深く知り、さらに楽しむウェブマガジン

絵本だけではない!レオ・レオーニの激動のアーティスト人生

小さな魚の物語『スイミー』や野ねずみのフレデリックと仲間たちを描いた『フレデリック』など、世界中で長年にわたって読み継がれている名作を残した絵本界の巨匠レオ・レオーニに焦点を当てた『レオ・レオーニの絵本づくり展』を2025年7月5日からヒカリエホールで開催します。レオーニの絵本の魅力と言えばその表現の多様性にありますが、それは彼が絵本以外にも絵画やグラフィックデザインなど多彩な分野の作品を手がけていたことが大きく影響しています。そうした多岐に渡る活動を通じて、レオーニのスタイルや世界観がどのように確立されていったか紐解きます。

イタリアの前衛芸術運動にも参加した“芸術家レオーニ”

1910年にオランダで実業家の父とオペラ歌手の母の間に生まれたレオーニ。大叔父と母方の叔父が美術品コレクターだったことから名作絵画に親しむ機会を多く持ち、近くにある国立美術館へ通ってデッサンの基礎を習得しました。このように芸術的に恵まれた環境で育ったことによってレオーニは芸術の素養を養っていったのです。また、当時のオランダが“モンテッソーリ教育”を考案したモンテッソーリの影響を受け、芸術や自然観察を重視する先進的な教育が行われていたことも見逃せません。その影響もあり、レオーニも自然や動物を好むようになり、ガラス製の容器に動植物を入れて飼育栽培するテラリウムに熱中。これはレオーニの絵本の重要なイメージの源泉となりました。
やがて成長したレオーニは画家を志すようになりますが、父に諭され大学に進学して経済学を専攻。それでも芸術への興味を捨てきれず抽象画の制作に熱中し、イタリアの前衛芸術運動である未来派の芸術家たちと活動を共にしました。それは2年にも満たない短期間でしたが、この活動を通じてレオーニはブルーノ・ムナーリなど多くの芸術家たちと知り合い、後年には互いに影響を与え合う関係となったのです。またレオーニは、当時のミラノの世相に刺激されて風刺画やユーモア漫画を制作しました。彼の絵本に見られる卓越したユーモアセンスは、この頃からすでに片鱗を覗かせていたのです。
一方、レオーニは家庭の事情でヨーロッパ各地やアメリカを転々としていて、その経験も芸術家レオーニの原点となっています。いろいろな社会を見ることによって自身のアイデンティティの模索や社会との関わり方について思いを巡らせ、それらが芸術家としての創作意欲と融合し、後年の絵本制作へと結実したのです。

ニューヨーク屈指のアートディレクターとしてグラフィックの才能を開花

1930年代半ばからミラノでグラフィックデザインの仕事に携わるようになったレオーニは、イタリアで差別的な人種法が公布されたことをきっかけに1939年に渡米。最初こそ仕事探しに苦労しましたが、アシスタント・アートディレクターとしてキャリアをスタートさせると、持ち前のユーモアやモダンなデザインセンスが評価され、いつしかニューヨークを代表するアートディレクターに。企業の広告から雑誌の表紙までさまざまなクライアントの案件を手がけ、クリエイターとしても才能を存分に発揮しました。
また、当時からレオーニは多くの芸術家と交流し、将来性豊かな若手にアドバイスを与えたり親身に世話を焼いていたそうです。その中の一人が『はらぺこあおむし』で有名な絵本作家エリック・カールで、イラストレーターだったカールに絵本を描くことを勧めたのもレオーニでした。このように目をかけた芸術家たちにレオーニは仕事を与え、活躍の場をつなぐ役割も果たしていたのです。その一方、自身も休日の限られた時間に風景、静物、人物を描き、1947年にはニューヨークで個展を開催。実在する人物と想像上の人物が入り交じった油彩画「想像肖像」シリーズなど、現実と空想の境界線を越えた独自の世界を探究し、画家としての道を切り開いていったのです。

絵本の制作を通じて“自分の物語を自分の絵で伝える喜び”を知る

そして1959年、レオーニは青と黄の抽象的な形がストーリーを織りなす絵本『あおくんときいろちゃん』を発表。それは抽象形だけで物語を表現したレオにとって初めての絵本で、グラフィックデザイナーとしての視点を存分に生かした唯一無二のオリジナル。レオーニは自身の物語を自らの絵で表すことへの充実感を初めて知りました。
なお、『あおくんときいろちゃん』はレオーニが孫を楽しませるために即興で創作した物語が始まりですが、その原点として、1958年にブリュッセル万国博覧会で米国特設パビリオンのアートディレクターを務めた際の経験が大きく影響しているとも考えられています。レオーニはパビリオンで理想の世界像を表現すべく、いろいろな人種の子どもたちが輪になって遊んでいる写真を展示したものの、政治的圧力で差し替えられてしまいました。孫のアニーさんによると、レオーニが『あおくんときいろちゃん』で表現した7つの「まる」たちは、その写真の様子とそっくりだったというのです。つまり、レオーニは自らが理想とする世界観を伝える方法として絵本の可能性に気づいたわけです。

左から、レオーニの孫のアニーとピッポ

その後レオーニは、芸術家として創作活動に専念するため1961年にイタリアへ帰国。「想像肖像」シリーズのほかにも、レオーニの想像力が産んだ架空の植物をテーマにした「平行植物」シリーズなどに取り組む一方、1年に1冊のペースで晩年まで絵本の制作を続けました。レオーニの絵本は、主人公が悩みや困難を抱えながら、自分のアイデアや仲間の協力・助言によって乗り越え、自己のアイデンティティに気づくというストーリーが大きな特徴。絵本というメディアを通じて、子どもたちに大切なメッセージを伝えようとしたのです。
絵画、グラフィックデザイン、絵本など幅広いフィールドで活動し、多彩な表現方法を使い分けながら自らのメッセージを作品に託したレオーニ。そうした創作の軌跡に思いを馳せると、彼の作品から得られる驚きと感動がいっそう増すことでしょう。

文:上村真徹


〈展覧会情報〉

レオ・レオーニの絵本づくり展

2025/7/5(土)~8/27(水)
※休館日:7/24(木)
ヒカリエホール(渋谷ヒカリエ9F)

詳細はこちら