N響オーチャード定期

2017-2018 SERIES

98

広上淳一

広上淳一のN響オーチャード定期への出演は、2001年9月(第16回)、2015年3月(第83回)に続いて、今回が3回目となる。日本人指揮者としては最多の登場である。今回の演奏会のこと、30年以上の付き合いになるN響のことなどをきいた。
(12月13日・N響練習場にて)

©Greg Sailor

今回は、ドヴォルザークの交響曲第8番とモーツァルトのクラリネット協奏曲を取り上げられますね。選曲の意図は?
「みなさんとともに名曲を味わいましょうというプログラムです」
メインはドヴォルザークの交響曲第8番ですね。
「ドヴォルザークの交響曲第8番は、20代で(ロイヤル・)コンセルトヘボウ管弦楽団にデビューしたときにも振った曲です(注:1984年のアムステルダムでのコンドラシン指揮者コンクールで優勝した広上は、86年からアムステルダムで研鑚を積んでいた)。ハイティンク先生の代役でした。前半は、アシュケナージ先生がピアノを弾いてくれて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ハイティンク先生に代わって、急遽、振ることになり、お前の好きなプログラムでいいと言われました。それでこの2曲を選びました。ドヴォルザークの8番は、好きな曲で、勉強はしていたのですが、振ったことはありませんでした」
そのコンセルトヘボウ管との演奏会はどのような感じでしたか?
「ハイティンク先生が急病なので、コンドラシン・コンクール優勝者の広上という指揮者のデビューに代えますという感じのコンサートでした。私はまだ経験のなかった時期で、コンセルトヘボウ管が上手すぎて、コンサートがどうだったのかよくわかりませんでした(笑)。ホールもよく響くし。
それよりもリハーサルをどうしようかと困りました。英語も下手でしたし。ドヴォルザークの8番を最初から始めると、オーケストラが上手くて止めようがない。でも若かったから『エクスキューズ・ミー、そこは3つ・・・』とか言って、止めましたが(笑)。免許証取り立ての初心者がいきなりロールスロイスなどの高級車を運転するようなものでした。ほとんど何もしないでも走る。コンセルトヘボウ管は指揮に吸い付いてくるようなニュアンスがありました。コンサートマスターは、いまや次期ニューヨーク・フィル音楽監督のヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが務めていました。コンセルトヘボウ管では、その後、シャイーが初演した2人指揮者が必要な現代曲を手伝ったりもしました」
前半にモーツァルトのクラリネット協奏曲を取り上げられます。共演のセバスティアン・マンツと共演したことはありますか?
「マンツとは初めてです。この曲は遺作みたいなもの。モーツァルトはもっと生きるつもりだったのでしょうが。筆が凄いですね。音は心地良く、自然体で書かれているが、ものすごく緻密。第2楽章の美しさ! 簡潔、でも美しい。第3楽章は諦念のダンス。諦念と定年を掛けてますよ(笑)。そこの優雅さを先取りした音楽。お客さまにはそのモーツァルトの妙技を堪能していただきたい」
最初は、「フィガロの結婚」序曲です。昨年は京都で全曲を指揮されていますね。
「『フィガロの結婚』はバイブルですね。エーリッヒ・クライバーの録音は絶品ですよ。序曲は最初のユニゾンがたいへん難しい。たった5分の曲ですがちゃんとやろうとすると難しいです」
N響と演奏する楽しみはどういうところですか?
「N響デビュー(1985年5月)から30年以上、こんなに長く可愛がってもらえるとは思っていませんでした。デビューした頃の経験のない素っ頓狂な指揮者をよく見守ってくれました。今、一緒に演奏させてもらっていることに感謝しています。指揮台に呼んでもらえることに。
 娘が生まれたとき(2001年9月)も、オーチャードホールでN響と『夏の夜の夢』を演奏していました。ゲネラル・プローべ(舞台リハーサル)が終わって、『生まれました』と知らされました。N響オーチャード定期を振るたびに思い出します。
 私ももうすぐ60歳になります。少しはお役に立てるような引き出しもできたと思いますので、同じ国の指揮者として、世界クラスのオーケストラとなったN響を何か助けられることがあればと思っています。いろいろな意味で彼らには助けられました。尊敬する仲間がいっぱいいます」

インタビュー:山田治生(音楽評論家)