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ストーリー

わが魂は輝く水なり−源平北越流誌−
作:清水邦夫 演出:蜷川幸雄

2008年5月4日(日・祝)〜27日(火)
Bunkamuraシアターコクーン

「自分が演劇人としてスタートした時のことを、埋没させず、つねに喚起しないと危ないということを、強く感じているんだと思う」。

ここ数年、蜷川は意識的に清水戯曲と向き合っている。その理由を「原点回帰」だと、蜷川は言う。 60年代から70年代にかけて、若い世代の「熱」が世界を大きく揺るがした。ベトナム反戦運動、ヒッピー、ビートルズ……敗戦の傷跡がいまだ色濃く残る日本も、安保、学生運動、連合赤軍の浅間山荘事件と、過激な熱を帯びていた。そんな中、蜷川と清水は、演劇を通して社会を挑発しようとした。しかし、学生運動がそうであったように、蜷川と清水の活動もやがて終局を迎え、それぞれ新たな道を歩むことになった。

80年、清水は劇団民藝に『わが魂は輝く水なり』を書いた。蜷川は公演を観に行かなかったが、台本は読んだ。「これはまるで俺たちのことを書いてるみたいだ」。源平の合戦という枠を借りて、清水は“あの時代”を書いていた。蜷川はその後、複数のプロデューサーからこの作品を演出するよう提案されたそうだが決心がつかず、初演から四半世紀以上たってようやく向き合うことになった。野村萬斎、尾上菊之助という、若い世代を迎えて。

美しい台詞、レトリック、そして緻密な構成。稽古場での蜷川は、いつにも増して、じっくりと腰をすえて、戯曲に向き合っている。まるで台詞のひとつひとつが言霊であるかのように大事に扱い、人物の心の襞を丁寧に表出しようとする。そして、行間に多用される「……」の読み取りを俳優にしっかり期待する。「それは共感なのか嫉妬なのか、言葉の動機をはっきり見せてくれ」、「心が入ってほしい、心で伝えて」。蜷川の一貫した姿勢は、背景に流す音楽の選択にも及び、「そんなワーグナー風の曲だと、今までの俺の芝居みたいだなあ。俺は、スペクタクル性を抑えたいんだ」と、柔らかな口調で要求する。

「稽古場は色々と試みる場所なんだ。とにかくやってみよう」との蜷川の言葉に、ある日、萬斎は粘り強く「森」と自分との距離感を測ろうとしていた、菊之助は、「海面(うみづら)からの風」という言葉の朗誦で、空間を大らかに広げる工夫を繰り返している。そして時折、蜷川の口からこぼれ出る清水邦夫のこと、あの頃のこと。カンパニーの圧倒的多数は、学生運動や浅間山荘事件をリアルタイムで実感してはいないし、アンダーグラウンドと呼ばれた演劇人の活動も目にはしていない。しかし“彼らの時代”の熱さ、強さは、蜷川の言動を通して確実に次世代に伝わっている。いつだったか、蜷川の稽古場を或る若いキャストがこう語っていた。「なかなかこんな体験はないんです。俺、本当に頑張って戦わなきゃなって思う」。

演劇ライター/谷田尚子

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