三光洋のオペラ第2弾「ルル」公演初日レポート −2009年4月20日(リヨン)

 今シーズン大野和士が指揮したオペラはプロコフィエフの「賭博師」とベルクの「ルル」だった。この選曲には既存のレパートリーを少しでも広げようとするリヨン歌劇場の姿勢が明瞭に出ている。「オペラが顕示的な消費物になっているのが、現代のオペラ上演最大の問題」とする見方に立ち、「芸術創造の場であるとともに、社会の活力の源泉でもあるオペラハウスを作りたい」という共通の願いが大野とセルジュ・ドルニー総支配人を結びつけた。「オペラにたずさわる人間は舞台を創造するだけでなく、社会に対して義務がある」という自覚から、自動車焼き打ちなど社会問題が山積している大都市郊外の青少年に歌唱、演劇をオペラ公演を通じて親しめるようにする独自のプロジェクトも軌道に乗りつつある。
4月20日に「ルル」の初日を見た。ベルクが死の直前まで取り組みながら未完に終わり、ツェルハにより補筆された。この全3幕、3時間50分の大作は1979年にパリ国立オペラにおいて、ブーレーズの指揮によりようやく日の目を見ている。
 大野和士指揮のリヨン歌劇場管は舞台上で展開する劇にぴったり寄り添って、ベルクが巧みに配したテーマを明瞭に浮かび上がらせた。いつもながら歌手に細心の注意を払う大野の指揮により、舞台上とオケピットの均衡がぴちっと決まっていた。大野が最も留意したという、第2幕と第3幕とのつながりも自然で、ヒロインの栄光と転落のドラマから最後まで目を離すことができなった。79年の初演も見たフィガロ紙元記者のジャック・ドゥースラン氏は「大野は一貫したヴィジョンと完璧な均質性によって、ブーレーズでさえ響かせることのかなわなかった作品の真実を聴き手に伝えた」と比較している。
 演出はドイツ演劇界の大御所、ペーター・シュタインに委ねられた。ヒロイン役のローラ・アイキンをはじめ、役柄にぴったりの風貌に恵まれた歌手たちが芝居のように自在に動いた。映画のシナリオのように詳細に書きこまれたベルク自身の指示を活かし、男たちを誘惑し、翻弄した挙げく破滅させる魔性の女が生々しく描き出された。ルルは、ドイツから虚栄の都パリを経て、陰鬱そのもののロンドンで切り裂きジャックに殺されるが、アール・ヌーヴォー風の装置と当時を喚起する衣装の魅力もあいまって、それぞれの街の雰囲気が肌で感じられた。
 この完成度の高い公演は、「稽古場に台本ではなく、オーケストラのスコアだけを持ってきて、ト書き、オーケストレーションに常に目配りしながら、歌い手に指示を出した」演出家と卓越した指揮者が一体となった作業から生まれた。
 「ルル」初日公演に先立って来シーズンの演目が発表された。大野はプッチーニの「マノン・レスコー」(2010年1月21日から2月3日、ルイ・パスカル演出)とフィンランドの現代女流作曲家カイヤ・サーリヤホの新作「エミリー」(2010年3月1日から13日、フランソワ・ジラール演出)の2本を指揮する。また、2010年元旦は「冬のワルツ」と題したウィーンとは一味違うニューイヤーコンサートを開く。アンヌ・カトリーヌ・ジレ(ソプラノ)とジェームス・ヴァレンティ(テノール)という期待の若手歌手二人をソリストに迎えたコンサート「ロメオとジュリエットの周辺」(2009年10月17日)、リヨン歌劇場管弦楽団のソリストと大野のピアノによるコープランド、ミヨー、バルトークの音楽会(2010年3月14日)も見逃せない。プログラムをめくっていると選曲、配役から「観客に常に新鮮な驚きを」という作り手の熱い思いが伝わってくる。耳慣れない曲が多くても、「真剣そのもので、難曲に聞き入るミラノにもベルリンにもいない観客」(大野)は好奇心を持って待ち構えている。
 「演目の魅力とプロダクションの完成度があいまって、リヨンがフランスを代表するオペラハウスになる可能性がある」というスイスの日刊紙「ノイエ・チューリッヒャー・ツァイトゥング」は予想している。オーケストラ、合唱、観客が一体となり、街に根を下ろした今までにない未来のオペラハウスが実現する日も遠くなさそうだ。

Text:三光洋(パリ在住音楽ジャーナリスト)


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