山田和樹 マーラー・ツィクルス

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2015.02.23 UP

Column:4 マーラーの独創性

 去る1月24日にマーラー・ツィクルスの最初の演奏会が開かれ、武満徹の《オリオンとプレアディス》とマーラーの交響曲第1番が演奏された。今後も続くこの対比的なプログラムについては別の機会にゆずることとしよう。

 この第1番は、一般的に知られている現行版ではなく、1893年にハンブルクで演奏する際に用いた稿による演奏であった。これは「ハンブルク稿」と呼ばれるもので、現行版との決定的な違いは4楽章ではなく「花の章」を含む5楽章構成となっていることである。4楽章版での演奏が主流となっている中で、この演奏では初期稿での演奏を聴く非常に貴重な機会であっただろう。

 さて、現行版の4楽章構成とハンブルク稿での5楽章構成との間には、単に楽章の数だけでなく様式上の決定的な違いがある。現在知られている4楽章版では、同一のモティーフがすべての楽章に現れるという特徴がある(このような構成を「循環形式」という)。第1~3楽章は4度下行のモティーフで始まり、第4楽章ではその動機が曲のクライマックスで現れることにより、曲全体に統一性を与えているのである。ところがハンブルク稿にあった「花の章」にはその4度下行という要素が見られない。4楽章構成による第1番をよく知っている人ならば、聴いていて違和感を覚えたかもしれない。しかしその「花の章」を含めることにより、逆にいわゆる「マーラーらしさ」が強調されたのではないだろうか。

 以前のコラムでマーラーの交響曲について、異質な性格を持つ多様な要素を内包することで豊かな内容を持った音楽が作り出される、と書いたことがある。ハンブルク稿による第1番では、4度下行のモティーフを含まない「花の章」は曲中でいわば異質な存在といえよう。つまりそのような楽章を含むことにより、このツィクルス第1回の演奏では一層多様な要素を内包した、いわばポプリのようなマーラー的な世界を作り出すことに成功したように思う。

 

 ところで、マーラーの交響曲の魅力や特徴についてはこれまでにも書いてきたが、その中でまだ紹介していないもう1つの大きな特徴がある。それは、彼の交響曲に現れる主題にはどこかで聴いたことのある旋律が多く用いられることである。

 例えば第1番の第4楽章(現行版では第3楽章)の冒頭主題は、下の楽譜に示した葬送行進曲風の旋律であるが、この旋律をどこかで聴いたことのある人も多いだろう。

これは《ジャック兄貴》と呼ばれる民謡(日本では《静かな鐘の音》という名前で知られている)を短調にしたものである。 

 そして同じような特徴は今月演奏される第2番と第3番にも見られる。第2番の第1楽章では葬送行進曲を思わせる荘重な雰囲気が支配的となるが、その中で楽章の後半では次のような旋律が現れる。

 この旋律については、ベルリオーズやリスト、ラフマニノフらも自作品に引用したことで有名なグレゴリオ聖歌《怒りの日》の旋律との類似性がこれまでも指摘されている。そして同じ旋律は終楽章の前半でも再現されるのである。

 また、第3番の第1楽章はホルン8本のユニゾンによる勇壮なテーマで幕を開ける。それが下の楽譜の旋律であるが、これはブラームスの交響曲第1番の第4楽章に現れる旋律に非常によく似ている。

 

 これらについては、マーラーが意図的に用いたのかあるいは無意識のうちに偶然似てしまったのかは定かではない。しかしマーラーの時代にすでに調性音楽が書き尽くされ、次世代の作曲家が調性からの脱却を目指したことを考えると、既存の旋律に似てくるのはある意味当然かもしれない。

 マーラーと親交のあったウィーンの作曲家シェーンベルクは「マーラーのテーマは非独創的であるという批判は信じられないほど無責任である」と述べた。彼はここで、音楽とはテーマという単一の要素で成り立っているのではなくそのテーマをもとに如何に全体を作り上げていくかが重要であると論じ、その意味においてマーラーの作品は独創的であると擁護しているのである。

 実際に、例えば第1番第3楽章では葬送行進曲の旋律に続き軽快な旋律やゆったりとした民謡風のモティーフなど、異なる性格の様々な要素が現れる。また第3番第1楽章ではブラームスを思わせる冒頭主題が提示され荘重な雰囲気が続くが、その後何の前触れもなく牧歌的な旋律が現れたり楽章のクライマックスでは明るく軽快な行進曲風の旋律が現れたり異質な性格の旋律が次から次へと顔を出す。これらはまさに前述のマーラー的なポプリのスタイルである。

 一方第2番では、第1楽章に現れた《怒りの日》の旋律が終楽章の前半において最後の審判を思わせるファンファーレと共に顕著に現れる。さらに終楽章の後半では「お前は蘇るだろう」と歌う合唱を用いることにより、この交響曲全体で「死から復活へ」という1つ物語を生み出している。

 

 このように、一見「独創的でない」主題を用いながらも、ある時はそれらをポプリのような世界の中に組み込み、またある時は他の素材との間に有機的な結びつきを持たせる。そうした手法により聴いている人をいわば「マーラー・ワールド」に引き込んでいく。それこそがマーラーの曲の魅力であり、今もなお世界で演奏され続ける所以であろう。