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清原惟映画監督

“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語る「Bunka Baton」。今回は、ベルリン国際映画祭などで国際的に評価され、最新作『A Window of Memories』では山形国際ドキュメンタリー映画祭2025インターナショナル・コンペティションに選出された清原惟監督にお話を伺いました。

『惑星ソラリス』が開いた扉。
「自分のまま」入り込める映画

『わたしたちの家』(17)『すべての夜を思いだす』(22)とベルリン国際映画祭などで国内外から評価を重ねてきた清原惟(きよはら・ゆい)さんが初めて映画を撮ったのは17歳のとき。ただ、のめり込んだきっかけは「撮ること」よりも「観ること」の方が先だったといいます。

「押井守監督の作品が好きで、そこから遡ってTSUTAYAのDVDコーナーでアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(72)を借りて観て、すごく興味を持ちました。ジャック・リヴェットやヌーヴェルヴァーグなど、私が映画を好きになるきっかけになった作品には、自分が自分自身のまま入り込める感覚があったんです。自分の世界と地続きにあるという実感にすごく惹かれました。その後、身近な友人たちと映画を作って、世界の見え方が変わったり、別の世界を作り上げられたりする体験が、すごく楽しかったんですよね」

「それまでスクリーンで見てきた女性像は、髪が長くて、白や赤のワンピース姿ばかりでした」と清原さん。そうした男性のまなざしにとらわれず、生き生きと動く女性たちを撮ったリヴェットは、若き日の彼女にとって「異質」でまぶしい存在だったそうです。

「当時そこまでフェミニズムの意識があったわけではないですが、大学の卒業制作では、ステレオタイプ化された女性像ではなく、身近にいる女の子たちを出したいと思って、スウェットにパジャマみたいなズボンを履いた子を主人公にしました」

模索し続ける、フラットな現場のかたち

意外にも、清原さんは「監督になりたい」と願ってこの道に進んだわけではありません。「作品を作りたい」という思いから、武蔵野美術大学映像学科を経て、東京藝術大学大学院で黒沢清さん、諏訪敦彦さんのもとで学びました。

「人前に立つより、一人でこつこつ作りたいタイプなので、大きな現場ほど『周りを引っ張らなくては』というプレッシャーや、トップに立っている感覚に、違和感が増えていきました」

そんなもやもやを抱えていた大学院時代、背中を押したのは、のちに『石がある』(23/清原さんも助監督として参加)で注目される先輩・太田達成さんの言葉でした。

「太田さんが、修了制作を、どんなメンバーで、どんなコミュニケーションをしながら大事なところを作っていくか、そのプロセス自体をとても重視した、と話していて。そう言う人はほとんどいなかったので衝撃でしたし、そういう先輩がいたことがすごく救いでした。今でも、できる限りトップダウンではなく、みんなで楽しく作れる方法を模索しています」

祖母の「言ってこなかった」話。
記憶を文字に移すということ

フラットな現場づくりと歩みをともにしてきたのが、土地や人を丁寧に取材し、そこから物語を立ち上げる方法です。「リサーチを本格的に劇映画へ生かしきった」一本として清原さんが挙げたのが、前作『すべての夜を思いだす』(22)。多摩ニュータウンを舞台に、世代の異なる三人の女性の一日が、街の記憶に触れながら交差する作品で、第73回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に選ばれました。

想像の窓を開け、街や住まい、人に積み重なった記憶をすくい上げるまなざしは、最新作『A Window of Memories』にもそのまま息づいています。父方・母方、二人の祖母への聞き取りを軸に、祖母を知らない、世代の離れた二人の俳優たちが、その語りを朗読していく本作。出発点は、祖母がふと漏らした一言でした。

「繊維工場に嫁いだおばあちゃんが、社長業を継いだおじいちゃんの傍らで、あるとき『工場の切り盛りは私が長く担っていたんだよ』と教えてくれて。『でも、大っぴらにしてはいけないと思って、家族にも打ち明けたことがない』と。その話を聞いて、私が関心を持ってきた、抑圧されてきた女性たちの声のようなものを感じて。『市井の人だから残すようなことでもない』と思われている人たちの話こそ、本当は聞かれるべきなんじゃないか。そういう気持ちが強くなりました」

当初は映像で記録していたものの、膨大な素材を前に「どう切り取るかを私が勝手に選んでいいのだろうか」と立ち止まったという清原さん。そこで選んだのが、日記や手紙に親しんできた祖母たちと、語りを文字にして共に編集する方法でした。

「文章を読んでもらって、消したいところに線を引いてもらったり、足りない部分のメモを持ってきてくれたり。その作業を繰り返して覚えたのは、紙という物理的なものを挟むことで、おばあちゃんの話ではあるのだけれど、それが語り手の体から離れて、第三者のような存在になっていく感触でした」

その感触を大事に、清原さんは映像の主導権をそっと祖母たちの側へ返していきます。二人の祖母は、年齢も、育った土地も、恋愛結婚とお見合いという歩みも、性格も大きく異なります。「比べようもない別々の存在」として見ていた清原さんですが、言葉を重ねるうちに、思いがけないものが浮かび上がってきたといいます。

「以前は違いの方が大きく見えていましたが、話を聞くうちに、むしろ共通点が見えてきたんです。それが私にとっても意外でしたし、発見でした」

個人の記憶が、女性たちが生きた時代の記憶に開いていく

なぜ、祖母本人ではなく見知らぬ俳優二人に朗読を託したのか。そこには「個人の記憶を、知らない誰かの話で終わらせたくない」という清原さんの願いがありました。

「私にとって二人のおばあちゃんは身近で大切な存在だけど、その関係性は観客には伝わらない。だからこそ、もう少し遠くに届けたくて。個人の話でもあるけれど、歴史の話でもあり、いろんな女性の話でもある。その広がりや距離をどう表現できるかと考えたとき、全然知らない、世代も違う女性たちに読んでもらうというアイデアが出てきたんだと思います」

記憶はそもそも、起承転結の整った物語のかたちをしていないもの。だからこそ語られなかった無数の広がりを感じられるよう、本作はあえて記憶を断片のまま差し出します。

「語られていることがあって、語られていないことがあるじゃないですか。語られていないことは膨大にあって。そもそも一人の人生を一本の映画にすることは不可能ですし、再現もできなければ、誰かが全部を同じように経験することもできない。綺麗に物語化してしまうと、それが全てのように見えてしまう。だから、ここには語られていない無数のことがある、というテキストのあり方にしたかったんです」

作品は、デモに行ったり、フェミニズムの勉強をともにしてきた仲間と立ち上げた自主レーベル「amieee」の手で、劇場へと届けられます。手ざわりを保ったまま観客のもとへ運ぶことも、清原さんにとっては映画づくりの一部なのだと感じさせます。最後に、これからについて尋ねました。

「なるようになるしかない、と思っているんですけど(笑)。それでも、人の話を聞く時間は自分にとってすごく大切なので。どう作品にしていくかはわかりませんが、これからも続けていきたいです」

取材・文:小川知子


〈プロフィール〉

映画監督、映像作家。1992年生まれ、東京藝術大学大学院の修了制作作品となった初長編作品『わたしたちの家』(17)がPFFアワードでグランプリを受賞、ベルリン国際映画祭フォーラム部門に出品された。その後いくつかの短編を手がけた後『すべての夜を思いだす』(22)を発表。再びベルリン映画祭フォーラム部門に選出されたほか、釜山や北京など各国国際映画祭、そしてNYリンカーンセンター「New Directors/New Films 2023」でも上映される。2025年には東京・Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて映画館では初となるレトロスペクティブ上映を開催。ほかの活動として5th floorで展覧会「ユートピアのテーブル」を企画・展示するなど、映画にとどまらず土地やひとびとの記憶についてリサーチを元にした映像作品の制作も行う。

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〈作品情報〉

A Window of Memories

Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて2026/8/7(金)よりロードショー

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