今回の楽員インタビューは、2005年に38年ぶりのテューバ奏者として大きな話題を集めて入団した池田幸広(いけだ ゆきひろ)さん。今やすっかりN響の顔のお一人として大活躍。先ずは、楽器との出会いからお聞きしました。

「生まれ故郷の静岡県島田市は、サッカーの盛んなお国柄で少年時代は来る日も来る日も仲間たちとサッカーをしていました。小学校4年生でクラブ活動を決める際にもご多分に漏れずサッカー・クラブに入るつもりでしたが、校内ブラスバンド「ファンファーレバンドクラブ」の5年生・6年生の先輩たちの演奏を聴いた瞬間、雷の落ちた様な衝撃を感じました。そこで、ユーフォニアムを始めました。まさに、人生のターニングポイントでした。」

中学校に入ると吹奏楽部に入ります。

「本当は格好良くサックスを吹きたかったのですが、体格が良かったので先生にテューバを薦められました。最初は断ったのですが、保健室に連れて行かれて肺活量を測らされました。先ずは先生が3,600cc。次に僕が4,300cc。これでテューバの適性バッチリという訳です。」

中学校3年生でプロの演奏家になろうと決意したそうですね。

「中学時代に江川秀樹先生にテューバの魅力を教えていただきました。実際にテューバのない演奏と有る演奏とを聴き比べさせてくれて、低音の重要性を知りました。父は理系の公務員でしたので音楽家になることには反対しましたが、“楽器をやるならN響に入れるようなプレイヤーになれ”と励ましてくれました。勿論、“はい、入ります”と答えましたよ。」

その頃から、N響は憧れでしたか。

「父は、島田市の市民会館に勤めていた時にN響が演奏しに来たので知っていたようです。僕は、『ドラゴンクエスト』のサントラ盤で聴いていました。(笑)」

江川先生を慕って藤枝明誠高校へ、そして、国立音楽大学に進みます。

「江川先生には息の使い方など、楽器の基本を徹底的に叩き込まれました。高校の部活が終わると、毎晩19:30から21:00までレッスンです。高校3年生からは、稲川榮一先生についてさらに基礎を固めると同時に、オーケストラ・スタディをみっちり勉強しました。
稲川先生は、ケルン・ギュルツェニヒ・オーケストラに在籍されていてドイツ音楽を知り尽くしていました。ワーグナーの『リング』を全て教えていただきました。近年、東京・春・音楽祭で『リング』を演奏しましたので、20数年ぶりに当時のレッスンが大いに役に立ちました。」

そして、いよいよN響に入団します。

「N響テューバ奏者の席が何と38年ぶりにたった1席空くということで、聞くところによると80名を超える応募があったそうです。何とかオーディションに合格しまして、その後1年間トライアルで演奏しました。前任の多戸幾久三先生とのこの1年間はかけがえのない時間でした。N響のノウハウと言いましょうか、指揮者の振り下ろす棒に対してどういうタイミングで演奏するのかとか、テューバはオーケストラの後ろの方にいるので客席でちょうどよく聴こえるためにはちょっと早く吹くんだなど、実践的なことを学びました。」

お父さんも、喜ばれたのでは。

「そうですね、合格したことを伝えた時には“最高の親孝行”と言ってくれました。静岡からN響定期演奏会を聴きにきてくれたり、いつもテレビで見て息子の安否(笑)を確認してくれたりしています。」

池田さんは、2007年4月「N響オーチャード定期第44回」でヴォーン=ウィリアムズの テューバ協奏曲を演奏してくださいました。

「オーチャードホールの大きな空間で気持ちよく吹かせていただきました。いつか、ジョン・ウィリアムズも演奏してみたいと思います。」

ありがとうございました。