みんな我が子 -All My Sons-

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2022.05.21 UP

『みんな我が子』-All My Sons- 観劇レポート&舞台写真を公開

本公演について、一部公演をやむを得ず中止とさせていただきました。
ご鑑賞を楽しみにされていたお客様には、多大なるご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。深くお詫び申し上げます。
本観劇レポート及び舞台写真にて、少しでも本公演の様子をお楽しみいただけますと幸いです。

 

「裏庭」の外にも世界はある

 誰にだって、幸せで平穏な家庭を求める権利はある。それが普通だとも言える。でも、その幸せや、今ある豊かさが、他人の犠牲や幸せを踏みにじった上に成り立つものであったとしたら、果たして心穏やかにいられるものだろうか?

 『みんな我が子』の主人公ジョー・ケラーは、我が家の「裏庭」──ごくプライベートな、自分と自分の家族、自分が「仲間」だと認めた人間しか出入りしない場所──だけの価値観で生きているような男だ。叩き上げの苦労人で、一代で経営者として成功し、今では町の実力者となっている。何よりも自分の家族を愛し、家族からも愛されているのは確からしい。だが、彼が今手にしている繁栄と幸せが何を踏み台にしたものだったのかが、愛する息子との葛藤とともに徐々に明らかになっていく。その過程が実にスリリングだ。どこにでもいそうに見えた幸せな家族の物語は、少しずつ虚飾を剥がされ、この父親は自分が目を背けていた自らの「罪」と向き合わざるを得なくなる。

 多くのアーサー・ミラー作品と同様に、きわめて苦い結末に胸が潰れる思いがする一方で、傷口に塩をグリグリ塗り込まれるようなこの感覚が、やみつきになる魅力でもある。登場するのは脆くて不完全な人間ばかりだが、観ている側もどこかしら身につまされ、とても他人事ではいられなくなってくる。ドラマが進むにつれて密度が濃く、緊迫度が増していく展開の巧みさに、一瞬たりとも集中力が途切れることがない。

 舞台となるのは、ジョーの心象風景を表すかのように高くそびえ立ち、他人を拒絶する壁に囲まれたケラー家の「裏庭」のみ。3幕(休憩は1回)を通じて一切のセット転換もないこの裏庭で繰り広げられる言葉の応酬と感情のぶつかり合い、そして露になっていく真実が、怒濤のように押し寄せる。そこにあるのは、戯曲の言葉と俳優の演技だけだ。シンプルに徹したリンゼイ・ポズナーによる演出は、ひたすら登場人物たちの微細な心の動きにフォーカスを絞っていく。細部をゆるがせにしないことで、社会に対する個人の責任という大きな主語のテーマが、内実を伴って浮かび上がるのだ。瞬時にして変化する人物同士のパワーバランス、めまぐるしく入れ替わる情愛と疑心暗鬼、感傷をバッサリ断ち切る容赦のない事実。そうした瞬間瞬間を鮮やかに生きる俳優たちから、とにかく目が離せない。

 堤真一演じるジョー・ケラーは、罪悪感に苛まれてきたというよりも、本心から自分の正当性を疑わずに歳を重ねた父親に見える。自分がしたことは家族を守るためだったのだと、自分を欺いて生きてきた。人当たりがよく、近所の少年にも好かれ、家族を愛する「良き父親」像に真実味があるのは、堤自身の資質にもよるだろう。罪を犯す人間が普段から独善的な人間だとは限らない。何も知らずにそんな父親を尊敬し、理解し合う森田剛扮する長男クリスとの理想的な親子関係は、「裏庭」の外を見ようとしない父と、外にも世界があることに目を開いた息子との間で、決定的な亀裂が生じる。信じていた父の裏切りを知ったクリスの慟哭、知ろうとしなかった自分に対する怒りは、演じる森田の激情と相まって劇場中の空気を震わせる。

 そして夫と一蓮托生の「共犯者」として生きてきた妻ケイトの家族を守ろうとする本能は、ある意味夫よりも強固な意志に貫かれ、牝ライオンのように凄まじい。思い込みも愛情の深さも尋常ではない母が、実はこの悲劇の鍵を握っている。小柄な伊藤蘭のどこからあのエネルギーが湧くのだろう。堤、森田、伊藤の三人が、砂上の楼閣だったケラー家の崩壊を体現して圧巻だ。

 

 この家族の行く末に決定的な役割を果たすアン・ディーヴァーは、意志の固さで言えばケイトと双璧をなす。愛らしくも絶対に退かないアンを西野七瀬が凛として演じ、ケラー家とのアンサンブルをしっかり奏でていて頼もしい。アンの兄ジョージの大東駿介は、ケラー家に対する燃えたぎる怒りと、自分を解きほぐしてくれる「心の故郷」への愛着と、刻々と揺れ動く感情が観る者の心も揺り動かす。

 

 そうしたケラー家とディーヴァー家の相克を、一歩外から包み込むように受け止めるのが、山崎一扮する隣人の医師ジムだ。栗田桃子演じる妻スーとのやり取りは小さな地雷を抱えた夫婦漫才のようでもあるが、「生きる」ことの諦念を知るジムの存在が、どれだけケラー家の心の拠り所となっていることか。ジムがケイトに語りかける滋味に溢れた言葉は、殺伐とした会話も多いこの芝居の中でしみじみと胸に沁みわたる。

 

 時代を経ても古びない戯曲を、力のある俳優陣が演じる芝居を観る醍醐味は、何ものにも代えがたい。ましてや、作品の背景に黒々と横たわる戦争が再び現実のものとなった今、「裏庭」の外にも世界があることを想像しなかったジョーの過ちを、私たちは強く心に刻まなければならない。劇中を通して裏庭から一歩も外に出なかったのは、ジョーとケイトだけだ。裏庭で起きた一日の出来事が、つぶさに目に焼き付いている。

文:市川安紀
撮影:細野晋司