山田和樹 マーラー・ツィクルス

MAHLER SYNPHONIES曲目紹介

マーラー:交響曲 第4番 ト長調

文・片桐卓也

 指揮者マーラーの人生の中で、最も栄光に満ちた年。それはユダヤ人でありながら、ハプスブルク帝国を代表する歌劇場であるウィーン宮廷歌劇場の常任指揮者に起用された1897年だろう。そして同じ年のうちに、マーラーは宮廷歌劇場監督に就任する。翌年にはウィーン・フィルハーモニーの指揮者にも選任された。それまでドイツ、ハンガリー各地の歌劇場で指揮者として活動していた訳だが、ウィーンの監督就任は指揮者としては最高の地位まで登り詰めたということになる。マーラーは37歳だった。

 その時期、作曲家マーラーのほうは少しお休みをせざるを得なかったようだ。第3番の交響曲は1895、96年の夏に一気に書き上げられた(初演は1902年)。その第3番の交響曲は「少年の魔法の角笛」の中の詩を使っているが、歌曲集「少年の魔法の角笛」も1892〜1901年の長い時期にわたって書き継がれていた。「少年の魔法の角笛」を歌詞に採用した交響曲は第2番、第3番、第4番と3曲あり、この3曲を時に「角笛交響曲」と呼んだりすることもある。特に第3番と第4番には深い関係がある。

 交響曲第3番の作曲に際し、マーラーはその第7楽章としてやはり「角笛」の歌詞を使った「天上の生活」を使おうと構想していたが、これを結局は第3番から外してしまい、「天上の生活」は交響曲第4番の第4楽章として活かされることになった。マーラーはすでに書いてあった「天上の生活」から遡るように、第4番の交響曲の他の楽章を書いて行ったことになる。作曲は1899年の夏から始まり、翌1900年の夏にも続けられた。そして1901年11月にミュンヘンで初演が行われたが、その初演は多くのブーイングを浴びた。

 第4番は、交響曲としては古典派、ロマン派以降の通常の形式である4楽章制を用いている。またトロンボーンを楽器編成から外すなど、他のマーラーの交響曲に較べると、オーケストラの編成も小さい。第1~第3番までのマーラーの交響曲の斬新な構成からすれば、古典的な形への回帰とも言える作品だ。そしてその傾向は以後の第5~第7番までの交響曲の先取りでもある。

 第4番の音楽の内容に注目すると、第1楽章はフルートと鈴の音で始まるが、この部分は作曲当時の聴衆には一種のパロディ(おふざけ)と取られたようだ。そして第2楽章では長2度高く調弦したヴァイオリンをコンサートマスターが演奏するが、これもおどけた感じに聞こえる。第3楽章は2つの主題による複雑な変奏曲。そして第4楽章にはソプラノの独唱が入り、「角笛」の中から「天上の生活」を歌う。ひとつひとつの楽章はとても個性的だが、そのまとまりのなさが初演当時にはなかなか理解されなかった。しかし、マーラーの交響曲としては比較的編成も小さく、演奏時間も短いことから、初演以後は演奏機会、録音の機会に恵まれた作品となった。

 ウィーンで指揮者としての栄光に満ちた生活を始めたマーラー。しかし、その栄光も長くは続かない。この第4番の初演直前には、妻となるアルマと出会っている。そういう事実を振り返ってみれば、交響曲第4番はマーラーの人生の転換期に書かれた作品であったと言えるだろう。