラスに興味本位で3人の関係を描きたくはなかったという。
「私は3人を“素晴らしい音楽を作った人”として理解したかったのです。寝室で何があったのか?という観点で彼らを見ようとは思いませんでした。この映画のなかで、一番エロチックなシーンは3人が演奏しているシーンです。そのシーンを見れば、何があり得る状況なのか?ということはわかってもらえると思います」
音楽に徹底的にこだわった監督は、現場では演奏シーン以外で音楽を流すことを禁じ「音楽が特別な物として演奏されていた時代」の空気を再現することを試みた。確かに、私たち現代人の日常には音楽があふれている。本作の舞台は、ちょうど産業革命が進んだ19世紀。街には機械の音があふれだした頃なのだ。その違いがロベルトとヨハネスの音楽にも見られると監督は言う。そんな時代に、妻、母、ピアニスト……といくつもの顔をもったクララ。目的を達成する為に突き進むクララの姿は、同世代のヴィクトリア女王や監督自身の祖母を参考にした。
「私たちは“女性は弱くて犠牲になるもの”という考えに慣れてしまっています。でもクララはそうじゃない。私が知っている女性で一番強かったのは祖母。彼女を思い浮かべてクララを描きました。祖母は自分の目的を達成するために、何をどうすればいいのか?ということを理解している女性でした。それを直線コースで成し遂げていたわけではありませんけどね。ロベルトもヨハネスも、クララの成功のために一生懸命作曲をしています。でも聴衆の拍手喝采をうけるのはクララ。この映画のなかで、一番成功をおさめているのはクララなんですよ」

作品について語りだすと、我が子のことのように話がとまらなくなる監督。クラシックに詳しくなくても、クララという女性の生き方は興味深い。物語と音楽が素晴らしく結びついた本作は、是非劇場で堪能していただきたい。


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