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今月のゲスト:秀島史香さん @奇想の王国 だまし絵展


ID_032: 秀島史香さん(ラジオパーソナリティ)
日 時: 2009年6月22日(月) 
参加者: ギャザリングスタッフ(中根大輔、高山典子、海老沢典世)

PROFILE

秀島史香(ラジオパーソナリティ)
幼少から高校卒業までニューヨークで過ごす。
慶應義塾大学法学部政治学科卒。在学中からラジオの世界へ。
J-WAVE81.3FM 『GROOVE LINE』をはじめ、TV、CM、映画のナレーションのほか、声優、アーティストの楽曲参加、通訳や歌詞対訳などマルチな活動を展開。
『j- nude』(朝日新聞社)でのコラム連載、音楽・映画レビューなどの執筆活動も行う。
日英で読み聞かせナレーションを担当した絵本DVD『こびとづかん』も好評発売中。
これまでに訪れた国は30カ国以上。現地での美術館めぐり、路地裏探訪を欠かさない。

秀島史香ブログ:http://hideshima.blog.so-net.ne.jp/


『驚きと発見の展覧会』


海老沢:今回はこども用の音声ガイドでナレーションを務めてくださった秀島史香さんにお越しいただきました。『だまし絵展』いかがだったでしょうか。

秀島: とにかく古今東西の作品がたくさん集められていて、最初から最後まで見所満載なんですけど、個人的には浮世絵が嬉しかったですね。浮世絵っていうと、古い家の床の間に飾られている絵、みたいなイメージがあるかもしれませんが、歌川国芳の“寄せ絵”にしても、広重の宴会芸の“影絵”にしても本当にユーモラスで楽しいですよね。

海老沢: 日本の浮世絵って、だまし絵の文脈で展示されることは少ないので、若い人にも大変興味を持って見ていただいていますね。
浮世絵に限らず、今回は現代アートも展示されていますが、今までのいわゆる“だまし絵展”には登場しなかった作品もたくさん含まれています。現代アートは“絵”じゃないものも多いんですね。ただ、“だます”ということを“視覚への挑戦”と考えれば、さまざまなジャンルの作品を、ぜひこの文脈で見ていただきたいなと。ですから、今回は名古屋、東京、兵庫の巡回展なんですが、それぞれの美術館の学芸員が、展示したい作品をピックアップして、みんなで議論を重ねて絞り込んだ上で、選んだものもあるんです。

秀島: 浮世絵の会場の中にあった、円筒を立てて見る“さや絵”は、発祥は中国で、その後ヨーロッパに伝わって、日本にはオランダから入ってきたんですよね。そういう伝わり方の歴史も不思議ですよね。

海老沢: 車や飛行機のない時代でも、やはり本当に面白いものは、国境を越えてちゃんと伝播して行くんですね。掛け軸に描いた“描表装”は日本オリジナルですが、他のものはやはりいろんな国の影響を受けていると思います。

秀島:“描表装”では、絵の部分はもちろん、掛け軸の軸の部分に模様が施されているものもあってびっくりしました(笑)。こういうのを見つける楽しみも、だまし絵展ならではですね。
掛け軸の絵では、幽霊を描いた作品がすっごく印象に残っていますね。どれも鬼気迫る表情で、夢に出てきそうじゃないですか(笑)。特にホラーが好きなわけじゃないんですが、昔の人がどういう理由でこんなに怖い幽霊を描いたのか、そしてまたそういう絵がなぜ人気があったのか、作者の着想や人々の心の機微みたいなものに惹かれますね。

中根: 僕は昔から、夏の暑い季節に怖いモノを見たり、怖い話をしたりして“涼”を感じるっていう、日本人の感性って面白いなって思ってたんですよ(笑)。お金もかかりませんしね(笑)。ただ、描く方はずっと向き合っているから大変でしょうし、確かにそのあたりの理由や目的がなんだったのかって考えると不思議ですよね。

海老沢: 今回の展覧会の第1章から第4章までの作品は、電気が無かった時代の作品という見方も出来るんですね。当時の、より暗い室内に絵が置いてあると、全然違う見え方だったと思います。ヘイスブレヒツの《食器棚》なんかも暗い部屋の中で間接照明で見ると、光の中にぼんやりと浮かび上がって、本当にリアルだったんじゃないでしょうか。それは当時の日本でも同じで、“だまし絵”が人を驚かすという目的もあるとすると、和室の薄暗いところで、人が一番見たくないものっていうと...おのずと幽霊になったのかもしれませんね。

秀島: なるほど、そうかもしれませんね。今回は作品ごとにどのくらいの照明をあてるかに関してはすごくこだわりがあるんじゃないですか?

高山: 特に浮世絵の章の作品は、ほとんど紙に描かれていますから、他の油彩画と比べると、光の量は半分以下ですね。それでも、当時の室内と比べるとまだ明るいはずです。そう考えると、この暗さの中で幽霊の絵を見せられると、かなりリアルだったと思います。きっと、床の間なんかに飾っていたら、例えば泥棒なんかが入ってきた時には、驚いて逃げちゃうでしょうね(笑)。

海老沢: 目的もそうですが、誰のために、ということも考えながら見ていただくと面白くて、特に最初の古典的な絵のほとんどは自分のために描いていないんですね。注文があって描いたわけです。ヘイスブレヒツの《静物》と《静物と自画像》なんてほとんど同じですよね。「なぜ同じようなものが並んでいるのか」、というお問い合わせもいただくんですが、要するに注文をたくさん受けた絵ということで、量産しているわけです。スルバランのキリストの顔が布の上に描かれている《聖顔布》も、同じような作品が何枚もあるんです。もちろん、自分のためや、技量を見せるためという理由もあったと思いますが、基本的には、人を驚かせたい、家におきたい、そういう人がたくさんいて成り立っていた世界なんですね。そういう風に想像していただけるとより面白いかと。

秀島: そう考えると、昔の人が何を面白いと感じたのかとか、どういう遊び心を持っていたのかとか、すごく身近に感じられますね。

中根: 後半、現代美術がメインになりますが、個人的には高松次郎さんの《影A》とか、福田美蘭さんの《壁面5°の拡がり》とか、どこか主体が消えているというか、喪失している感じが伝わってきたんです。本城直季さんの作品も人物がたくさん写っているんですが、どれも表情は全然わからなくて。だからこそ、こういった場に展示できるのかもしれませんし、作品としてはめまいがするような新鮮な経験を提供してくださるんですが、それがすごく気になりました。さっきの海老沢さんのお話を伺って思ったんですが、それ以前の作品は、何かが“浮かび上がって”きている感じがしますね。

海老沢: メディアの発達や、さまざまな情報が氾濫する時代の中で、現代美術は、ある意味直球勝負をしづらくなったという見方も出来るんじゃないでしょうか。絵や写真そのものによる表現だけでなく、今まで以上に見る側のことを意識していて、どういう風に見せるか、伝えるか、ということがすべて計算されている気がします。パトリック・ヒューズの《水の都》に驚かれるお客様が多いのですが、16世紀の作品から見ていただいた会場の最後に展示してあることも無関係ではないと思いますし、また、そういうだまし絵の歴史の流れの中で何かを感じていただきたいというのもコンセプトとしてありますね。

高山: 今回は、時代や国境を越えているからこそ、それぞれの時代が持つ側面が浮かび上がってくるのかもしれませんね。さらに作品を突き詰めて行くと、美術って、アートってなんだろう、というような原点に立ちかえるというか、根本的な部分を考えさせらるんです。本当に気づきの多い展覧会だと思います。

中根: 秀島さんは、ラジオというメディアでお仕事をされているわけですが、実際に伝える相手であるリスナーはその場にいないわけですよね。そういう状況の中で“言葉”を使って“伝える”という作業を行う時に、具体的な“相手”の存在を想定するわけですか?

秀島:それはいつも意識していますね。特にラジオでは必要だと思います。どういう方が聞いていてくださるのかな、というよりも、目の前に想定した相手の方のために話す感じです。そうしないと伝わらないというか、逆に、大勢を想定して、「みなさん聞いてください」みたいなアプローチでは言葉や想いが流れてしまうと思うんですね。目の前の“その人”に伝えることによって、結果的にみんなに伝わるということだと思います。

展覧会で絵と向き合っている時は、ある意味“画家”対“自分”の二人きりの空間ですよね。一対一の対話みたいな要素があると思うんです。そうやって向き合う中で、画家が作品を通して何を投げかけてきているのかな、とか、何を伝えようとしているのかなと考えますよね。そしてその投げかけられたものや、伝えようとするものを、どれだけキャッチできているのか、そういう対話の時間ですよね。中にはしっかりキャッチできるものもあれば、出来ないものもあったり、また、単純に好みに合うものもあれば合わないものもあったり。それは人間同士でも同じかもしれませんが、そうやって、いろんな展覧会でいろんな作品を見るうちに、自分のお気に入りに出会うことができると本当に幸せですよね。

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