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この家族。

Bunkamura25周年記念 殺風景

作・演出・美術:串田和美

2014年5月3日(土)~5月25日(日) Bunkamuraシアターコクーン

トピックス

初日レポート 5/12更新

暗い穴の底に射す一筋の光を求めて

 

 『殺風景』。

どこか、観る者を突き放すようなタイトルとは逆に、初日の劇場は若い女性の華やかな気配が充満していた。

三味線の音色が鳴ると、劇場の中を闇が満たし、一瞬の静寂とともに芝居の幕が開いた。

 

荒涼とした海辺の空き地。

炭鉱の遺物らしきものを背景に佇むのは、

荻野目慶子演じる菊池家の母であり妻マリ。

地の底から湧き上がるような声で彼女が唄う

「黒の舟唄」に、銃声が重なる。

舞台奥のワンボックスカーの中で

誰かが撃たれたらしい。

だが、車外に出てきた父・国男(西岡德馬 )、長兄・直也(大倉孝二)、次男・稔(八乙女光)に

格別の動揺が見られない。

そのことが、これから起こる出来事のさらなる不吉さを予感させ、思わず鳥肌立つ。  

 

2004年と1963年、二つの時代を往還する構造の今作では、

前者は主に菊池家の人々が大場家の人間を殺害する事件の顛末が、

後者では炭鉱で働くクニオの青年期が描かれる。

俳優の多くは二つの時代で異なる人物を演じる仕掛けで、八乙女は過去では若きクニオを、

大倉はクニオの先輩・安西を、荻野目は炭鉱町にある売春スナックの女主人ナンシーさんをそれぞれ演じる。

早くに家を捨て、スナックを営む菊池家の長女・道子と娼婦・時枝は江口のりこの二役だ。

一方の大場家は闇金融で稼ぐ母・節子と過去のクニオの母・君子をキムラ緑子が、

茂一と順の兄弟と炭坑時代のクニオの仲間・兵藤と丸山を尾上寛之と太賀が演じる。

さらに、菊池家を取り調べる為に東京から赴任した刑事・袴田(近藤公園)と、

その部下で地元出の花輪(駒木根隆介)、若きマリ(大和田美帆)、

道子のスナックの常連客・長嶺と炭鉱時代の地元の顔役・馬場を福田転球、

道子の店のホステス田島と娼婦・傘子に安藤聖という、舞台にこだわりを持つ俳優陣が顔を揃えている。

 

だが華やかかつ年齢層の幅広い俳優も、常ならぬ劇場の大きさも、劇作・演出:赤堀雅秋の芝居づくり、

無骨で不器用で真っ正直なその手つきを変えさせることはできなかったようだ。

時に滑稽に、時に痛ましいほど「生きる」こと、ただそれだけに翻弄され地を這い回るような人々。

時代や国境を越え、

舞台を観る誰もがどこか、自分自身を投影されているように思えてならない登場人物たちは、

作者が人間の奥底にある暗部を見据え、自身も徹底的に追い込んだ涯てに結晶した創造物だ。

だからこそ、その愚かしさが切実に胸に迫る。

 

 

そんな、創作の最初から最後まで

足掻き続けたであろう赤堀に応えた、

俳優陣の熱演には特筆すべきものがあった。

誤った手段ながら、

家族のため世間や常識に噛みつき続ける

絶対的な父親像を演じる西岡の凄み。

 

二つの時代共に女の情念と業を体現した荻野目とキムラは、虚無と熱情、対照的な表現で

その存在を舞台に焼きつける。

飄々と、けれどかすかに哀感をにじませた大倉の演技は、緊張感の高い芝居の貴重な息継ぎポイントだ。

一見傍観者のようでいながら、事の核心に迫る言葉を吐く江口の独特の色気が作品にさらなる芳香を与える。

年齢に似合わぬ泥臭いエネルギーを発散しつつ縦横に舞台を疾駆する尾上と太賀、

可笑しみに狂気をにじませる駒木根の存在も印象的だった。

理解不能の犯罪を先導する、身の内に空洞を抱えるような若きマリを演じた大和田は、

自身の演技の幅を更新したのではないだろうか。現代と過去で硬軟真逆の役を演じた福田のテクニシャンぶり、

事件を解明する側ながら己の闇に向き合うような張り詰めた空気を身にまとう近藤の佇まいにも強く惹かれた。

 

極めつけは、今回がストレートプレイ初挑戦という八乙女の変貌ぶりだ。

過去の場面では死と背中合わせで働く炭坑夫の矜持、かつて娼婦だったマリを愛し結ばれる覚悟、

母・君子との血の吹き出すような対立と決別などを、「面構え」とでも形容したくなる精悍な表情と、

全身を投げ出すような表現で演じていた。客席もその演技に引き込まれるように集中を高め、

次第に劇空間が密度を増していくのが感じられるようだった。

 

追い詰められた人間たちの、弱さと身勝手が引き起こした利己的な殺人事件。

嫌悪や同情など登場人物たちに分かりやすく感情移入した瞬間に、

三面記事のドラマ化に陥りかねない題材を、赤堀は各人が内奥に抱えた虚栄心や嫉妬、虚無、絶望といった

暗黒面を丹念に掘り下げ、描くことにより普遍的な物語へと昇華する。

  

彼らは奇形や怪物ではない。

彼らが落ちた暗い穴に私たちもまた落ちる可能性はあり、

だからこそ、その穴の底にも一筋の光明が射すと信じたい。

ラスト、道子が稔との電話について語る独白シーンと、それに続く過去のクニオと現在が交錯するシーンには、

そんな作者の祈りにも似た想いが込められているように思えた。

 

生きることの希望と絶望を濃縮した三時間。

『殺風景』は「観劇」という行為を超えた重厚な体感を、観る者に刻みつける。 

 

文章:尾上そら

撮影:細野晋司