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小田ひで次さん @アンドリュー・ワイエス 創造への道程


『アメリカが生んだ画家』


中根: 小田さんの漫画を最初に読んだのは『拡散』なんですが、この作品にはその緻密に描き込んだ絵といい、文明が発達する前の先住民が登場するところといい、個人的にはワイエスとの共通点を感じてしまうんですが。

小田: 特にワイエスを意識したことはないけれど、僕は絵の描き方についてアカデミックな訓練を受けたことはないし、そもそも絵心がないっていうのがコンプレックスで、絵を描くときは、実際の風景や人を観察したり、いろんな写真を見たりしながら描いているので、どうしてもリアルな表現の方向になっていっちゃうんですよ。そうやって描く対象にのめりこんでいく中でどんどん描写も細かくなっていったんですよね。

中根:小田さんもそうですが、ワイエスも対象へののめりこみ具合って半端じゃないですよね。

小田:細部の表現とか質感へのこだわりとかは尋常じゃないですよね。ちょっと偏執狂的というか(笑)。でも。かなり病的に描き込む部分とそうでない部分がはっきりしているんだよね。だから自分の興味のある部分、描きたい対象がものすごく明確だったということなんでしょうね。《クリスティーナの世界》も、人間や建物の質感は丁寧に描き込んでいるんだけれど、広い草原の部分っていうのは結構様式的に描いていて、表現としては平面的な気がするんですよね。だから描きたいものすべてに対して同じ緻密さや質感を求めているわけではないと思います。

後、パース(遠近法)は結構いいかげんだよね(笑)。実はこの人はそんなに絵がうまい人じゃないんじゃないかと。まあ僕もそうなんだけど(笑)。もちろん技術はちゃんとあるんだけれど、本当に天才的なものを持っている人って、何を描いてもその対象のフォルム自体の美しさを写し取ることが出来るっていうかね。例えば木を描こうが蛇口を描こうが、それがまさに木そのものとして、蛇口そのものとしてたち現れてくるんだよね。ワイエスの場合はスケッチを見ても、もちろん上手いんだけれど、そういう天賦の才能のようなものは感じられない。だからこそ逆に対象に対する深い愛とか、自分が感じたものをちゃんと描こうとする努力はしっかり伝わってくるわけなんですが。

高山:私は展覧会の冒頭に展示されたワイエスの言葉に、“私は風景と同化していく”というような一節があって、それがまさにワイエスの本質をあらわしているんじゃないかと思ったんです。ワイエスの作品の中には、対象物と自分との距離が全くないんじゃないかと思わせる作品があるんですね。だからその言葉を読んだときにすごく共感を覚えました。

小田: アメリカの開拓の歴史って先住民からあらゆるものを略奪したり、自然をコントロールしてでも豊かになろうとしたりした歴史であるわけだけれど、それは近代的な考え方であって、そもそもは自然も人間も等価だったわけですよね。ワイエスの視点には、人間が自然よりも上にいて高いところから見ているんじゃなくて、自然と人間がある種対等に存在しているというアニミズム的な意識が感じられますよね。

宮澤: でも僕はやっぱり、アメリカが抱える負の歴史ではなくて、わりと平和な白人社会っていうのが彼のベースにあって、そういうところで生まれ育った人が、自分の身の回りの環境に目を向けて淡々と絵にしていったら、共感者がいっぱいいた、みたいなことじゃないかなと思いますけどね。対象の捉え方が独特だったり、素材としてあえてテンペラを使ったり、相当変わっていて、美術史の本流のところで評価されているわけではありませんが、個性が際立った人であることは間違いないでしょうね。

高山: 確かに今までの作家にはないような魅力があるというのはずっと感じていて、その理由は何だろうと思って何度も観ているうちに、私はさっきの言葉がこの作家の魅力なんだと腑に落ちました。完全に対象に入り込んで描いている気がします。

小田: この《火打ち石》にしても、インディアンにとっての聖なる石、崇拝される対象という迫力がありますよね。実際にもともとそこにはインディアンたちが住んでいて、その土地に聖なるエネルギーを感じていたわけじゃないですか。だからワイエスがそういうことを意識的に受け継いでいなくても、例えばワイエスがその地に立って、地形なのか地磁気的な力なのかわかりませんが、何かしらのエネルギーを感じても不思議じゃないと思うんです。そして、またそれを無意識のうちに絵を通して表現していたんじゃないかと。

海老沢: 今回の展覧会では、みなさん《雪まじりの風》の前で立ち止まられるんですね。それこそ、人も動物もいない、ある種殺伐とした風景が広がっているだけなんですが、この絵の前に立つと何か心を惹かれるものが伝わってくるのかもしれませんね。

中根: ずっとその土地に住み続けるとか、同じ人と付き合い続けるとか、長期的な視点を持つとおのずと歴史が作られると思うんですよね。ワイエスのようにほとんど動かずに同じ土地や人と対峙していると、やはり歴史的な視点が出てくるんじゃないかと。そうするとアメリカ人が歴史的な視点に立脚すると、好むと好まざるとに関わらず、自分たちが最初にこの土地にやってきて行った行為も始めとする負の歴史を避けて通ることは出来ないんじゃないかと。

小田:ワイエスはそれをはっきりとは意識していなかっただろうけど、彼の絵にはアメリカ人の深い記憶を呼び戻す何かが表れている気がしますね。直接的には、何も描かれていないし、語られてもいないんだけれど、それは強く感じました。

  編集後記
 
 

ギャザリングではさまざまな職業の方にご登場いただいていますが、ぜひいつかご登場いただきたいと思いつつ、おなじ「絵」という分野だと展覧会の画家との相性が難しいかななどと思っていた「漫画家」の方にとうとうご登場いただけました。小田ひで次さんの作品は一見ワイエスの世界とは結びつかない感じだったのですが、緻密かつ丁寧に描きこまれた写実的な絵と深遠な物語世界がもたらす読後感が、ワイエスの描く作品世界と共通している感じがしました。寡作の作家として知られる小田さんですが、奇しくも12月、1月と作品の再発や刊行が続いているので、みなさまもぜひこの機会にご一読ください!

海老沢(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 

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