山田和樹 マーラー・ツィクルス

MAHLER SYNPHONIES曲目紹介

マーラー : 交響曲 第9番 ニ長調

文・佐野光司

《交響曲第9番》(ニ長調1908-09)はマーラー(1860~1911)が自ら完成した最後の交響曲となった。そしてこの曲の前に完成された《大地の歌》と共に、マーラー自身はその演奏を聴くことが出来なかった。

1907年末にウィーン宮廷歌劇場の職を辞してから《第9番》を書いた時期、マーラーはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者となり、ニューヨークとウィーンの間を年に半分ずつ往復していた。今日と違って船旅である。

《第9番》の内容については多くの研究者が「告別と死の予感」について語っている。ベルクは実際にこの作品をピアノで弾いた感想を「死の予感に基づいている」と述べ、シェーンベルクは初演(1912)の後「《第9番》は1つの限界であるかに思えます。ここを越えようとすれば、死を覚悟しなければならないでしょう」と語っている。

実際この曲には諦念の感が色濃く漂っている。しかも終楽章の最後に消え入るように終わるところには「死に絶えるように」と書き込んである。1907年に発覚したマーラーの心臓疾患もあり、彼の胸中に死への予感が宿っていたことは否めない。両端楽章(アンダンテとアダージョ)の諦念に満ちた響きを聴くと、第2楽章のレントラーの舞曲は「ぎこちなく粗野に」という指示を持った、やや自嘲気味なところがあり、第3楽章のロンド・ブルレスケにはシニカルな不気味さがあるかのようだ。多くの研究者がこの交響曲の中に「死」の影を感じていたことは不自然ではないだろう。

しかし曲の構造は《交響曲第8番「千人の交響曲」》の延長線上にある。《第8番》は冒頭主題の4小節が全体の中心であり、この中の部分動機の発展変容で長大な曲全体が構成されている。《第9番》では短い導入部の後に、第2ヴァイオリンで静かに奏される第1主題の最初の8小節の中に、全体を構成する要素が凝縮されているのだ。他の楽章では特に2度下行する音形が意味を持っていることに気付くだろう。

ウェーベルンは日記の中にマーラーの次の言葉を書き残している。「音楽の大きな構造は、単一の動機から発展させられるべきである。そこには後に現れる全ての素材の胚芽を含む。」これは1905年2月のことであり、マーラーが《交響曲第7番》を書いている最中の時期だ。

マーラーの妻アルマの証言によると、マーラーは《交響曲第5番》《第6番》《第7番》は演奏のたびごとに繰り返し手直しをしていたと云う。この時期はマーラーの作法の転換期であったのだ。アルマはさらに「《第8交響曲》にいたってようやく彼は自信をとり戻した。《大地の歌》は生前ついに演奏されなかったが、かりに彼が生きていたとしても、音符1つ動かさなかっただろうと思う」と続けている。マーラーは《第8番》《第9番》において、新たな方法論を掌中のものとしたと考えてよい。

だがまたマーラーが《交響曲第9番》を書くのを恐れていたことはよく知られている。ベートーヴェンもブルックナーも《第9番》で終わっているからだ。だからマーラーは《大地の歌》を最初は《第9番》のつもりで書き、現行の《第9番》に取りかかったとき、妻アルマに「これは本当は10番なんだ。《大地の歌》が私の9番だからね」と言ったという。

実際にマーラーはその恐れの通り、《第10番》を完成することなく、また《第9番》の演奏も聴く事なく世を去ったのである。