Bunkamura

イベント情報

スペシャルトークショー『印象派に恋して』開催(2004年4月2日)

辻 信一

西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952年生まれ。日本の民芸運動の始祖、柳宗悦門下の版画家、森義利に入門、徒弟修業により古来の伝統技法「合羽刷」を修得。日本で数少ない伝承者となる。日本版画協会および、国展で新人賞を受賞した後、広告出版の分野でも活動。ジャパネスク等のコンセプトを発案。
近年は、専門用語を使わない、わかりやすい美術解説のための出版・放送企画を多く手がける。
主な著書「絵画の読み方」(宝島社)「二時間のモナリザ」(河出書房新社)「五感で恋する名画鑑賞術」(講談社」等。「新日曜美術館」「芸術に恋して」「誰でもピカソ」等の美術番組でナビゲーター役をつとめる。

本橋 成一

紺野美沙子(こんのみさこ)
1979年 映画「黄金のパートナー」で映画デビュー。NHK連続テレビ小説「虹を織る」主演。
テレビ・映画・舞台に活躍する一方、著作活動も行い、サイエンス・エッセイ「空飛ぶホタテ」では日本文芸大賞女流文学賞受賞(95年)する。
1998年 国連開発計画(UNDP)親善大使の任命を受け、カンボジア(99年5月)・パレスチナ(2000年7月)・ブータン(2001年6月)・ガーナ(2003年7月)の視察を行うなど、国連大使としても活動する。

http://www.konno-misako.com/html/prof.html

西岡: 今日は、特別にお願いしてお手元に睡蓮の絵のコピーを配っていただいているんですけど、実はこれ、紺野さんが今回の展覧会で一番お好きだとおっしゃった絵なんです。やはりモネの睡蓮がお好きなんですか?

紺野: はい。この睡蓮の絵にはとても思い出がございまして、20代の半ばちょっと過ぎたくらいのときに、学生時代の親友とフランスに旅行に行ったんですね。その時にモネが住んでいたジヴェルニーまで足を延ばしまして、実際に睡蓮の池を見たり、家を見たりしたんです。その後にパリのオランジュリー美術館に行って睡蓮の部屋の絵も見たのですが、その迫力に圧倒されました。そういう経験があるので、非常に強く印象に残っている作品ですね。

西岡: この睡蓮はとてもいいですね。どういうことかと言うと、会場でご覧になった方はみなさんそうだと思うんですが、観てがっかりしないでしょ。実はそういう絵って珍しいんですよ。その絵のことは知っていても、実物を見ると「なんだ」、みたいのが普通ですからね、展覧会って。特に睡蓮は作品の数も多いですから。でもこれは色の鮮度もいいですよね。あと僕が驚いたのは、ルノワールがすごく充実してますね。ルノワールの子供の絵ってそんなにたくさん集められないんですけど、すごくいいのが多いです。

紺野: 私、非常にびっくりしたのは、今回のポスターだとかにもなっている、ルノワールの「青い服の子供」の絵が男の子だっていうことなんです。

西岡: えっ?これ男の子なんですか?本当に?確かにヨーロッパでは男の子が子供のときに女の子の格好をさせることがあるけれど、これがそうだとは知らなかったなあ(笑)。

紺野: 19世紀って、非常にまだ流行り病も多いですし、子供が育ちにくい時代で、特に女の子よりも男の子の方が弱いですから亡くなる確率が高かったんじゃないかしら。だからあえて女の子の格好をさせたとか。それで、今回思ったことなんですけど、モネに比べてルノワールって日常的な女性や子供の絵をたくさん描いているじゃないですか。でも、そういうのって画家の立場からみると如何なんですか?ちょっと退屈じゃないかしら、なんて思ったりもして。

西岡: それ実はすごく大事なポイントなんです。普通の絵を描くようになったこと自体が新しいんですよ。最初に印象派展が行われたのは1870年代なんですけど、その頃の由緒ある絵というのは、例えばナポレオンであるとか王様であるとか、あるいは大金持ちであるとか、簡単に言うと、描く価値のあるものだけ描いていたんです。ですから自分の奥さんとか自分の子供を描いても、それは画家のプライベートな作品なんですね。ところが印象派の人たちは、そういうプライベートなシーンの絵を積極的に描いて発表していますね。

紺野: じゃあ最初のうちは全く相手にされなかったと。

西岡: そうです。その頃の絵描きの仕事って、公共建築物の天井画とか壁画とか、あとはお金持ちとか貴族の肖像画でしょ。で、画商というのもほとんどいない。だから年に一度ルーヴルでやるサロンという展覧会があって、そのサロンに入選しない限り、そういうような仕事は取れないわけです。

紺野: サロンの展覧会って、いわゆる画家としての登竜門みたいなものですね。

西岡: そうです。だからみんなサロンに出すんだけれど、モネもルノワールもその登竜門の落ちこぼれなんですよ。で、落ちこぼれたちが集まって、自分たちらしい絵を描こうというんで、最初にやったのが第1回の印象派の展覧会なんですね。ところが、今、紺野さんがおっしゃった通り、まず題材が日常的なんでこんなものは絵ではないと。それからタッチがラフで軽快なので、これもすごく批判されました。もう彼らは絶望するくらい批判されています。こんなのは単に印象を描いているだけじゃないか、と叱られた。それで印象派という名前になったんです。

紺野: なるほどそういうことだったんですね。ところで、よく役者さんでも波乱万丈のほうがいい芝居が出来る、といいますけど、やはりこういう画家の方もそうなんでしょうか?

西岡: 人によりけりなんじゃないんですかね。役者さんでも波乱万丈の経験が芸の肥やしになっている人と、ただ単に波乱万丈なだけの人がいますでしょ。
そういえば僕は市川崑さんの映画でしか見たことがないんだけれど、6月に谷崎潤一郎原作の「細雪」の舞台に出られますよね。これは何女の役をやるんですか?

紺野: はい、6月3日から帝国劇場でやります。私は三女の役です。市川崑さんの映画では吉永小百合さんが演じられた役ですね。

西岡: 一番すごい役じゃないですか(笑)。

紺野: でも静と動に分けると非常に静の役なので、ちょっと難しいなと今から非常に緊張しているんですよ。普段はものすごくおとなしくて自己主張もしない女性なんだけれど、いざという時には強さを見せる、そんな役ですね。

西岡: この物語って、主人公となる4人の姉妹に、それぞれ人生のいろんな選択が振り分けられているんですよね。それに日本の4つの季節が絡み合って、それが着物の柄に反映されるような美が展開される。日本人ならではの拒否できない美学があるんです。着物の柄と季節と4人の姉妹と、それぞれの人生模様みたいな。要するに何が言いたいかというと、ヨーロッパにおける印象派にしろ、近代化映画にしろ、すべて日本の影響で始まったんですけど、彼らが一番ショックを受けたのはそういう季節と一緒に生きる、みたいな日本の感受性なんですね。

紺野: 四季を愛でるということですか?

西岡: そうです。印象派なんかは時間と共に変わる色を描いたりしますが、そういう感覚そのものがヨーロッパ的ではないんですよ。ヨーロッパは変わらないパーマネントなものが好きですから。「細雪」なんかは"うつろいゆく美"、みたいなものが本当に大事にされているでしょ。ですから、こじつけでもなんでもなくて、すごく印象派と通じるというか、こういうものが彼らを感動させている、ということが言えると思うんです。ちなみに、今日みなさんに持ち帰っていただきたい話なんですけど、僕がこの対談にあたって最初に紺野さんの好きな絵を必ず選んでおいてください、とお願いしたのは理由があるんです。これはご本人にも知らせていなかったんですが、好きな絵というのは必ず本人に似ているんですよ。ですからみなさんもご自分の好きな絵を思い浮かべてみてください。必ず自分に似ているはずです。ちなみに紺野さんの場合、睡蓮とどの辺が似ているんでしょう?

紺野: やはり、爽やかな部分じゃないでしょうか(笑)。でも今、テレビや新聞でも気持ちが落ち込むようなニュースが多いですし、ますますこういう印象派のような美しいものを観たいという欲求は高まるんじゃないかなと思うんですけど。

西岡: あと、この絵を選ぶと言うことは、軽やかさみたいなものもあるんじゃないですか。

紺野: 本当にそれはそうですね。お芝居でも絵を描くことでもそうだと思うんですけど、超一流の方というのは本当にいい意味で力が抜けていますよね。役者さんでも、力が入っていますよ、という芝居をされる方は多いけれど、本当にその舞台上で登場人物になりきって、その人の肉声で自然に振舞える人って少ないと思うんです。そういう風になるのが私の理想ですね。

西岡: 多分それって、印象派の人たちがやっていることと近いんだと思いますよ。モネの絵のこの軽さというのは、彼に至るまでのヨーロッパ絵画の持っていた重い歴史からの解放ですからね。モネ自身も一生懸命デッサン勉強しましたしね。ただ真似をしてもこんなに軽い絵って描けないですよ。それは単に乱暴だったり手抜きだったりするわけで、ある種の研鑽を積んでギリギリまで自分を追い詰めて、その後で抜くからこういう自然体になるんであってね。

紺野: それはやはり演技に関しても通じることで、舞台に立ったときに単なる自然体だとやはりそれはお客様に何も伝わらないと思うんですね。やはりきちっとした発声があり訓練があって、それから先に生まれるものなので。

西岡: ですから、次から皆さんも美術館行ったらまず自分の好きな絵を探して下さい。それからどなたかと一緒に行ったらその人の好きな絵を聞いてみて下さい。大体の美術館では順路とか作っていますけど、あれは気にせずに好きな順番で観ればいいですから(笑)。それで自分の好きな絵と対話することによって自分自身がわかりますし、連れの方の人間的な本質もわかります。話し合うと面白いですね。どうしてこれが好きなのかとか。

紺野: でも、もしも西岡先生と美術展を観に行って、「この絵どう思う?」なんて聞かれたら答えられないですよ。変なこと言ったらどうしよう、とか。

西岡: それは聞く人が変ですよね。「どう思う?」って聞く前に自分がどう思うか言うべきですよ。それが礼儀。「どう思う?」って言われるだけで緊張しますからね。だから最初にばらしちゃえばいいんですよ。極意だと思いますよ、自分が先に気持ちを伝えるというのは。「これ最高、死んでもいい」、とか言っていると、「それほどでもないんじゃないの?」という感じで会話が弾むんですよ。あと、絵を観る時は自分の直感を信じてください。大体自分の最初の直感が正しいんですよ。買い物なんかでもそうじゃないですか。いろいろ見たけれどやっぱり最初に気に入ったのが一番良かった、みたいなこと多いでしょ。

紺野: そうですよね。だから最終的には自分の感性みたいなものを信じるというのが一番大事なんでしょうね。

西岡: それでは最後にお客様からご質問等あれば伺いますが。

お客様: 西岡先生にお伺いします。日本人は非常にこの印象派が好きなような気がするんですけど、なぜこんなに日本人は印象派に親近感を持つんでしょうか?

西岡: 難問中の難問ですが、一番知りたいことですよね(笑)。なかなかちゃんとした結論を出している人はいないんですけど、ひとつはっきり言える事は、印象派というのは日本の美学のある種の里帰りだということなんですね。つまり日本の浮世絵とか水墨画がヨーロッパに行って、ヨーロッパの画家たちを圧倒的に感動させた。例えばゴッホなんかも一生懸命日本の絵を描いているつもりなんですよ。弟に宛てた手紙にも、「今日こそ日本人のような絵が描けた」なんて書いているんです。だから、印象派の画家たちは彼らの絵を通して一生懸命日本というものを描いているんですよ。それが帰ってきたわけですから、僕たちから観れば洋画そのものなんですが、どこかで僕らの心に通じているものがある。また、日本の画家が日本の手法で描いたものでは身近すぎてわからない日本の良さが、油絵というフィルターを通して逆にわかりやすくなったということもあると思います。僕たちは印象派の絵を見るたびに、遠くて近いものにワクワクしているのかもしれないですね。ただこれは本当に謎の中の謎で、誰も答えは出していないんですよ。紺野さんはどう思われます?

紺野: やはり、時を封じ込めておきたいという思いが誰にもあるわけでしょ。今はデジカメなんかもあって、誰でも簡単に写真が撮れるようになりましたけど、その前に、移ろいゆく時を愛でるという、往く時を惜しむという気持ちに相通ずるものがあるんじゃないでしょうか。

西岡: 海外に行ってものすごく感動したときに写真を撮りますよね。でも家に帰って写真を焼いて見てみるとたいしたこと無い。僕はそういう感動を保存する方法は2つしかないと思います。一つはスケッチ、もう一つは俳句です。どちらも上手い下手は関係ないんです。例えば旅先で詠んだ句を、何年か経ってからあらためて声に出して読んでみると、その時の気分が蘇ってくるんですよ。あといいのは年配の方はちょっと抵抗があるかもしれないですけど、ウォークマン。旅行に行ったら必ず帰りはずっとウォークマンを聞いているんですよ、曲を決めてね。これも後から聴き直すと、その時の気分に浸れます。

紺野:話が合いますね(笑)。私は絵心が全く無いんですけど、旅に出ると絵を描きたくなりますし、実は俳句も詠んだりするんですよ。音楽も聴きますね。例えば仕事でチェコスロバキアに行くことになった、というと、じゃあスメタナをちょっと聴いてみようとか。その土地で作られた音楽を聴いてその場所に行くと、気分が盛り上がるんです。

西岡: ようするに写真と絵の違いって、描いた人の主観とか感動が入っているかどうかということでしょ。だからスケッチとか俳句というのは単純に写しているんじゃなくて、そこに自分の感動が込められているんですよね。気分が保存されているんです。印象派の時代は写真というものが生まれた時代でもあるんです。目に映ったものをリアルに保存するには、絵では写真にかなわなくなったんです。だから写真では保存できない方法というのを絵が見つけない限り、絵というのはこれからも生き残れないですよね。
じゃあ、せっかくの機会なので、谷崎文学の最高傑作と言われている「細雪」を演じられるにあたっての抱負で締めくくっていただきましょうか。

紺野: もう千回以上も上演されている名作中の名作で、他の出演者の皆さんは何度も細雪の舞台を踏んでいらして、今回初参加は私だけなんですね。ですから、この名作の名を汚さないように、全女優生命を賭けて望みたいと思っています。頑張りますのでぜひ宜しくお願いします。