私のBunkamura文学賞

推薦書籍

No.53

『塔のない街』大野露井 河出書房新社

フラヌール書店 久禮亮太

『塔のない街』大野露井 河出書房新社

 あらゆるスタイルをなめらかに行き来する天衣無縫のエンターテイメント小説。私小説、パスティーシュ、実験小説などさまざまな形式のそこかしこに日本と西欧の古典、名作へのオマージュや言及を散りばめた盛りだくさんの短編集だけど、継ぎ接ぎ感のない流麗な一編の小説のように読めます。

 7つの短編のうち、第1作で「僕」はロンドン留学の始まりを、第7作でその終わりを語ります。おそらく作者自身の経験をたくさん盛り込んだ貧乏暮らしのブツクサや、知的でユーモアのある多彩な悪口の数々が淀みなく繰り出されて、ニヤニヤが止まりません。「僕」は現代の漱石のようでもあります。

 この2つの間に5つの多様な小品が、「僕」が留学中に書いた作中作のように連なっているのです。ストーカーとなった「僕」と標的の女性のやりとりが予想外の展開を見せる書簡体小説、シャーロック・ホームズのパスティーシュ時間SF、イギリス英語と日本語で言葉遊びと皮肉の技巧を尽くしたコメディ、ご丁寧に「訳者後記」まで付されたフランス文学の翻訳(に擬態した作品)、なぜかすべておしっこで解決する『不思議の国のアリス』のパロディ。息をつく間も無く読み通してしまいます。

 こんなにもたくさんの文体で楽しませる小説家には実は研究者の顔もあって、紀貫之の『土佐日記』を世界文学として現代に蘇らせようとしているというから、ますますわけのわからない魅力を感じます。

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