第88回

指揮者:スタニスラフ・コチャノフスキー

―指揮者になったきっかけは何ですか?
「私は18世紀の創設された有名なサンクトペテルブルク・グリンカ少年合唱学校で学びました。12歳のとき、マリインスキー劇場での《魔笛》の第2の童子に選ばれました。リハーサルの間、私は、指揮者と音楽家たちのやりとりを見て楽しみました。そのとき以来、私は劇場に行くと、オーケストラ・ピットだけを見続けて、舞台上の歌手やダンサーは見なくなりました」

―最も影響を受けた指揮者はだれですか?
「私はサンクトペテルブルク出身なので、サンクトペテルブルク派の真の代表というべき、偉大なユーリ・テミルカーノフやヴァレリー・ゲルギエフのリハーサルを見学し、演奏会を聴いて育ちました。そして、世界的に有名なイリア・ムーシンの流派でも学びました。でも、悲しいことに、私が音楽院に入った1999年にムーシンは亡くなりました。私の師匠は、ムーシンの愛弟子であったアレクサンドル・ティトフ教授。私は過去の偉大な指揮者たちの録音を勉強し、機会があると、私の同僚のコンサートに行くようにしました。私には、後を追いたい、あるいは盲目的に真似をしたいと思うようなアイドル的な指揮者はいませんでした。私は自分にとって身近で自然なことを学ぼうとしました」

―好きな作曲家は誰ですか? 指揮をするのが好きな曲は何ですか?
「常に、私が今リハーサルかコンサートで指揮をしている曲が一番のお気に入りですね。でも敢えて言いたいとても特別な一曲があります。マーラーの《大地の歌》です」

―今回の演奏会ではドヴォルザーク・プログラムを指揮されますね。ドヴォルザークの音楽の魅力とは?
「コンサートはチェロ協奏曲で始まります。感激するようなメロディでいっぱいの素晴らしい音楽です。ボヘミアへの愛や強い思いがこの作品を信じられないくらいドラマティックにしました。とても悲しくて痛ましい瞬間もありますが、最後は英雄的な勝利で終わります。
 この作品を捧げられたチェリストは、派手なオーケストラの締め括りのない、チェロが音を出さないエンディングが気に入りませんでした。チェロの最後の音は、楽器の高い音域まで来ていて、まるで泣き声のようです。ドヴォルザークは、チェロは弾いていないけれど、まったく完璧なエンディングを書き上げました。
 ドヴォルザークがどういう風にチェロ協奏曲を書くアイデアを得たのか、興味深い話があります。彼はニューヨークでコンサートに来ていました。そこでは、チェリストで作曲家のヴィクター・ハーバートが自作のチェロ協奏曲第2番の初演を行っていました。そこで聴いたハーバートのチェロ協奏曲が技術的にとても難しかったことが、ドヴォルザークに技術的にチャレンジングなチェロ協奏曲を書くインスピレーションを与えたのでした。
 ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》は全世界的な人気のある作品。ニール・アームストロング船長が月着陸の瞬間にこの交響曲をかけていたというのは有名な話です。アメリカでの経験の影響や大好きな故郷への思いがいっぱいの《新世界交響曲》でドヴォルザークが感じたスリルを共有するために、オーケストラも聴衆のみなさんも一緒になって魅惑的なメロディの旅を始めましょう」

―コチャノフスキーさんは、サフォノフ・フィルの首席指揮者を務めてられました。また、マリインスキー劇場、ミハイロフスキー劇場でも活躍されました。オペラでは何を振りましたか?
「2007年から09年にかけては、ミハイロフスキー劇場で集中的に働き、オペラやバレエをたくさん指揮しました。これまでに30以上のオペラが私のレパートリーとなっています。最近はマリインスキー劇場で、《ボリス・ゴドゥノフ》、《トスカ》、《エフゲニー・オネーギン》を指揮しました。2017年には、アムステルダムのネーデルランド・オペラでボロディの《イーゴリ公》の新演出を振ります」

―サフォノフ・フィルについて教えていただけますか?
「サフォノフ・フィルハーモニックは、フル編成のオーケストラと、合唱団と、オペラ歌手たちを擁しています。オーケストラはキスロヴォツク(コーカサスにつながるヨーロッパ・ロシアの街)の2つのホールを有する伝統ある美しい建物を本拠地としています。そのほか、エセントゥキ、ピャチゴルスク、ジェレスノヴォツクなどの街でも定期的に演奏しています。私とのこの5年間の共同作業で、60以上のプログラム、6つの音楽祭、8つのオペラという実を結びました。なかでもハイライトは、スクリャービンの《法悦の詩》、交響曲第3番《神聖な詩》、シュニトケ・フェスティバル、新演出でのオペラ《アレコ》を含むラフマニノフ・ツィクルス、そしてマーラーの《大地の歌》」

―日本に来られるのは何度目ですか? N響にはどのような印象をお持ちですか?
「日本への初めての旅に興奮しています。N響はロシアでも世界でも有名で人気があります。長く待ち望んでいた日本デビューがN響とともにできて、光栄です。
 N響がデュトワと演奏旅行でサンクトペテルブルクに来ていたときのムソルグスキーの《展覧会の絵》(2003年4月)の演奏を非常によく覚えています。技術的な水準が最高であるだけでなく、ロシア音楽をとても深く理解していることに感銘を受けました」

―最後にメッセージをお願いします。
「今回のプログラムは、私に純粋に演奏する楽しみを与えてくれますし、いつも喜びや熱狂をもたらしてくれます。すべての人々に偉大な感情体験をさせてくれる素晴らしいプログラムにようこそ!」

メールインタビュー&構成:山田治生(音楽評論家)