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狂言作者の仕事竹柴潤一

文化芸術を支える“裏方の役割”にスポットライトを当てる「Behind Bunka」。今回は歌舞伎の狂言作者です。 歌舞伎の狂言作者の仕事はとても多種多彩です。柝を打つ、舞台の進行をする、手紙や楽屋の札、着到板まで文字に関わることはほとんど担当する。もちろん、台本も書きます。竹柴潤一さんは数少ない狂言作者の一人です。『本朝白雪姫譚話』(坂東玉三郎主演)で大谷竹次郎賞奨励賞を、そして『荒川十太夫』(尾上松緑主演)で大谷竹次郎賞を受賞しました。

稽古場で「わかりません」と言わないように

狂言作者の仕事はその月の公演前から始まります。演目と出演俳優が決まると、幹部さん、名題さん(お弟子さん)の配役は松竹が決めますが、名題下さん(お弟子さん)たちの配役は狂言作者が決めます。決めたら、配役をまとめて、衣裳さん、床山さん、かつら屋さん、小道具さんなどに知らせて発注します。
「そのために作るのが『附帳(つけちょう)』で、これがすなわち発注書になります。未だに茶半紙に手書きです。私たちの仕事は電気ができる前に確立しちゃったものですからね、超アナログで(苦笑)」

附帳は2タイプあって、一つは私たちが使うもの、もう一つは衣裳さんや小道具さんなどに渡すもので、それは余白がとってあります。どの役がどんな衣裳で、小道具は何でと書き込んで記録として残すためです。同じ演目が掛かった時に参考にします。附帳は閉じ方も紙縒りを使った和綴じ。私の頃は紙縒り作りが見習いの一番最初の仕事でした。

翌月に入る興行と、どの演目を担当するかが決まると、演目について勉強します。歌舞伎の全体稽古は3回か4回しかありません。全員が「知っていて当たり前の世界」です。稽古場で何を聞かれても答えられるように備えます。また、文字を書くのも大事な仕事。劇中の手紙や書類、楽屋入り口にある着到板や場合によっては楽屋の名札まで。襲名の口上なども狂言作者が書きます。
同じ演目でも俳優さんや演出によって、やり方が違うこともあり、それもカバーしなければなりません。これらをほぼ半月で用意するそうです。

文字全般が狂言作者の仕事です。手紙などは汚れたり破れたら新しく書いて取り替えます。『俊寛』は赦免状をぐしゃぐしゃにするので、毎日、新しく書きます。俳優さんが劇中でひらく手紙はめくりやすいよう少しずらしており、きっちり半分には折らないようにするなど工夫をします。

開場から終演まで、ほぼすべてをコントロール

稽古が始まると稽古場につき、舞台稽古をして、初日を迎えます。
「三日御定法(みっかごじょうほう)といって初日から三日間は舞台にいる決まりで、何があろうと舞台のどこかにいます。稽古が短いから、台詞がフト出なかったり、間違える場合があるんですね。台詞に詰まってしまった人には、私たちがプロンプターをします。四日目以降は、気になっている人や頼まれた人だけに台詞の面倒を見ることが多いです」

本番中は舞台袖から全体を見守り、進行をコントロールします。

歌舞伎で柝を打つのは狂言作者の大事な役目です。開演30分前から、柝を打つことで合図を出し、舞台に来て下さいなど、様々なことを伝えます。
「開幕前に、大道具が曲がってないか、危なくないか、障子が動くか、小道具はちゃんとあるかなどの点検をします。そしていよいよ幕を開けます。この時も柝を打ち、基本柝ですべて進行します。幕が閉まったら、「しゃぎり」という、まだ今日のこの部のお芝居は続いてますよという鳴り物、それに合わせて、またちょんちょんと「しゃぎり止め」という析を打ちます。演目ごとに、これを繰り返して、昼の部、夜の部、全部が終わると打ち出しの太鼓が鳴ります。その打ち出しにつれて柝を打って一日が終わります」
また柝のほかにも、セリやスッポン、幕の上下など、全ての合図を出して、全体の進行をします。
「歌舞伎座では舞台袖に、ランプのスイッチが集約しているところがあって、音響さん、鳴り物さん、綱元さんとか、それぞれにつながっていて、そのランプで舞台の進行のきっかけを出します。あとは目の前の人に身振りで。インカムはあまり使いません。あえてアナログなのは、それが確実だから。インカムは電波が不具合を起こしたり、混線したらパアですからね」

柝にはいくつも種類があります。開演30分前に楽屋では「着到」という音楽が流れます。昔は座頭が楽屋入りをした時に流していたそうです。「着到」が終わったら楽屋の廊下で「着到止め」を打ちます。15分前には「二丁」、これはそろそろ化粧をやめて、衣裳とカツラをつけなさいという合図。5分前には「回り」を幕内で打ちます。これは、舞台へ来て持ち場につきなさいという合図。1幕が終わったら、「しゃぎり止め」。まだ今日のお芝居は続きますよと言う意味です。

たまたま見てしまった歌右衛門さんが、この世界へのきっかけに

潤一さんは落語好きで寄席には行っていましたが、歌舞伎はさほど興味を持っていたわけではありません。しかし、運命的な出会いをしてしまいます。
「高校三年生の10月14日、開校記念日でお休みだったので、国立劇場の『国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』を見たんです。錦祥女の前半が中村歌右衛門さんで、後半は魁春(当時五代目 中村松江)さんでした。歌右衛門さんが舞台へ出たとたん、「大成駒!」と大向こうが掛かって、その瞬間、何でもいいから、このことを考えて食べていける職業につきたいと思ってしまったんです。何がすごいのかはわからないけど、場内の『待ってました!』感がすごかった。次の日から歌右衛門さんは休演したので、最後の錦祥女を見てしまったんですね。歌舞伎を勉強したいと思って日本大学芸術学部へ進学。日大では勉強や研究もしましたが、実際に創ることもしました」

大学の恩師の言葉で、今もよく覚えているのが「日本人を表現するのに最適な手段は歌舞伎である」。私もそれは間違いないと思っています。歌舞伎は生きた人間が主役です。人間だから人を殺す。殺すというのは、よほどのことあるからで、そこに至るまでの葛藤、お家のことや恋愛や、いろいろあってのことだから、それが面白い。昔から日本人の変わらない部分があるから、歌舞伎は面白いし、人間って面白いと思います。

大学院に進んで、歌舞伎が好きなら、と紹介されて、2000年に狂言作者の道へ。その頃は人手が少なく、潤一さんのすぐ上の先輩は12年前に入った方でした。
「最初に言われたのは「柝が打てるようになりなさい」でした。初めて「しゃぎり止め」を任されたのは、平成12年(2000年)の5月歌舞伎座の『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』で、十七世市村羽左衛門さんが(長尾)謙信でした。「しゃぎり止め」を打ったら、羽左衛門さんが謙信の恰好で「音が小せええ!」って(笑)。その次の6月歌舞伎座の『義経千本桜』の「すし屋」の幕開けもやらせて頂きましたが、しっちゃかめっちゃか。そりゃね、打てませんよ」
幕開き、幕閉めができるようになると、一つの芝居を任される立場になるそうです。初めて一つの芝居を担当したのは、今の芝翫さん、当時、橋之助さんの2002年9月博多座『鳴神』でした。
「嬉しいよりは怖かったです。柝を打ったり、ランプで合図を出したり、先輩を見ているから、進行はできるんです。でも、台詞をつけるのがわからない。人の癖が分からない。俳優さんたちは、全部、言わないと駄目な人もいれば、台詞の頭だけ言えば、先は出てくる人もいる。黙って無性にこっちを見る人もいる。どのタイミングで、どの台詞を伝えればいいかが難しかったですね」

いつのまにか任されることが増えていき、気が付けば後輩が6人いる立場に。
「僕が入った時先輩は9人いて、全員が師匠です。怒られたことは多いです、柝がまずいとか、ちゃんと台詞をつけてあげなさいとか。先輩方それぞれの仕事を盗んで覚えて身につけるのも大変でした」

初めてこの世界に入った2000年の4月は十七代目中村勘三郎さんの追善公演でした。歌舞伎座の通路で、新米の私がウロウロしていたら、十八代目勘三郎さん、当時は勘九郎さんが「君ね、ホン書かなきゃダメだよ、ホン」と声をかけて下さったんです。まだ、柝も打ってない若造に。その時は、偉い先生方がたくさんいるのに、無理でしょうと思いましたが、今となっては感謝です。

自分が新作を書くようになるとは夢にも思わず

潤一さんは、これまでにいくつもの新作歌舞伎を書いていますが、最初は上演が途絶えた古典歌舞伎の復活が一つでも二つでもできればと考えていて、まさか、新作を書く立場になるとは「夢にも思わなかった」と笑います。
「松竹制作部の人が私の演芸好きを知っていて、尾上松緑さん主演で講談をもとにして書いたらと持ち掛けてくれました。松緑さんも、私が演芸好きだと知っていたと思います。(尾上)菊五郎劇団の芝居につくことが多く、国立劇場の初春公演など新しいものを作る現場に居させて頂き、相当鍛えられました。松緑さんも、僕のそういう姿を見ていて、あいつに書かせればいいのではと思ったのかもしれないですね」          
『荒川十太夫(あらかわじゅうだゆう)』は上場しようとした矢先残念ながらコロナ禍で延期に。その後、坂東玉三郎さんから『白雪姫』を書くようにとご指名があり、それが『本朝白雪姫譚話(ほんちょうしらゆきひめものがたり)』として上演され、大谷竹次郎賞の奨励賞を受賞。コロナ禍ののち三部制で歌舞伎座が再開した時に、やっと『荒川十太夫』を上演することができました。
「それから、コンスタントに脚本を書かせて頂けるようになりました。松緑さんは講談シリーズは今後も続けていきたいとおっしゃっています。松緑さんはどこかで見たことあるようなテイストの新作にしたいと指針を示して下さって、僕としてはすごくありがたい。脚本を作るには自分の中での歌舞伎の捉え方や構築の仕方などがしっかりしていないと無理。ですから、いい勉強をさせてもらっていると思っています。義理人情とか、今の人が忘れがちなことを、講談は取り扱っていることが多く、大事にしたいと思っています」

これは歌舞伎座の狂言作者部屋です。パソコンはありません。ここで台本を直したり、劇中で使う文字を書いています。東京の狂言作者と関西の狂言方は職掌が微妙に違います。東京は狂言作者だけで、文字を書き、台詞をつけて、柝を打ちます。関西は狂言作者と狂言方にわかれますが、現在は狂言作者がいません。狂言方は柝は打ちますが、字は書かないし、台詞もつけません。今は必要に迫られてセリフや文字書きをやっている状況です。関西の狂言作者は字を書き、台詞もつけますが柝は打たない。狂言方は大道具や仕掛けを兼ねるので、ゴールが大道具方か舞台美術家。狂言作者はゴールが脚本家だと思います。

歌舞伎を知って、好きになってもらいたい

この仕事を選んだのには、歌舞伎好き故の大きな目標があります。
「今の日本で、歌舞伎を知っている人が本当に少ないんです。中村屋(十八世勘三郎)さんもおっしゃっていましたが、1回見て嫌いにならないでほしい、5回は見てほしいと。でも、歌舞伎そのものを知らないと5回も見ないですよね。まず、知ってほしいんですよ。あわよくば好きになってほしいんです。そのためには、皆さんに喜んで頂ける芝居を作りたい、それはいつも頭から離れません。それに嘘をつかないホンを書くことが私の仕事だと最近、強く思い始めています。今回はTHEATER MILANO-Zaでの歌舞伎町大歌舞伎にて「こえかぶ」パートの台本アレンジのお役目を仰せつかりました。普段歌舞伎になじみのないお客さまにも歌舞伎の面白さ、楽しさをお伝えすることのできる、またとない機会だと思っております。歌舞伎が好きになって下さる方がこの公演で増えて頂けましたら、この上の喜びはございません」

この4月に久しぶりに新人が入りました。でも、まだまだ人材は必要と潤一さんは歌舞伎全体を考えます。
「自分の足跡を残すとかではなく、こののちもお客さまが喜んで下さる仕事をすることが一番。そして、このネット記事を読んで、この仕事に興味を持った方は、ご連絡下さったら幸いです」

黙阿弥は「三親切」と言っています。座元、役者、お客さま、それぞれに親切と言う意味です。座元には予算が掛からなくて、お客さまが入る芝居を、役者には筋が面白くて、自分の役にしどころがある、お客さまにはわかりやすくて喜んでもらえる、そういう芝居を作りましょうということなんです。どこまでできるか分かりませんが、忘れてはいけないことだと思っています。

 

取材・文:沢美也子


〈プロフィール〉

日本大学大学院芸術学研究科舞台芸術専攻修士課程修了。2000年4月、歌舞伎狂言作者部屋入門。翌2001年8月より竹柴潤一を名乗る。2019年12月歌舞伎座「本朝白雪姫譚話」(坂東玉三郎主演)脚本で第48回大谷竹次郎賞奨励賞受賞。2022年10月歌舞伎座「荒川十太夫」(尾上松緑主演)脚本で第51回大谷竹次郎賞受賞、また同作品の成果が第77回文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞。


〈公演情報〉

歌舞伎町大歌舞伎 三代猿之助四十八撰の内
『獨道中五十三驛』

2026/5/3(日・祝)~5/26(火)
会場:THEATER MILANO-Za (東急歌舞伎町タワー6階)

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