第86回

ソリスト:アラベラ・美歩・シュタインバッハー

©本城奬

6月、国際的に活躍するヴァイオリニストのアラベラ・美歩・シュタインバッハーさんがハンブルク北ドイツ放送交響楽団の日本公演のソリストとして来日したので、公演の合間を縫って、お話をうかがった。ドイツ人の父と日本人の母との間に生まれた彼女らしく、英語のほかに、日本語、ドイツ語も交えてのインタビューとなった。(6月5日:Bunkamuraにて)

―ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ご自身のブレークのきっかけとなったパリでのデビュー公演(注:2004年)で弾くなど、特別なレパートリーのようですね。
「パリでのデビューは、あるヴァイオリニスト(注:チョン・キョンファ)が急病でキャンセルしたので、2日前に電話で依頼がありました。指揮者のサー・ネヴィル・マリナーさんが以前に共演したことのある私のことを思い出してくださったのだと思います。時間がなかったので緊張している暇はありませんでした。マリナーさんご自身がヴァイオリン出身なので、やりやすく、オーケストラとも一体になれました。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、私にとってとても大切なレパートリーです。実は、取り組み始めるまで様々な段階を踏まなければなりませんでした。最初はモーツァルトやシューベルトから始めて、メンデルスゾーン、ブルッフ、チャイコフスキーやブラームスの協奏曲。そして遂にベートーヴェンの協奏曲を学びました。17歳のときでした。長いフレーズや旋律のあるチャレンジングな協奏曲です。第1楽章はまるで一つの協奏曲のように大きい。内面的な強さがないと弾けない。だから遅くまで待ってから取り組みました。
 テクニック的には、チャイコフスキー、ブラームス、シベリウスなどと比べて、それほどでもないのですが、内面の静けさが要求されるので、経験を積んで、内面的にリラックスして、穏やかさが持てるようにならないといけません。良いワインが洗練されるのに時間がかかるのと同じです」

―第1楽章の登場のシーンは、まるで音階(スケール)練習のようですが、少しでもずれるとわかってしまう難所ですね。
「第1楽章は、オーケストラの長い序奏を待ってから、まるでバレエのダンサーのように繊細に登場します。最初だからドキドキしますが、音のバランスを保って、高い音を、リラックスして自由に弾かなければなりません。その音階は難しいですが、息をして、曲が流れるように、長い旋律が歌えるようにしなければなりません」

―この協奏曲の魅力はどのようなところにありますか?
「第1楽章は長いフレーズとメロディが魅力ですが、いろいろな音楽的なキャラクターがあって、ベートーヴェンの強さと抒情的な旋律、エネルギッシュな力と純粋な音、などのコントラストもあります。 第2楽章は、天使のような音楽。教会で瞑想するような楽章です。でも入り込みすぎないで、少し遠くから、でも誠実に祈るように演奏しなければなりません。 第3楽章は、生き生きとしていて第2楽章とよいコントラストとなっています。『起きなさいよ!』というイントロに続いて、生気あふれるダンスのような音楽が始まります」

―本公演を指揮するブロムシュテットさんとはこれまでに共演されていますか?
「何回も共演しました。最初は、ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団でモーツァルトの協奏曲を。そのあとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のツアーやサンフランシスコ交響楽団でも別のモーツァルトの協奏曲をご一緒しました。マエストロと一緒に古典作品を演奏できるということは喜びです。若々しく、子供のような心をお持ちです。喜びと愛情に満ちた方で、彼からエネルギーをもらいます。今回、初めてベートーヴェンの協奏曲をご一緒できるのがとても楽しみです」

―NHK交響楽団とも何度も共演されていますね。
「N響との初めての共演もベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(注:2007年)でした。指揮はやはりマリナーさん。その後、シャルル・デュトワさんの指揮でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(注:2009年)とベルクのヴァイオリン協奏曲(注:2014年)も弾きました。初共演のときは、まだ生きていた東京在住の祖父母がサントリーホールまで来て1列目に座って聴いてくれたのを思い出します。N響はフレキシブルで、お互いをよく聴くオーケストラ。どんな曲でも共演するのは楽しみです」

―アラベラ・美歩さんは、著名なヴァイオリン教師でヴァイオリニストでもある、アンナ・チュマチェンコさんのお弟子さんなんですね。
「8歳のとき、先生の前で弾いて以来、13~14年間、チュマチェンコ先生のもとで勉強しました。彼女にとっては、テクニックも重要ですが、それよりも、どう歌うか、どうフレーズを作るかなど、音楽を教えてくれました。先生はどの学生にも、解釈については、自由を許してくれました。自分で学んで、自分の個性を確立するようにいわれたのです。年齢的には早すぎるコンサートのお誘いからも、先生は守ってくれました。ベートーヴェンの協奏曲では、十分に間(タイミング)をとって、もっと呼吸をしなさい、潮の満ち引きのように、と教わりました」

―最後にメッセージをよろしくお願いします。
「コンサートでは、お客様は自分自身の安らかな世界に入っていくことができますが、特にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、お客様を日常とは違う世界へいざなうことのできる傑作です。今回、私もベートーヴェンの協奏曲でみなさまを別世界へとお連れできればと思っています。
 日本は、祖父母が東京に住んでいたので、2歳から、夏休みになると祖父母に会いに来ていました。祖先が九州出身なので九州を旅したこともあります。それから祖父母が住んでいた家の直ぐ近くに柴又の帝釈天があり、何回も行きました。今でも東京に来ると帝釈天に行きます。日本は私のハーフホーム(半分の故郷)ですから、また来るのをすごく楽しみにしています」

インタビュー:山田治生(音楽評論家)