10月17日(土)の20:30から国立リヨン歌劇場で「ロメオとジュリエットをめぐって」Autour de Roméo et Julietteと題されたコンサートが大野和士指揮で開かれた。平土間に着物姿の女性をはじめ、日本人が目立った。
前半はプロコフィエフの組曲「ロメオとジュリエット」第1番(作品64a)と第2番(作品64b)から以下の9曲が国立リヨン歌劇場管弦楽団により演奏された。
−「モンテギュー家とキャピレット家」(組曲第2番No2)
−少女ジュリエット(組曲第2番No2)
−仮面(組曲第1番No5)
−ロメオとジュリエット(組曲第1番No6)
−ダンス(組曲第2番No4)
−ローラン神父(組曲第2番No3)
−ティバルトの死(組曲第2番No7)
−ロメオとジュリエットの別れ(組曲第2番No5)
−ジュリエットの墓場のロメオ(組曲第7番No7)
「モ ンテギュー家とキャピレット家」を皮切りに、パリスがジュリエットを誘惑しようとする滑稽な「騎士のダンス」をはじめ、二つの組曲から選ばれたハイライト である。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、チェロ、ヴァイオリン、ハープなど多彩なソロがあり、メリハリの利いたアンサンブルあり とオーケストラの状態がはっきり出る曲だ。プロコフィエフが一つ一つの音符に込めた想いがそのまま流れ出して、物語の場面が目の前に現れてくるようだっ た。コンサートマスターから後方に構えた打楽器奏者までの全ての楽団員が指揮者の一挙一動に吸い寄せられて一体となり、組曲の抜粋でありながらあたかも一筆書きの大曲を演じているかのようで、緊張の糸が瞬時として途切れることなく保たれたまま45分が過ぎ去っていた。「驚くべき明確な指揮だ。この指揮者の仕事は本当に心から音楽をたのしませてくれる」とフランスのベテラン批評家フィリップ・アンドリ オが思わずもらしたように、聞き手の耳をひきつけてやまない演奏だった。セルジュ・ドルニー総支配人が「日本ツアーへの出発が万端整っているのがこれでわか るでしょう」と胸を張ったのも当然だろう。
25分休憩後の後半は日本公演に参加するソロ歌手二人を迎え、グノーのオペラ「ロメオとジュリエット」の抜粋が演奏された。
−ロメオのカヴァティーナ「ああ、日よ。昇るがよい」(第2幕7番)
−ロメオとジュリエットの二重唱「おお、神々しい夜よ」(第2幕9番)
−「ボヘミアンのダンス」(第1幕のバレエから抜粋)
−ジュリエットのアリエット「夢の中で生きたい」(第1幕3番)
−ロメオとジュリエットの二重唱「世界の果てに逃れよう」(第5幕22番)
日本でウェルテルの主役を歌うジェームス・ヴァレンティは、強い風が吹いたら折れてしまいそうなすらりとした細身の長身である。今シーズン、メトロポリタ ン・オペラとコヴェント・ガーデン・オペラ(ロンドン)でアルフレートを歌うことが決まっている(ヴィオレッタはアンジェラ・ゲオルギュー)。アメリカ人でありながら、きちんとしたフランス語で台詞がかなり明瞭に聞き取れた。フランスオペラでは言葉がきちんとしていない旋律線が描けないだけに、フランスオペラを歌う大切な条件を満たしていることになる。見た目のように線の細い歌唱をオーケストラが優しく支えていた。
一方、ベルギーの新星アンヌ=カトリーヌ・ジレはシンプルなドレス姿で登場した。9月のパリ国立オペラの開幕公演グノーの「ミレイユ」でヴァンスネットを歌ってガルニエ宮のうるさ型の観客からも喝采されたばかりである。のびやかな清冽な声は可憐な舞台姿もあいまってシェークスピアのヒロインにぴったりだった。第1幕のアリエット「夢の中で生きたい」は始めて恋を胸に宿したジュリエットの喜びが歌の端々に広がってそのまま舞踏会のワルツの波となって歌劇場に広がった。オーケストラの後奏が終わると待ち構えていたようにブラヴォーが飛び交った。
アンコールはまずジェームス・ヴァレンティがウェルテルの惜別のアリア「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」(第3幕第1場)を歌った。ロメオよりも人物の心情に踏み込み、濁りのない繊細な歌から抑えきれない悲嘆が伝わってきた。
これに続いてアンヌ=カトリーヌ・ジレは6月にパリ・オペラコミック座でジョン・エリオット・ガーディナー指揮(カルメンは妖艶そのもののアンナ・カテリーナ・アントナッチ)で歌ったばかりのミカエラの第3幕第22番のアリア「何もこわくないと言っているけれど、本当は恐怖で死んでしまいそう」を聞かせてくれた。ジュリエットもそうだが、ジレが扮すると清純だが芯の強い一途な女性像がぴんと張った明快な旋律線から浮かび上がってきた。
このメンバーによる10月24日グルノーブルでのマスネの「ウェルテル」の演奏会形式公演がたのしみになってきた。
文:三光洋(パリ在住音楽ジャーナリスト)