ミュージアム開放宣言ミュージアム・ギャザリング ― ミュージアムに出かけよう。ミュージアムで発見しよう。ミュージアムで楽しもう。

今月のゲスト:辻 信一さん@ミレー3大名画展


ID_001: 辻 信一(文化人類学者、環境運動家)
日 時: 2003年6月13日(金) Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員室にて
参加者: 宮澤政男(Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員)
ギャザリングスタッフ(鷲尾和彦、中根大輔、高山典子、海老沢典世)

PROFILE

辻 信一(つじしんいち)
文化人類学者、環境運動家。明治学院大学国際学部教員。
著書『スロー・イズ・ビューティフル』 (平凡社)でスロームーブメントの先駆的存在に。
環境NGO「ナマケモノ倶楽部」の世話人を務めるほか、 数々のNPOやNGOにも参加しながら、
<スロー>というコンセプトを軸に環境=文化運動を進める。
近著は『ピースローソク 辻信一対話集』(ゆっくり堂)、『スローライフ100のキーワード』(弘文堂)。
去る6月22日の「100万人のキャンドルナイト」で呼びかけ人代表を務める。

http://www.sloth.gr.jp


鷲尾: 実際にミレーの絵をご覧になって、辻さんはどんなことをお感じになりましたか。

辻: この時代の画家って、ある程度の階級の男性です。でもミレーは田舎に住み込んでしまう。そしてそこで絵を描くことにものすごいエネルギー注ぎ込むわけですね。そういうことが成り立っているところに、なにか異様なものを感じますね。

宮澤: きっと彼は農村を本当に好きだったのだと思いますよ。産業革命以降、急速に産業化が進む中で労働環境も厳しい状況になるわけです。そういう中で、失われていくものを残しておきたいという気持ちがあったのではないかと思います。自分にとっての原風景みたいのものを描きとめておきたいという。他の画家に比べるとミレーはとても自然体なんです。自分自身が生まれ育った環境を心から美しいと思っていたのではないでしょうか。だから変に説明的なところも無いし、本能で描いているようなところがある。

鷲尾: 写実主義って言われているようですが、僕はミレーの絵というのは、逆に写実から遠いなと思いました。見たものをそのまま描くというよりは、自分の思いのところで描いている、という感じ。まあ、写実って何ってことなのかもしれないけれど。

宮澤: 確かにミレーは細かく顔の表情とか描いているわけでもないんですよね。そういうところは別の仲間がもっと上手かったりする。でも全体として完成度が高いですよね。つまり農村と言う原風景の中で、農民が自然に入っていてその全体を彼は心から美しいと思ってそれを素直に描いていたのではないかと。

中根: 原風景という意味では、僕も懐かしさを感じました。僕は田舎育ちで、昔おばあちゃんが田植えをしている姿とか見ていましたから。そう思えば、今の時代って、働くことが辛いことだったり大変なことだったりするけど、昔は労働と生活が切り離されてなくて「働くことが生きること」みたいな感じだった気がします。

辻: 同じ「働く」といっても動詞と名詞があると思います。そして、近代の中で、「働く」という動詞が名詞化された瞬間があったのではないか、と。 名詞の「労働」って、時給いくらというように、自分の時間を切り売りする客観的な対象であり、断続的なものです。ところがミレーの絵の中にあるのは、そんな名詞化された「労働」ではない。その意味では勤労思想のようなものもないですよね。
『晩鐘』という作品もそうですね。とても動詞的なものを感じる。みんな何かをしている人たち。そして、手が動いている。 
やはり肝心なのは「手」ですね。 何かをしている人たち、そしてそこに存在する「生きるための技術」を僕は感じますね。そしてそれなりの階級から来た大人の男がそれを描くためにこれだけのエネルギーを注ぎ込んでいる。それをさっき僕は「異様」と言ったんです。ほんとに凄いと思いますね。

中根: ミレーの作品にはそんな動詞としての「労働」がたくさん出てくるんだけど、実際には労働の真っ最中というよりも仕事の途中とか、終わった後とかそんなのもありますよね。ただ単に働くことだけではなくて、ちょっと休んだり、話をしたり、そういう行為を含めて昔は「労働」「働く」っていうことだったと思うんですよね。

辻: そうそう。だからまだこの頃は計測可能で客観的な名詞的「労働」になってないんです。みんなが懐かしさを感じるというのはそんな事なんじゃないかな。子供が居眠りしている絵、あれって一種の恍惚状態ですよね。すごく魅力的な絵です。

鷲尾: 辻さんは手に着目されていましたけれど、僕は目線が気になったんです。祈っていても、働いていても、休んでいても、何か目の前のものの先へと視線が抜けていっている。何処を見ているかわからない。

辻: そういわれれば焦点が定まってないですよね。

鷲尾: 労働の狭間の時間、ふっとしたときの気持ち、視線、息遣い、僕にはそんな瞬間が時代や場所を越えて何か共通のコードとして響いてくるんです。一番至福の時間なのかもしれないですね。だから、ミレーの絵は、とても大切な時間を描いたという言い方もできる気がします。

宮澤: 『落穂拾い』も当時は辛い労働を中断するために描いていたのではないかと言われていました。でも、ミレーの場合は、美しいと思ったから描くというような意図が先行していたと思いますよ。また果たして当時の労働はつらかったか、っていう意見もありますしね。動いているっていうことはそんなに辛くなかったんじゃないかという考え方もあるんです。

辻: 最近、僕が思うのが「快楽」を取り戻すことの重要性なんです。例えば、環境問題でいうと、環境を守ろう!とか環境破壊を糾弾している人たちがいて、反対側に環境破壊をしている人たちがいますよね。単純に世の中にその2種類しかいないとすると、いわゆる「快楽」というのはみんな環境を破壊している側に属するものだと思われているわけですよ。環境破壊反対なんて言っている人たちはなんか全然楽しそうでもないしって。破壊している方には圧倒的な富があって、「快楽」を全部持っていかれているわけです。僕は環境運動というのは、本来こっちが楽しいんだよ、こっちが美しいんだよ、こっちが安らぐんだよ、ということ、つまり「快楽」を示せるかどうかと思うんです。
 
今僕らはあまりにも大きな「快楽」を失ったと思いますね。だから子供たちの目が生き生きしてないとか、よくそういう事言うじゃないですか。何気なくみんな言っているけど考えてみたら大変なことだよね。子供の目が生き生きしてないというのは大人の目も生き生きしてるわけないんでね。だからそういう意味でこんなに文化が貧しくなった今が、これからがいよいよだなという気がしている。結構面白い時代が来ているんじゃないかと思うんです。このミュージアム・ギャザリングのように、1枚の絵の前に立ち止まって、好き勝手に雑談するのってもっともっとやった方がいい。
 
僕はこれからは「雑の時代だ」と言っているんですよ。「雑」なものが大切になると思います。林業とか森でも「雑」が大事なんですよ、雑木林。お金になるっていう意味では、全部杉の方がいいんだけれども、生態系からいったら雑木が必要。農業でも注目されているのが雑草でしょ。僕らが真っ先に切り捨てて来たものが「雑」なんです。でも僕らは雑談するために生きてるみたいなものじゃない? 家庭での会話も、こうやって絵画を見るのも無くたって生きていける、「雑」なんです。でもそれが文化なんだ。

宮澤:絵の世界でも、説明するときに、この画家はどういう経歴でどういう潮流の中に入っていて、っていうような説明をずっとしていくのがいわゆる作品解説なんですけれど、それだけだとつまんないですよね。
ミレーの『落穂拾い』を作品解説で知るのもいいけど、例えば僕がこの絵を面白いなと思うのは、この絵の中の人のような姿勢をとると、おそらくいろんなモノが見えてくるんじゃないかということなんです。絵には描いてないけれど、ちっちゃな虫とか小さな花とか。そういう意味ではこの絵に描かれている三人は幸せですよ、見えるんだもの。公園で子供たちなんかと一緒にやると、おもしろいと思いますよ、いろんなもの発見してね。そんな風に絵画を見るのも楽しい。

辻: 僕の娘の一人がミレー展に来たんですよね。で、ちょっと愕然としたようなんです。つまり大事なことしかしないはず大の大人が、こんなでかい絵を描いているわけじゃない。やはりすごいですよ、この時間の使い方って。スローで。しかも見る方もスローダウンしないと見れない。かなり主体的に関わらないといけないですよね。テレビみたいに次から次へどんどん変わってくれないし。違う時間に出会ったという感動があったみたいですよ。娘が話す言葉の端々に僕はそんなことを感じた。すごく好きだった、と言ってました。上手くこういう風に好きなんだ、と説明できなくても、行ってよかったなーという感じを持ってましたね。

  編集後記
 
 

ミレーの作品に流れる自然へのまなざしや働く人々の尊厳の世界と、辻さんの提唱されているスロ ーライフとの共通点を多く含んでいるのではないかという思いから、辻さんにお声をかけさせていただきました。が、第一声で「僕は美術館が嫌いだからほとんど来ないんだよねー。」と言われ、 どうなることかとひやひやでしたが、非常に興味深くミレー展をご覧になられたようで、 辻さんを通したミレーの世界を我々も堪能させていただきました。ミレーの世界をこれほど身近に感じられる、お話を伺って改めてミレーの作品を見たくなりました。

(海老沢)

 

ページトップへ
Presented by The Bunkamura Museum of Art / Copyright (C) TOKYU BUNKAMURA, Inc. All Rights Reserved.