血と涙で描かれた悲劇
ヨーロッパ全土を巻き込んだ1848年の革命は多くの亡命者を生み出した。ドイツの詩人にして革命家でもあったゲオルク・ヘルヴェークもその一人であった。ゲルツェンは帰るべき国を失った彼とその家族に、救いの手を差し延べた。志を同じくする者たちの家族ぐるみの共同体こそ、来るべき社会の基本的な単位と考えるゲルツェンは、二つの家族の共同生活にその理想の実現を見ようとしたのである。
しかし、既存の政治体制や社会的秩序の解体を叫ぶ革命思想は、同時に既存の道徳観念の解体を叫ぶ思想でもあった。「家族」や「夫婦」のあり方に関わる諸々の観念もまた、その例外ではありえなかった。ゲルツェンの妻ナタリアとヘルヴェークとの間に芽生えた愛も、これまでの男女関係とは異なる「新しい愛」となるはずであった。(少なくとも彼女にとっては)。しかし、二人の「愛」がありきたりの欲情から自由になることは、ついになかった。やがて、二人の関係は「男と女」のありきたりの関係に堕して行く。
他方、ゲルツェンも猜疑と嫉妬というありきたりの感情から自由にはなれなかった。
こうして、二つの家族の緊張関係は、二年以上にわたって続くことになる。
悲劇の幕はナタリアの死によって降ろされる。身重であったナタリアは海難事故によって聾唖の息子と母とをいちどきに喪うという打撃に耐えることができなかったのである。
腹の子がどちらの子であったかは、謎のままに残されている。
ツルゲーネフが「血と涙で描かれた悲劇」と呼んだこのユートピアの崩壊劇は、第二部の第二幕でクライマックスを迎える。
文:長縄光男(横浜国大名誉教授)