第36回 2005年9月4日(日)15:30開演
指揮:ピンカス・スタインバーグ
ピアノ:フレディ・ケンプ
スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界より」op.95
指揮:ピンカス・スタインバーグ ピアノ:フレディ・ケンプ

【曲目解説】山田治生
 本日は、チェコのスメタナとドヴォルザーク、ノルウェイのグリーグという民族主義的な作曲家たちの作品をお楽しみいただきます。ドイツ音楽の亜流ではなく、自分たちの民族の文化に根ざした音楽の確立に尽くした彼らの作品は、我々日本人が聴いても、親しみやすく、どこか懐かしいものを感じます。借り物ではない表現が、民族を越えて、通じ合うからでしょうか。また、ドヴォルザークやグリーグは類まれなるメロディ・メーカー(旋律作曲家)でもあります。彼らの書いた美しい旋律には魅了されずにいられません。
 そんな民族色の濃い作品を、本日指揮するのは、イスラエルに生まれ、アメリカで学び、ヨーロッパで活躍するコスモポリタン、ピンカス・スタインバーグです。また、グリーグのピアノ協奏曲で独奏を務めるフレディ・ケンプも、ドイツ人の父と日本人の母の間にロンドンで生まれたコスモポリタンであります。そんな彼らがノスタルジーに満ちた本日の作品をどう表現するのでしょうか。普遍的な郷愁を描くのか、それとも、コスモポリタンほど強い郷愁が表現できるのか、興味津々です。


◆19世紀後半の国民楽派
 19世紀後半のヨーロッパでは、政治的にも文化的にも民族主義的な気運が高まった。音楽の世界でも、イタリアやドイツの“中心国”に対して、ロシア、東欧、北欧などの“周辺国”で民族主義的な国民音楽を掲げる動きが盛んとなった。ロシアでは、グリンカがロシアの民族色を取り入れたオペラの道を拓き、バラキレフ、ボロディン、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフらのいわゆる「五人組」がロシアの民族主義的な音楽を確立した。
 チェコの国民楽派の祖はスメタナ(1824〜1884)であった。チェコは、オーストリアに支配されていたこともあり、音楽的な伝統は豊かだったものの、民族的な音楽に対する関心は低かった。ボヘミア民謡を探求し、これを創作の基礎として用いた作曲家はスメタナが最初だった。グリンカのロシア的な素材に基づくオペラに影響を受けたスメタナは、「ボヘミアのブランデンブルク人」や「売られた花嫁」を発表し、チェコの国民的なオペラを作り上げた。その後、彼は、国民的な作曲家となり、連作交響詩「わが祖国」(「モルダウ」が特に有名)などの作品を残した。スメタナが確立したチェコ国民音楽を受け継いだのはドヴォルザーク(1841〜1904)だった。ドヴォルザークは、若い頃、歌劇場のオーケストラでヴィオラを弾き、作曲者自身が指揮するスメタナのオペラをオーケストラ・ピットで演奏したものだった。ドヴォルザークは、その才能をブラームスに見出されたが、故郷ボヘミアを忘れることはなかった。そしてドヴォルザークは、チェコを代表する最初の国際的な作曲家となった。
 北欧には、ノルウェイのグリーグ(1843〜1907)、フィンランドのシベリウスなどが現れた。グリーグは、ドイツに留学したり、デンマークに暮らすこともあったが、同郷の作曲家ノールロークとの出会いなどによって、民族的な音楽に目覚め、ノルウェイの民謡を研究し、ノルウェイ国民音楽の確立に尽くした。そして、同国の劇作家イプセンの戯曲のための音楽「ペール・ギュント」やピアノ協奏曲のような名曲を残したのであった。

◆スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
 スメタナは、連作交響詩「わが祖国」や弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」などの作品で知られているが、彼の最初の大きな成功は、1866年に初演された歌劇「売られた花嫁」であった。「売られた花嫁」はスメタナにとって2つ目のオペラにあたる。ストーリーは以下の通り。村娘マジェンカは、両親によって、地主ミーハの息子ヴァシェクと結婚させられようとしている。しかし、マジェンカには恋人イェニークがいた。結婚仲介人が大金を持ってイェニークのもとへ行き、彼にマジェンカから手を引くことを要求すると、イェニークは「マジェンカはミーハの息子以外とは結婚しない」という条件をつけて承諾する。村人たちは恋人を売ってしまったイェニークを非難するが、実は、イェニークはミーハの先妻の子供であることが判明する。結婚仲介人が地団駄を踏むかたわら、恋人たちはめでたく結ばれる。このボヘミアの村を舞台としたオペラは、チェコ国民音楽の礎となった。序曲は「ヴィヴァーチェッシモ」と記された快活な音楽。オーケストラにとってはアンサンブルの実力が問われる難曲といえる。

◆グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
 ノルウェイを代表する作曲家であるグリーグは、北海に面する港町、ベルゲンに生まれた。ピアニストの母からピアノの手解きを受け、15歳のときにドイツのライプツィヒ音楽院に留学した。その後、デンマークのコペンハーゲンでも学ぶ。同郷の作曲家ノールロークとの交友を通じて民族主義的な音楽を志すようになった。1867年にクリスチャニア(現在のオスロ)のフィルハーモニー協会の指揮者となったグリーグは、同年、声楽家のニーナと結婚し、翌年4月には二人の間に女児が生まれた。ピアノ協奏曲はそんな幸せな1868年の夏に作曲された。初演は1869年4月にコペンハーゲンで行われた。このピアノ協奏曲は、劇付随音楽「ペール・ギュント」と並ぶグリーグの代表作として人気を博している。
 
 第1楽章 アレグロ・モルト・モデラート。非常に強烈で印象的な独奏ピアノの強奏で始まる。その導入部に続いて、木管楽器が第1主題を提示する。第2主題はゆったりとしたチェロのあたたかな旋律。第1主題に基づくカデンツァは作曲者自身が書いたもの。最後に導入部からとられた印象的な独奏ピアノのパッセージが再現される。
 第2楽章 アダージョ。北欧の抒情を感じさせる、清らかで美しい楽章。まず、弱音器をつけた弦楽器によってしみじみと主題が歌われる。中間部になって漸くピアノが登場し、装飾を伴った繊細で美しい旋律を奏でる。音楽は次第に高揚し、最初の主題がピアノとオーケストラによって力強く再現される。そのあと音楽は徐々に衰微し、静かに楽章を終える。
 第3楽章 アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート。クラリネットとファゴットによるごく短い導入のあと、独奏ピアノが快活な第1主題を弾き始める。第2主題はフルートが歌う伸びやかな旋律。終結部では、短いカデンツァをはさんで、第1主題が4分の3拍子で再現され、最後にピアノとオーケストラによる第2主題の全奏によって雄大に締め括られる。

◆ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 作品95
 チェコを代表する大作曲家ドヴォルザークは、1892年9月、ニューヨークのナショナル音楽院に院長として招かれ、アメリカに渡った(1895年春まで滞在した)。このアメリカ時代にドヴォルザークは、交響曲第9番「新世界より」(1893年)、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」(1893年)、チェロ協奏曲(1894〜95)などの傑作を作曲した。交響曲第9番「新世界より」は、ドヴォルザークにとっての最後の交響曲である。この作品には、アメリカ滞在中の作曲者の郷愁が色濃く表れている。
この交響曲につけられた「新世界より」というタイトルは意味深長である。ドヴォルザークは、自筆のスコアのタイトル・ページにチェコ語で「新世界より」と書くだけでなく、わざわざ英語でも「フロム・ザ・ニュー・ワールド」と書き記している。特に「フロム(より)」という前置詞は重要だ。その一語は、この交響曲が「新世界」を描いたものというよりは、ドヴォルザークの「新世界からの手紙(レポート)」のようなものであることを示している。そして「アメリカ」ではなく「新世界」。ヨーロッパという「旧い世界」と対比しての「新しい世界」である。初演は、1893年12月にニューヨークのカーネギーホールにおいて、ザイドル指揮のニューヨーク・フィルによって行われ、大きな成功を収めた。

 第1楽章 アダージョ〜アレグロ・モルト。神秘的なアダージョの序奏の後、力強いアレグロ・モルトの主部に入る。主部でのフルートの心安まる旋律が印象的。
 第2楽章 ラルゴ。イングリッシュホルンの哀愁を帯びた旋律は「家路」の名前で知られている。中間部の音楽が心にしみ入る。
 第3楽章 スケルツォ、モルト・ヴィヴァーチェ。快活なスケルツォ楽章。2つのトリオの素朴なメロディが魅力的 。
 第4楽章 アレグロ・コン・フオコ。短い序奏のあと、金管楽器が力強く第1主題を吹く。第2主題はクラリネットが提示する柔和な旋律。前3楽章の主題が少しずつ回想され、有機的に結びつき、壮大なフィナーレが築かれる。



ページの先頭に戻る
Copyright (C) TOKYU BUNKAMURA, Inc. All Rights Reserved.