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「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」 (スタンダール著「ロッシーニ伝」より)

真正ロッシーニ・オペラ 日本初公演

18歳でオペラ作曲家としてデビュー、37歳で突如オペラ界から引退したイタリアの天才作曲家、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792〜1868年)。軽妙洒脱なオペラ・ブッファから重厚なオペラ・セリアまで、わずか19年間に39のオペラを完成させ、ダンディズムを体現し多くのインテリたちを虜にして、19世紀のヨーロッパを一世風靡しました。

死後約100年、「セヴィリアの理髪師」など一部の作品を除いて、上演される機会に恵まれなかったロッシーニに、再び輝きを与えたのは、あのベルリン・フィルを率いた世界的指揮者クラウディオ・アッバードでした。
1984年の夏、ペーザロで開催された「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」で「ランスへの旅」を約150年振りに蘇演。『20世紀最大の音楽的事件の一つ』と言われたこの公演を機に“ロッシーニ・ルネサンス”の機運は一気に高まり、ロッシーニは再び世界中の音楽界の脚光を浴びることになったのです。

ロッシーニの生誕地イタリア・ペーザロから2008年11月、ロッシーニ研究と上演では世界で最も権威ある音楽祭が日本に初めてやってきます。

上演される演目は、2007年の話題作「オテッロ」、2008年8月に新演出上演予定の「マホメット2世」(日本初演)のオペラ・セリア2本と、祝祭的作品「テーティとペレオの結婚」(演奏会形式・日本初演)。“ロッシーニの神様”と世界中の音楽家から敬愛されるアルベルト・ゼッダ芸術監督のもと、見識の高さで人気沸騰の音楽祭が、若きロッシーニの傑作を携えて初めての海外公演に臨みます。

同じパッセージが時には洒落たブッファに、時には深刻なセリアにもなり得るロッシーニの音楽は変幻自在。超絶技巧と音楽の軽やかさこそロッシーニの魅力です。

ロッシーニ三昧の日本公演で、あなたもロッシーニを再発見してみませんか。


作曲家ジョアキーノ・ロッシーニとは

ジョアキーノ・ロッシーニ
ジョアキーノ・ロッシーニは1792年2月29日にペーザロで生まれました。父はホルン奏者、母は町一番の美人と歌われたソプラノ歌手。ジョアキーノは音楽を学び10歳で最初のオペラを作曲。1810年にヴェネツィアで「結婚手形」が初演され、その成功により次々とオペラ・ブッファ作曲の依頼が舞い込むようになり、ミラノやヴェネツィアで多忙な創作活動の日々に追われました。1816年にオペラ・セリア「オテッロ」を作曲。若い音楽家の名声はイタリア国外にも広まり、ヨーロッパ中の話題をさらい、フランスの作家スタンダール、バルザック、ベートーヴェンら多くの文化人や貴族たちを熱狂させました。1824年にパリに移住。カルロ2世戴冠式のために作曲されたカンタータ「ランスへの旅」(1825年)、「ウイリアム・テル」(1829年)などを作曲。しかし、時代の流れに敏感なジョアキーノは37歳でオペラ界から突如引退。後半の人生は、美食レストランの経営と養豚業に費やしました。1868年11月13日にパリ近郊で死去。莫大な財産の相続人を生地ペーザロ市とする遺言を残し、その遺産によって「ロッシーニ音楽院」とロッシーニ研究の国際的権威「ロッシーニ財団」が創設されました。

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