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第14回「せ」

クラシック音楽、演劇、アートなどには独特の専門用語が使われていて、知っておくと文化芸術をもっと楽しめるようになるものがたくさんあります。そうした用語の数々を、誰かに話したくなるようなトリビアを交えて解説する「Bunka Dictionary Bunka辞典」。第14回は「せ」です。

【整音・整調】せいおん・せいちょう/音楽/日本語

ピアノは鍵盤と連動したハンマーが弦を叩く仕組みで音が発生し、すべての部品を数えると約8000個あると言われています。こうした複雑な構造を持つピアノを演奏に適した状態に整える調律作業は、専門の調律師が定期的に行っています。

ピアノ調律の主な作業は、弦の張力を調整しながら音の高さを正しく合わせていく「調律」のほか、鍵盤の高さやアクションの動きを整える「整調」と、ハンマーに巻き付けられたフェルトの硬さを調節して音色のバランスを整える「整音」があります。音程をチューニングする調律はもちろん、指で触れる際の鍵盤のタッチを調整する整調も、フェルトの弾力性を整えることで音質を調整する整音も、表現力豊かな演奏を実現するには大事な作業です。

【絶対音楽】ぜったいおんがく/音楽/日本語

19世紀ヨーロッパのロマン派音楽の時代には、楽曲で表現する内容を標題(文字)で説明したり、標題として掲げられた内容を音で描写する「標題音楽」がさかんになりました。ベルリオーズの『幻想交響曲』やリストの交響詩が代表例で、標題は楽譜に記されました。

一方、ロマン派以前の古典派音楽の形式や様式を重んじていたブラームスは、「楽曲は音楽のみで構成するもの」という古典派の伝統に沿って作曲し、自らの楽曲に標題を付けませんでした。こうした言葉の力を借りない純粋な器楽としての音楽を、標題音楽と区別する概念として「絶対音楽」と分類されるようになったのです。なお、絶対音楽と標題音楽は相容れることのない概念であったため、絶対音楽派ブラームスの友人である評論家ハンスリックと標題音楽派の代表格ワーグナーとの間で激しい論争が起きました。

【セリ】せり/歌舞伎・演劇・オペラ・ミュージカル/日本語

劇場の舞台機構の一つとして、舞台床面の一部に四角い穴をくり抜き、そこに奈落(舞台下)と舞台をつなぐ昇降装置が設けられてます。この仕掛けに役者や大道具を乗せ、たとえば歌舞伎では亡霊や妖怪など非現実的な役が登場するシーン、オペラやミュージカルでも、舞台転換や演出効果として用いられることがあります。こうしたドラマティックな演出に欠かせない昇降装置は「せり上がってくる」という意味から「セリ」と呼ばれ、大道具を乗せる大きな「大ゼリ」と、役者を乗せる小さな「小ゼリ」があります。古くは滑車を用いるなどして人力で動かしていましたが、現代の劇場では電動になっています。

セリが最初に舞台で用いられたのは江戸時代の歌舞伎でのこと。宝暦3年(1753年)に狂言作者の並木正三が『けいせい天羽衣』を上演するにあたって、三間(約5.3m)四方の舞台をせり上げるという大掛かりな舞台転換を行い、大変な評判となったそうです。なお正三は、ほかにも宙乗りや廻り舞台など現在も使用される舞台機構の多くを考え出したアイデアマンとして知られています。

【世話物】せわもの/歌舞伎/日本語

江戸時代に誕生した歌舞伎の古典演目は、江戸時代よりも古い時代の公家や武家の世界を舞台とした「時代物」と、江戸時代の町人の生活を題材とした「世話物」に分けられます。いわば初演当時の江戸庶民にとって時代物が“時代劇”だったのに対し、世話物は“現代劇”にあたります。世話物に登場するのは、長屋の衆や職人など町のどこにでもいそうな人たち。演技や台詞は日常で用いられているものに近く、観劇する庶民にとって身近な作品世界として感情移入を誘ったのです。

世話物をさらに細分化したジャンルとして「生世話物(きぜわもの)」があります。これは、江戸時代後期の文化・文政期に活躍した鶴屋南北が確立したもの。それまでの世話物が描くことのなかった最下層の人々の生活、あるいは人間の性根をよりリアルに描いているのが特徴です。なお、世話物は一日の興行で時代物の後に上演されていたことから「二番目物」とも呼ばれるようになりました。

【千秋楽】せんしゅうらく/歌舞伎・演劇/日本語

複数日にわたって同じ演目を行う興行における最終日のことを「千秋楽」と呼び、縮めて「楽日(らくび)」「楽(らく)」とも言われます。「この日で最後」ということで観客にとっても制作側にとっても千秋楽は特別な意味を持つ日であり、その日だけ台詞や演出の変更が加えられたりサプライズゲストが登場することもあります。

千秋楽は江戸時代に歌舞伎と大相撲の用語として使われたのが始まりで、現在は演劇など興行一般で広く用いられています。語源は諸説ありますが、舞楽法会で最後に演奏される雅楽の曲名「千秋楽」にちなんだという説が広まっています。なお、火事が多かった江戸時代では「秋」の「火」の字は縁起が良くないとされ、おめでたい「亀」の字を当てた「千穐楽」と表記することが多かったそうです。