9時間でひとつの人生を生き切る観劇体験

 3部6幕9時間余。歴史のうねりが巻き起こす荒波と、人間の心を揺らす波、その両方をイギリス演劇界を代表する劇作家トム・ストッパードが円熟の筆で描き込み、英米露で予想を裏切るロングランを記録した『コースト・オブ・ユートピア ユートピアの岸へ』が、ついに日本でも幕を開けた。
 2000年に、ギリシャ悲劇をコラージュした同じボリュームの大作『グリークス』を成功させているだけに、演出・蜷川幸雄が劇空間にどんな仕掛けを用意しているのか、まず注目すべきポイント。劇場の扉の向こうには、通常の舞台側に設けられた客席と本来の客席で挟む形に、シンプルな長方形のアクティング・エリアが設けられているのみ。しかし、その上には「ロの字」の会議テーブルが組まれ、パイプ椅子にはキャストがずらりと座って談笑している。スタッフも出入りするその様子は、稽古場の日常そのもの。だが、開演の合図と共に舞台上では転換と着替えが怒涛のごとく進み、あっという間にモスクワから240キロ離れたプレムーヒノの大きな屋敷、バクーニンの故郷が出現した。
 1部はバクーニンとその家族、両親と四人の姉妹が織り成す家族劇と、モスクワでのゲルツェンやオガリョーフ、ベリンスキー、スタンケーヴィチら革命を夢見る青年たちとの交流が中心。ストッパード自身もチェーホフ劇を意識して書いたというだけあり、理想や哲学を語る言葉より、若さゆえの焦燥や恋に恋して男女がすれ違う様などが初々しく描かれる。後に歴史に名を残す偉人たちとは思えない、その人間臭い戸惑いや心の揺れが舞台をグッと身近に感じさせてくれる。
 だが流刑を経てゲルツェンらがヨーロッパに居を移す2部は、「難破」というタイトルに相応しく激しいドラマが次々に押し寄せてくる。パリで市民革命の勃発と挫折を目撃するゲルツェン一家とロシアの同志たち。荒れる世の中に同調するかのように、ゲルツェンの妻ナタリーの不倫や、息子の死など容赦ない鉄槌がゲルツェンに振り下ろされる。客席に面した舞台の両面には、白い紗幕がカーテン状に出し入れできるようになっており、薄い布越しにめまぐるしく場面転換が行われていく。ロシア、パリ、屋内、街路……。物語は進むほどに速度を増し、観客は疲れるどころかその渦に深く巻き込まれ、固唾を呑んで舞台上の人々を見つめている。
 そして3部。失意の内にロンドンへ移住したゲルツェンらは、ヨーロッパの他の国々からの亡命者らとの交流を通し、ロシアに革命をもたらすための活動にもう一度打ち込み、ついに念願の農奴解放が成される。だが、時代の本流は次第にゲルツェンから離れて行き…。
 30年にわたる壮大な物語は、歴史的な大事と同様に、細やかな人々の心情の移ろいを余さず舞台上に映し出す。観客は3部の間、常に大小の波に揺られながら先へ先へと運ばれ、ゲルツェンの旅路と歴史の変遷、ふたつの長い旅を共に経験するのだ。そこには希望と絶望、苦難と喜び、生きることのすべてが凝縮されている。『コースト・オブ・ユートピア』を観ることは、1日にして、ひとつの人生を生きる疑似体験のようなものなのだ。
 劇場を後にする観客たちの興奮した様子、何かを成し遂げた後のような満足と倦怠が入り混じった表情が、その証拠だ。

文:大堀久美子(演劇ライター) 
 

撮影:谷古宇正彦
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