来日が待ち遠しい!グルノーブルで来日公演キャストによる「ウェルテル」が上演されました!

グルノーブルMC2劇場での「ウェルテル」演奏を聴いて

10月24日(土)にフランスアルプスに囲まれたグルノーブルで国立リヨン歌劇場による「ウェルテル」の演奏を聴いた。

「クリスマスの宵がウェルテルの上に降りると、許しの光がそれまで世界を覆っていた闇を放逐し、ウェルテルはちょうどトリスタンがそうだったように、人間の声がやみ、沈黙の中で魂の音楽が鳴り始める」と台本作家の一人ポール・ミリエも書いているが、マスネはわざわざ舞台となったドイツの小さな町を訪問し、心底から揺り動かされてペンを執った。大野和士の指揮はこうした作曲家の心境にぴったりと寄り添ったもので、通常行われているような砂糖菓子のようなマスネ演奏(女性的なきわめてフランス的な作曲家という定評がある)とは一線を画している。
特に第4幕第2場のウェルテルの死は、まさにトリスタンを喚起させる情念のせめぎ合いが圧巻だった。団員が一丸となった国立リヨン歌劇場管弦楽団は指揮者の目指すところをそのままずばりと表現していた。

ソロ歌手には今が旬の若手が揃った。ヴァレンティは丁寧なフレージングにより愁いを帯びた、内気で真率な青年像を描き出した。オールドリッチは声域の広い、息の長い声で、愛していない夫への貞節という檻から主人公への断ち切れぬ想いを解き放つまでのヒロインの内面のゆれを鮮やかに表現した。

脇役も温かみのある父親を体現したヴェルヌ、はつらつとした若さと陽気さでヒロインと好対照を見せたジレ、第1幕のヒロインへの愛情にみちた許婚者から後半の嫉妬に駆られた夫への変化を明瞭に見せたロートと隙がなかった。

演奏会形式でありながら、ショール一つをはおっただけで晴れの雰囲気を出したオールドリッチや、赤い花を手にしただけで少女ソフィーの陰りを知らない陽気さがぱっと周囲に広がったジレをはじめ、この作品をすでに舞台で演じてきた芸達者な歌手たちの視線と身ごなしが誰の目にも舞台上演を彷彿とさせていた。

 文:三光洋(パリ在住音楽ジャーナリスト)

 

 

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