オーケストラの中で、"華麗"、もしくは"優雅"という言葉が最も似合う楽器といえば、誰しもハープを挙げるだろう。ハープは、ヘルメスやアポローンの神話や叙事詩の世界を含め、リラやキタラなど、歴史的にも最も古くに起源を持つ楽器である。それゆえ、ケルティック・ハープ(アイリッシュ・ハープ)や南米のアルパなど、種類も多い。オーケストラで用いられるのはダブル・アクション・ペダル・ハープ。クラシック・ファンならば、モーツァルトのフルートとの協奏曲やチャイコフスキーの〈花のワルツ〉、ドビュッシーの《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》やラヴェルの《序奏とアレグロ》にはじまるフランスの数々の名曲、マーラーのアダージェット、あるいは何台も並べたベルリオーズやワーグナーの作品などをすぐさま連想することだろう。

今回の楽員インタヴューにご登場いただくのは、N響でこの楽器を担当する早川りさこさん。昨年には譚盾の協奏曲《女書》の世界初演と、それにまつわるドキュメンタリー番組でも話題を集めた。彼女は、常に真摯な演奏でハープの魅力を広め、また深く切り込んだ解釈と余裕のテクニックによって、この楽器がオーケストラの中で決して飾りではなく、きわめて重要な役割を担っていることをに我々に気付かせてくれ続けている。この楽器への関心が高いデュトワや、要求の高いマゼールらからも特別な信頼得ている奏者でもある。

ヴァイオリンなどと異なり、ひとりだけのパートでもあるので、今回は少し広めの範囲でお話を聞かせていただいた。

N響に入られてどれくらいになりますか?

「2001年に正式入団なので、もう13年になりますね」

91年に第3回日本ハープ・コンクール、96年にはスペインの第2回アルピスタ・ルドヴィコ国際コンクールで優勝され、ソリストで活躍されていたので、N響に入られると知った時には少し驚きました。

「ゲストとして色々なところで弾かせていただいている内に、オーケストラって面白いなと思うようになっていきました。そんな頃に、ちょうどN響でもハープを使う曲が増えてきて団員を必要とし始めていたのですね。タイミングがうまく合ったという感じです」

入ってみて、N響は如何でしたか?

「まず、皆がきわめてよくお互いの音を聴くということに驚きました。それと、集中力が尋常でなく、スゴいプロフェッショナルな集団だなと思いましたね」

オーケストラ・パートとして聴くハープの醍醐味とはどのようなところにあるのでしょう。

「曲や作曲家にもよりますが、とても香りにこだわる作曲家もいると思えば、ベースと一緒に低音を支えてほしいと託している作曲家もいたり、扱い方は様々です。ですので、オーケストラの中でどういう香りをさせ、どういった効果・役割を担わせているか、その作曲家がハープのどこに惚れて書いているかというところに注目して楽しんでいただければ一番ありがたいです」

今回の第80回オーチャード定期は、今シーズンのラストを飾る回です。プログラムの前半はヴェルディとプッチーニのイタリア・オペラ作曲家の名曲集、後半はやはり著名なラヴェル編曲のムソルグスキー《展覧会の絵》です。ハープはどう扱われていますか?

「実は今回はそれほど目立つ役回りはありません。前半では《マノン・レスコー》が唯一ハープが独自の動きを与えられているくらいです。プッチーニの魅力は、ハープが寄り添うことで、ハーモニーの変化を印象的に高めているところ。大事な音を託されてもいて、作品の色調のひとつに参加させてもらっている感覚がありますし、そのブレンドされた音色の美しさを味わいながら弾いています。
次にハーピストとして面白いと思うのは《ボエーム》ですね。たとえば、歌と一緒に重なっているところがありますが、そこで歌が揺れるんですね。その歌に如何に付けるかというのが、とても重要であり、楽しいところです。その他では、やや専門的な話になってしまうのですが、波線で書かれているアルペッジョの解釈。この場合、どの音が小節の頭かということには、とてもこだわります。作曲家が、指揮者がどう望んでいるかを如何にして汲み取るか。これは、おそらくハーピストしか知らない楽しみでしょう」

作曲家がわかりやすく書いていないのですか?

「もし本当に前に出してほしい場合は、前の小節から装飾音符のように書いている人はいるのですけれども、そうでなくこの波線で書かれている時は、指揮者との話し合いですね」

《展覧会の絵》では2曲目からハープが登場します。ラヴェルといえば、緻密な書法で有名です。

「ハープのことをよくわかっている作曲家、といえばやはりラヴェルですね。譜面の書き方が既にオタクの域に達していて、練習しながらこちらが思わず笑ってしまうようなところまであります。
ハープという楽器は、同じ音を同じ弦で弾くと、どうしても弦の振動を止めてもう1度弾(はじ)かなければいけないので、音が止められてしまいます。それを防ぐためにペダルを使うことで、音を切らずに演奏できるようにするわけです。つまり、ある音が連続している時に、その音と隣り合っている弦をペダルを踏むことで半音、もしくは全音変えて同じピッチにします。シー・シーとレガートで続けたい際に、同じ弦でシー・シーと弾くと2音は切れてしまいますが、隣のドの弦を半音下げることによってド♭、すなわちシとし、(2本の弦で)続けて弾けるようになります。これをラヴェルは譜面にちゃんと書いているのですね。多くの作曲家はそこまで丁寧に書いていないので、通常は演奏家が判断します。
ラヴェルは、このエンハーモニック(異名同音)を《展覧会の絵》でも使っています。
この作品でのハープは、最初はチェレスタと第1ヴァイオリン、次は木琴やフルート(共に〈グノーム〉)といったように、他の楽器とセットで用いられることで、縁の下の力持ち的というか、音色の諧調を変化させる役割を担うケースが殆どです。
唯一独自の動きをするのは〈死せる言葉による死者への呼びかけ〉。ここで先の異名同音が登場します。ここでラヴェルは、ファ♯→ド♯→ファ♯→ラ♯→ド♯と上がってゆく際に、ソ♭→レ♭→ソ♭→シ♭→レ♭とを重ねているのです。重い静けさの中で、このように音を重ねることによって、一種の遠近法のような奥深さが出てとても効果的です。死者とか墓がテーマの楽章ですので、少し不安定で不可思議な響きを意識しているのかも知れません。ちなみに、私はフラット系の音を少しだけ強めに弾く方が響きがよいと思っています。なので、五分五分ではなくて六四くらいにして弾いています」

最後の〈キエフの大門〉では第2ハープも参加しますね。

「ここで第2ハープと一緒にソファミレと降りてくるところは、ハープの音域をすべて使っています。2人ともオクターヴ(の重音)で弾いているので、下の方は手が長くないと大変なんですよ。 その後、クライマックス直前には、グリッサンド奏法が全曲の中で唯一出てきます(練習番号113の3小節前)。うまく決まるとその後の盛り上がりに貢献できるところなので、特に集中して弾いています。ハーピストとしてはここも楽しい箇所ですね」

なるほど、興味深いです。せっかくなので少し脱線して、ハープのユニークな奏法についても聞かせてください。どのようなものがあるのでしょうか。

「たとえばマーラーの場合、彼が耳にしていた楽器は、ひょっとしたらとても音が弱かったのかも知れません。そのため、交響曲第3番や第7番、第8番、《大地の歌》などで、おそらくここぞと思う時にMediatorという指定が出てきます。Mediatorというのは、別の言い方ではPlektrumともいい、"爪で"という意味です。他のハーピストの皆さんは、この部分を多分ギターのピックで弾くのですけれども、私はそれだと小さ過ぎるように感じるので、色々なものを試した結果、使用済みのクレジットカードを使っています」

コンテンポラリーではより多くの特殊奏法が用いられていそうですね。

「現代曲になると、もう際限ないです。紙を挿むとか(一種のプリペアード奏法)。譚盾の《女書》では、チューニング・ピンからディスク*までの間の弦を弾いたり、弦を両手でパンと叩くというのもありました」
*)チューニング・ピンは弦をとめるピン。ディスクはペダルの命令を伝え、ピッチを変える丸いパーツのこと。写真参照。

「ハープは奏者が左に寄ってシンメトリーでない体勢で構えるので、 『弦を挟む形で左右から手を合わせて弦を叩くと同時に手拍子の音をさせる』奏法は結構大変でした。 肉離れになりそうになってしまったほどなんですよ」

早川さんのこだわりをもうひとつ教えてください。

「弦ですね。ピラストロのコーティングしていないガット弦を使っています。高価なのですが、音色が素晴らしいんですよ」

では、最後にオーチャード定期とオーチャードホールについてお聞かせください。

「オーチャードホールの響きは決して簡単ではありません。自分たちが作っている音がどのように客席に届いているのか、やや想像しにくい舞台ではあります。特にハープはステージの端にいるので予想しながら弾かなくてはならないところもあります。ただ、本番はお客さんが入ってちょうどよくなる感じなので、リハーサルの時よりも本番の時の方がホッとしますね。
オーチャード定期で鮮明に覚えているのは、2012年1月の公演です。*スークの《おとぎ話》を演奏したのですが、その時のエリシュカさんがとても嬉しそうな笑顔をしていたのと、舞台から見た2階席の空間が印象深く記憶に残っています」

*)この公演はオーチャードホールの施設改修後の最初のシリーズ。
第66回 2012年1月8日(日)指揮:ラドミル・エリシュカ
スメタナ:歌劇《売られた花嫁》序曲
スーク:組曲《おとぎ話》op.16
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 op.95《新世界から》

インタビュアー:松本學