第33回 2005年3月13日(日)15:30開演
指揮:阪 哲朗
チェロ:山崎伸子
[オール・ドヴォルザーク・プログラム]
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調op.104
ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調op.88

◇ソリスト変更のお知らせ◇
3月13日(日)N響オーチャード定期#33に出演を予定しておりましたアレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ)は、健康上の理由で来日不可能となりましたので、山崎伸子に変更させていただきます。演奏曲目の変更はありません。尚、チケットの払い戻しはいたしませんので、何卒、ご了承くださいますようお願い申し上げます。
チェロ:山崎伸子プロフィール
 
指揮:阪 哲朗 チェロ:山崎伸子
※やむをえず出演者、曲目等が変更になる場合があります。予めご了承ください。

【曲目解説】山田治生
 本日はドヴォルザークの最円熟期の2つの傑作が演奏されます。ドヴォルザークにとってチェコで書かれた最後の交響曲となった交響曲第8番とアメリカ時代に作曲されたチェロ協奏曲です。交響曲第8番ではボヘミアの美しい自然が歌われ、チェロ協奏曲ではボヘミアへの郷愁が表され、どちらもロマンティックで美しい旋律に満ち溢れています。
 今日の演奏会を指揮するのは阪哲朗氏。まだ30代の若きマエストロですが、既にスイスのビール市立歌劇場(92〜97年)、ドイツのブランデンブルク歌劇場(97〜98年)、ベルリン・コーミッシェ・オーパー(98〜2001年)の専属指揮者を歴任し、一昨年秋には、NHK交響楽団の定期公演にデビューしています。また、新国立劇場にも一昨年から登場し、今年も客演する予定。日本の新しい世代を代表する期待の星です。チェロ独奏はN響オーチャード定期に3年ぶりの登場となるロシアの名手、アレクサンドル・クニャーゼフ氏。彼は、若き日に難病を克服し、その後 、交通事故で妻を亡くして自らも重傷を負いながらも復活を遂げ、「奇跡のチェリスト」と呼ばれました。今や名実ともにロシアを代表するチェリストの一人として活躍しています。チェリストにとっての最高の傑作であるドヴォルザークのチェロ協奏曲でどんな名演を聴かせてくれるとても楽しみです。


◆ドヴォルザークの生涯(交響曲第8番からチェロ協奏曲にかけてを中心に)
 チェコの大作曲家といえば、「チェコ国民音楽の父」と呼ばれるスメタナ(1824〜1884)がまずあげられるが、チェコ生まれで最初に国際的に認められた作曲家は、ドヴォルザーク(1841〜1904)に違いない。ドヴォルザークは、ブラームスと親交があり、ドイツ、イギリス、アメリカで高く評価され、チャイコフスキーの紹介でロシアで自作を指揮したりもした。まさに国際的に活躍した大作曲家であった。
 アントニーン・ドヴォルザークは、1841年9月8日、プラハから約30kmのところにあるネラホゼヴェスという村で生まれた。実家は肉屋兼旅篭屋で、アントニーン少年は6歳の時に地元の小学校でヴァイオリンを始めた。16歳でプラハのオルガン学校に入り、1859年にそこを卒業している。プラハでは、オルガン学校在学中から、ホテルやレストランに出演していたカレル・コムザーク楽団でヴィオラを弾いて、生活費や学費を稼いだ。その後、国民劇場の建設が具体化し、コムザーク楽団が劇場完成までの仮劇場のオーケストラの中核となったので、ドヴォルザークもオペラの演奏に参加した。1866年にスメタナが仮劇場の指揮者になり、彼から大きな影響を受けた。ドヴォルザークは1871年まで劇場のオーケストラに在籍した。
 また、1865年には、仮劇場の仕事の合間を縫って、金属細工商の2人の娘の音楽家庭教師を務め、姉妹の姉の方であるヨゼフィーナに恋心を寄せた。しかし、ヨゼフィーナへの思いは失恋に終わり、その後、ドヴォルザークは1873年に彼女の妹のアンナと結婚することになる。
 作曲家としては、1865年に最初の交響曲である「ズロニツェの鐘」を書き上げ、ドイツの作曲コンクールに応募している(結果は落選)。1870年代にはオペラの作曲も始め、彼のオペラがプラハで上演されるようになった。また、1875年からはオーストリア政府の奨学金を受けることができるようになったと同時に、奨学金の審査員の一人であったブラームスによって才能を認められた。ブラームスは、ドヴォルザークの作品をベルリンの楽譜出版社であるジムロック社に紹介し、ドヴォルザークが国際的な作曲家となるきっかけを作った。そして、二人は親交を持つようになった。
 1884年にはイギリスに招かれて自作を指揮し、好評を博した。その後、イギリスでのドヴォルザーク人気は高まり、1896年までしばしば(合計9回)イギリスを訪れた。また、1884年、妻アンナの姉ヨゼフィーナの夫であるカウニッツ伯爵からヴィソカー村の土地を買って別荘を建て、そこを創作活動の本拠とした。田舎生まれのドヴォルザークにとっては、プラハよりも自然に囲まれたヴィソカーでの方が、筆が進むのであった。
 交響曲第8番は、1889年の夏から秋にかけてそのヴィソカーの別荘で作曲された。そして、ジムロック社との関係を悪化させていたことからイギリスのノヴェロ社から出版され、また、ドヴォルザークがロンドンでこの交響曲を指揮し、大好評を得た。そのような経緯から、交響曲第8番は、「イギリス」のニックネームで呼ばれたこともあるが、実際はボヘミアの豊かな自然を思わせる民族色の濃い作品である。
 1891年、名実ともにチェコを代表する作曲家として活躍していたドヴォルザークのもとに、ニューヨークからナショナル音楽院院長就任の申し出が届いた。未知の国での生活には不安があったが、音楽院創設者のサーバー女史の再三の要請に折れ、破格の給与と10回の自作の演奏会をひらくという好条件でアメリカに渡る決意をした。
 1892年9月、ドヴォルザークはニューヨークに到着し、ナショナル音楽院の院長となった。彼はこの学校で多くの黒人の生徒と知り合い、黒人霊歌や先住民の音楽に出会ったという。そして、1892年から95年までのアメリカ時代に、ドヴォルザークは、交響曲第9番「新世界より」(1893年)や弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」(1893年)、そして、チェロ協奏曲(1894〜95年)などの傑作を生み出した。
 チェロ協奏曲には、ドヴォルザークの望郷の念が表れているが、それに加えて、初恋の人ヨゼフィーナへの思いも書き込まれている。ドヴォルザークは、チェロ協奏曲の草稿を書いていた頃にヨゼフィーナの重病を手紙で知る。そこでドヴォルザークは、そのことを念頭に置いて、ヨゼフィーナが好きだった彼の歌曲「ひとりにして」に基づく主題を第2楽章に用いた。そして、彼は1895年2月にチェロ協奏曲を書き上げ、4月にチェコに帰国した。ところが、5月にそのヨゼフィーナが亡くなってしまう。ドヴォルザークは急遽、第3楽章の終結部を書き替え、そこにも歌曲「ひとりにして」に基づく旋律を挿入して、ヨゼフィーナの思い出を作品に残した。そして、6月に現在の形でのチェロ協奏曲を完成させた。初演は、1896年3月に、ロンドンで作曲者自身の指揮の下、イギリスのチェリスト、レオ・スターンの独奏によって行われた(これがドヴォルザークにとって最後のイギリス訪問となった)。その後、この協奏曲は、世界各地で演奏されていく。
 祖国に戻ったドヴォルザークは、1901年からプラハ音楽院の院長を務めたが、1904年5月1日にプラハの自宅で病のために62年の生涯を閉じたのであった。

◆ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
  アメリカ時代の最後を締め括るチェロ協奏曲は、ブラームスも絶賛するほどの傑作となった。ハイドン、シューマン、サン=サーンス、エルガー、ショスタコーヴィチなども優れたチェロ協奏曲を残しているが、ドヴォルザークの協奏曲ほどの人気曲は未だに生まれていない。第1楽章:アレグロ。序奏なしに、クラリネットが第1主題を提示する。第2主題はホルンによって歌われる牧歌的な旋律。その後、独奏チェロが登場して、第1主題を力強く弾き、第2主題を朗々と歌う。チェロの超絶的な技巧が披露されるだけでなく、魅力的な旋律も散りばめられている。
 第2楽章:アダージョ・マ・ノン・トロッポ。三部形式。美しい抒情的な緩徐楽章。クラリネットが優しい旋律を歌った後、独奏チェロがそれを受け継ぐ。中間部は非常に激しい音楽。オーケストラの全奏に続いて、独奏チェロが、ヨゼフィーナの愛した歌曲「ひとりにして」をト短調に転じて作られた主題を歌い始める。
 第3楽章:アレグロ・モデラート。ホルンがロンド主題を導いた後、独奏チェロが完全な形でロンド主題を提示する。そして、クラリネットと独奏チェロが絡む抒情敵な副主題、独奏チェロが愛らしく歌う民謡的な副主題などが現れる。その後、コーダでコンサートマスターが「ひとりにして」に基づく旋律を奏で、クラリネットやホルンが第1楽章を回想する。

◆ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88
 前述のように1889年の夏から秋にかけてヴィソカー村の別荘で作曲され、翌年2月にプラハで作曲者自身の指揮によって初演された。ドヴォルザークは、クラシック音楽史上でもトップ・クラスのメロディ・メーカー(旋律作家)として知られているが、この交響曲第8番は、彼のメロディ・メーカーとしての魅力が最も顕著に表れた交響曲である。この曲には、楽曲構成を分析する上で、従来の交響曲の形式にはきっちりとはまらない部分があるが、それは、彼が新しい形式を生み出そうとしたというよりも、形式にとらわれないでどういう風に美しいメロディを活かして交響曲を作り上げるかに苦心した結果であるといえるだろう。
 第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ。ソナタ形式。冒頭、チェロによって奏でられるノスタルジックな旋律が、展開部ではチェロに、再現部ではトランペットによって再現される。牧歌的で美しい旋律が巧に絡み合っていく。第2楽章:アダージョ。A-B-A'-展開-B'-コーダ、とい構成。哀愁を感じさせるAの部分と夢のように美しいBの部分との感情の変化の妙。Bの部分でコンサートマスターが美しいソロを奏でる。
 第3楽章:アレグレット・グラツィオーソ。三部形式。一度聴いたら忘れることのできない美しい旋律で始まる。中間部が愛らしさに満ちている。ドヴォルザークが書いた最も魅力的な音楽の一つといえる。
 第4楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ。変奏曲を織り込んだ三部形式。トランペットによるファンファーレのあと、チェロの主題が変奏されていく。ハ短調の副主題を第2主題とすると、ソナタ形式と解釈することもできる。



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