山田和樹 マーラー・ツィクルス

INTERVIEW インタビュー

人間の歌 ―― マーラー、武満徹との出会いのツィクルス

インタヴュー・文 青澤隆明

2015年、ツィクルスの開幕にむけて─

30代半ばでツィクルスを手がけるのは大仕事だし、第4番を除けば、個々の交響曲を プロのオーケストラで指揮するのも、山田和樹にとっては初めての挑戦になる。
「いま、自分にとって一番やりたいことが実現できるオーケストラ」と語る日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者のポストを更新し、「ちょうど距離感もいい時期に」このツィクルスへと船出するわけだ。マーラーの9つの交響曲に、武満徹の名作を組み合わせ、「日本から世界へ」をメッセージに日本人による演奏に主眼を置きつつ。壮大な冒険の始まりに立つ、山田和樹に話を聞いた。

―― 壮大なツィクルスのなかで、マーラーの人生はもちろん、武満徹の作品も歌や映画 音楽を含めて大きくその歩みを旅していくのが楽しみです。この冒険に、いまからど のような予感を抱かれていますか。マーラーはたいへん苦しい人生を激しく生きた人ですよね?

「苦しいからこそ、ぼくには3年の時間が必要なんです。第6番、7番とは自分と距離がありますし、ほぼ初めて指揮するわけですから。マーラーの明るくない部分と向かい合い、彼の人生の不幸、結婚生活とか子供の死とかというようなことも考えて。ぼくがいま35歳ということは、マーラーが交響曲第2番を初演したり、第3番を書いたりしている頃なんですよね。武満さんの作品にしても、『オリオンとプレアデス』も、『ア・ストリング・アランド・オータム』も『ノスタルジア』も指揮するのは初めてです」。

―― 武満さんの「うた」の連作は、4月から音楽監督として関わられる東京混声合唱団のために書かれた作品で、1979年から92年までの長い期間に書かれていますが、79年というのは……

「ぼくが生まれた年ですよね」。

―― 1980年代や90年代の作品が多く採り上げられていて、武満徹という作曲家がより深く歌の世界に傾斜していく時期の曲が大半ですね。合唱とオーケストラの両輪で活躍される山田和樹さんが、それらをマーラーの歌とともに織りなしていくのを聴けるのは興味深いです。

「うん。マーラーも結局、歌に満ちていますよね。声楽のあるなしに関わらず、メロディーに溢れていますし。歌という、ひとつの大きなテーマがあれば、と思います。マーラーはオペラを書きませんでしたけれど、すごく声楽的なラインで音楽を書いています。歌い手の発声をオーケストラでも表現していて、根本に歌があって書いてるな、っていう気がするんですよ。いっぽう武満さんは、どの曲にも基本的に日本人のスピリッツというのがあると思う。底辺のところに日本人の血というものを感じるなにかがあるじゃないですか。ハーモニーも美しいけれど、どこかで日本人的なノスタルジーと結びついている。ぼくもベルリンに住んでいますけれど、海外にいるとそういうところに敏感になる。日本人の作曲家ということももちろんありますけれど、作品がもっているノスタルジー性というのかな、そこに懐かしい歌やなにかとの結びつきを感じます。ぼくは海外のオーケストラに『擦り足』って言って、その音の出しかたを説明するんだけど、そういう歩きかたひとつや日本古来の生活様式に、おおもとのスピリッツを感じる。マーラーと武満さんとは、歌の方向性は違うとしても、普遍性というところでは、世紀を超えて絶対に残る作品だと思います」。

―― ツィクルス全体が歌に充ちたプログラムだと言うこともできますか?

「できると思いますよ。マーラー自体、そういう特性があると思います。退廃的だったり、世紀末の様相を映したりという方向もありますが、一方でとても人間臭いですよね。武満さんも大の阪神ファンで"六甲おろし"を歌ったり、ミュージカルがすごくお好きだったと聞きます。人懐こさというのかな、マーラーもたまに独特のユーモアがあったりするんですよ。怖い顔だけじゃなくて、洒落っ気があったりする。第4番もそうだし、第6番「悲劇的」にしても子どもが遊んでいるところなんてかわいらしいですよね。まあ、表裏一体ですけれど、どっちかというとぼくはポジティブなほうだから、彼の洒落っ気の ほうが出せたらいいかなと思います。底辺が暗かったら、ちょっとの明るさでも目立ちますでしょう? ぼくがいちばん大好きな作曲家が誰かといったらモーツァルトですけれど、長調のなかで悲しみがあったり、悲しいなかに明るさや幸せがあったり、そこはマーラーも武満さんも似ていると思う」。

―― マーラーの交響曲は成立順に歩んでいくことになります。時代に沿って進んでいくということは、マーラーの創作人生を改めて辿っていくことに近いわけですよね?

「自分自身、初挑戦の曲が多いですから、前作を知っていて、そのときなにがあったかを、彼の人生を追いながらひとつずつ確認できることはものすごく大きいです。ぼくが大学時代に学生オーケストラをつくってベートーヴェンの全曲演奏をやったときにも、1番から順番にやっていくことでみえてきたものがたくさんある。『ああ、ここで初めてフォルテが3つ出てきた』とか、初めてエスプレッシーヴォが出てくるとか、そういうことがものすごくはっきりするんですよ。マーラーの交響曲も9曲ありますが、基本的にはひとつの大きなラインです。マーラーと武満さんに限らず、ぼくはその大きなラインを表現したいと思うんですね。作品の物語性というか、物語が始まって終わるのを」。

―― 作品に臨むときは、やはり作曲家の人間性を感じながら向き合うわけですよね?

「どんな人だったかな、というのは考えますよね。それを思うのは、ぼくにとってすごく楽しいことかも知れません。パーソナリティーや物語が浮かんでくる演奏のほうが、多少荒削りで整合性に欠けるとしても、アプローチとしては好きなんです」。

―― ということは、ツィクルスを聴く人はマーラーの壮麗な音楽建築のなかに入っていくけれど、そのなかには必ずちゃんと人がいて、そこで握手ができるかも知れない。そういう期待をもっていていいですか?

「そこまで、大丈夫です、と胸を張れたらいいけれど(笑い)。まず、人ありき、ですよね。武満さん、マーラーというパーソナリティーが最初にあって、そこに音楽的な才能が加わって初めて作曲家になった。どの職業でもそうだし、どの方でもそうだと思います。テーマを書き加えましょうか、『人』ってね。『山田和樹マーラー・ツィクルス--人を求めて』とかね。『人』、それは大きなテーマをいただきました(笑い)」

2014年4月21日 Bunkamuraオーチャードホールにて記者発表が行われました

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