プラグマティズムの芝居づくり

ただでさえ「難解な作品」と噂されているというのに、小難しい書き出しですいません。でも「現代演劇界屈指の知性派劇作家」による「堂々9時間の大歴史ロマン」について語るのですから、これぐらいのほうが多少格好がつくでしょう?

『コースト・オブ・ユートピア』三部作は2002年にロンドンで初演され、4年後にニューヨークで上演されました。作者のトム・ストッパードさんはNY公演後に出版されたテキストの序文で、初演版から大きく改変した新しいテキストについて語り、次のような言葉で締めくくっています。

   演劇のプラグマティズムの勝利、あるいは愛の勝利。

「プラグマティズム」とはなんでしょう? 広辞苑によれば、

   事象に即して具体的に考える立場。
   観念の意味と心理性はそれを行動に移した結果の有効性いかんによって明らかにされるとする。実用主義。

ますます難しくなってすいません。

ストッパードさんがおっしゃるに、彼が劇作家を続けている理由の一つは「生の演劇のプラグマティズム」をこよなく愛しているからだそうです。演劇はテキストだけのものではない。演劇とは舞台の上でなにか出来事を起こすことであって、テキストはその出来事と調和させていかなければならない。時が経ち、空間が変わり、俳優が変わり、観客が変われば、おのずと台本も新しい現場に調和していくものでなければならない。それをストッパードさんは「演劇のプラグマティズム」と呼んでいます。この場合は「現場主義」とでも言えばいいでしょうか。つまり、NY版でのテキストの改変は演劇の現場主義による行為であり、もっと具体的に言えば、俳優に対する愛の行為であったということです。(色恋絡みとかではないと思いますが……念のため。)

これは芝居づくりの現場にいる人間にとっては、ごく当たり前のことでしょう──あるいはお客さんにとっても。演劇という芸術は実際的な問題を数多くはらんでいます。たとえば、お芝居の上演には大勢の人々が関わります。キャストとスタッフが各自の理性と感情を稽古場に持ち寄り、ひとつの世界をつくり上げる(『コースト・オブ・ユートピア』の稽古場には毎日100人ぐらい人がいるような気がします。数えてはいませんが)。そして、さらに多くの人々が毎晩劇場を訪れ、各自の理性と感情をフル稼働させて舞台上の出来事を見守っている。人の理性や感情というのは変わり続けるものです。お芝居をつくるという行為では、変わり続ける要素に対し常に実際的に対応していく必要があります。ストッパードさんのおっしゃるとおり演劇はプラグマティズムの芸術であり、それは例えば、作家が小説を書いて読者が読むという行為に比べると、はるかに複雑な芸術であると言えるでしょう、ある意味。

そもそも、外国の戯曲を翻訳して上演すること自体、プラグマティックなことです。英語の台本を翻訳せずに日本人の俳優が演じ、日本人のお客さんの前で上演するなんてことがあるとしたら、たぶんプレグマティズムとは正反対の行為でしょう。そういう上演のほうがプラグマティックだと言われる時代が将来やってこないともかぎりませんし、それはそれで『コースト・オブ・ユートピア』のモチーフの一つでもある問題なのですが、それはまたべつの話として素通りしておきます。

というわけで、現場の話をしましょう。

   最近は即興演出が多いんです。

これは『コースト・オブ・ユートピア』の稽古場で演出家の蜷川幸雄さんがおっしゃったことです。それとも制作発表だったかしら……いろんなところでおっしゃっているのかもしれません。「即興演出」なんて言うと、とてもいい加減なように思われるかもしれませんが、もちろんそうことではありません。それは稽古初日から明らかでした。本読みに集まった俳優の顔ぶれを見た蜷川さんはこうおっしゃいます。

   よし、演出プラン決めた。この状態から始めよう。

「この状態」とはどんな状態か、それは実際の舞台をごらんになってのお楽しみですが、現場にただ存在していた状況を利用することから『コースト・オブ・ユートピア』の稽古は始まりました。まさに「演劇のプラグマティズム」を象徴するような始まりです。

この決断の早さは、今回はじめて参加させていただく僕にとって、蜷川演出の第一印象となりました。決断の早さとは当然、頭の回転の速さを示すものでもあるのでしょうが、僕が大きな感銘を受けたのは、こうしていさぎよく決断を行う勇気です。どんなに機転が利く人間でも、素早い決断には大きなリスクが伴うものです。人前でなにかを表現する仕事において、なにより必要なのは勇気です。失敗を恐れずに様々な挑戦を行う覚悟がなければ、特に俳優の仕事などは務まらないでしょう。それは俳優にかぎらず、どんな仕事にも言えることかもしれません。ユートピアの岸を目指す大航海の船長とも言える蜷川さんは、船出にあたり、全乗組員の前でなんでも自由に挑戦していく勇気を身をもって示したのだ……と僕は解釈しています。「即興演出」なんて軽くおっしゃっても、そこにはよい作品をつくるための強い覚悟が存在しているように思えます。

『コースト・オブ・ユートピア』の主人公である19世紀ロシアの作家/革命思想家ゲルツェンは、著書で次のように語っています。

   歴史は即興的なもので、くりかえしはめったにない。
   歴史はあらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く……どれが開かれるかは……誰にもわからないのだ。
   (ゲルツェン『向う岸から』外川継男訳)

さらに、トム・ストッパードさんのゲルツェンはつけ加えます。

   我々はウィットと勇気をもって道を進み、進んだ道が我々をつくる。

『コースト・オブ・ユートピア』日本初演の稽古場には、まさにゲルツェンさんとストッパードさんが世界に託した精神が体現されています。そこは日々、演劇のプラグマティズムの勝利に向けて全員のウィットと勇気が試される現場です。プラグマティズムのみならず「愛(あるいは演出家の愛に満ちた罵倒)」についても語るべきことは多いのですが、それはおそらくまた。稽古は連日、愛と笑いにあふれています。

やっぱり小難しい話なってしまいました。とにもかくにも、みなさんウィットと勇気をもって劇場にお越しくださればと思います。

 

広田敦郎(ひろたあつろう/Atsuro Hirota)

1970年大阪府生まれ。劇団四季勤務を経て、97年よりTPT (シアタープロジェクト・東京)の多くの公演に演出部、翻訳、ドラマトゥルクなどで参加。
翻訳上演作品:サイモン・スティーヴンズ『広い世界のほとりに』、イングマール・ベルイマン『ある結婚の風景』、ロルカ『血の婚礼』、デヴィッド・マメット『アメリカン・バッファロー』『カモの変奏曲』、ハイナー・ミュラー『カルテット』、チェーホフ『三人姉妹』、エドワード・オルビー『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』、マーティン・シャーマン『BENT』(以上、TPT@ベニサン・ピット) パトリシア・ハイスミス原作『見知らぬ乗客』、サム・シェパード『TRUE WEST』(以上、東京グローブ座)
次回作品:ロルカ『血の婚礼』(TPT@BankART Studio NYK)、ニール・ラビュート『キレイじゃなきゃいけないわけ』(TPT)

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