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学芸員による展覧会紹介
オディロン・ルドン/岐阜県美術館
図録&グッズ

ルドンの黒

眼をとじると見えてくる異形の友人たち

2007年7月28日[SAT] 〜 8月26日[SUN]

Bunkamura ザ・ミュージアム

学芸員による展覧会紹介

現代人の心をつかむ

 ちょっとコミカルな、しかしよく見ると悲しげな表情の怪物たち。今時の若いマンガ家が描いたかと思うような生き物を生み出したのは、19世紀末のフランスの画家だと聞いて、意外に思い、驚く人も多いだろう。
 それは何よりも、この画家の並外れた想像力と、思い浮かべた形をビジュアル化する造形的才能の賜物であることは言うまでもない。私たちはその発想の自由さと、実に絶妙な感覚を、賞賛せずにはいられない。と同時に、それはこのクリエーターが、21世紀の私たち現代人と似た精神世界を持っていたことの証明でもある。しかもここにあるのは黒一色の世界。だがそれが逆に、研ぎ澄まされたような静けさを醸し出している。静寂の中、目を閉じると見えてくる、異形の友人たち―。

疎外された子ども時代

 オディロン・ルドン(1840−1916年)は、フランスはボルドーの裕福な家庭の次男として生まれたが、病弱だったこの子は生後まもなく里子に出されてしまう。場所は父がボルドーから30キロ離れたペイルルバードに買った荘園で、ルドンは親戚であったその管理人の老人に11歳まで育てられる。家族は定期的に訪れてはいたが、母親の愛を一身に受ける兄と自分を比べないはずはなかっただろう。兄弟どころか、いるはずの父も母も、そこにはいない。殺伐とした何もない土地。孤独な少年時代。そして彼はいつしか夢想にふけることを、あるいはそれだけを、心の慰みにしていった―。
 そんな少年がボルドーに戻されたのは、学校に入るためだった。しかし成績は悪く、図画だけが得意だった。父は彼を建築家にしようとし、パリの国立美術学校を受験させるが失敗に終わる。続いて新古典主義の画家のアトリエで絵の修行を始めるが、これも挫折。結局この若者はボルドーに戻り、それまでの人生の、期せずして蓄えた負の遺産を糧に、新たな世界を切り開いていくことになるのである。

独学の植物学者と放浪の版画家

 意気消沈して帰って来たボルドーで、ルドンは人生を変える2人の人物と出会う。一人は植物学者アルマン・グラヴォー。彼を通じて顕微鏡下の不思議な世界に触れ、動物とも植物ともつかない生物の存在を知るなど、のちの空想世界の下地となる貴重な体験を重ねていった。また象徴派の詩人ボードレールの悪魔的な世紀末や、エドガー・アラン・ポーの短編小説に描かれた怪奇と幻想の国に導いたのもこの植物学者であった。
 もう一人はロドルフ・ブレスダンという版画家。若き日のルドンに版画の手ほどきをした人物である。版画の魅力を伝授する中で、ブレスダンのロマン主義的で反写実主義的な態度は、空想することの重要さをルドンに叩き込んでいった。
 20代後半から30代を通じて、ルドンは黒一色で独創的世界をひたすら追及していった。もっともパリでの本格的デビューは1879年、ようやく39歳の時のことであった。それは『夢の中へ』と題するリトグラフ集で、これを機に彼の「黒の世界」は次第に注目されるようになり、美術界はもとより、象徴主義全盛期の文学界でも、ユイスマンスやマラルメといったそのリーダー格の支持を集めていった。
 しかしその人気も熱狂的なものになっていったとき、すでに50歳になろうとしていた彼は、次第に色彩画家へと、しかも類を見ない鮮やかな色の魔術師へと、変貌を遂げていくのである。子供も生まれ、人生の充実度と芸術家としての成功と比例するかのような変身であった。だがそれはそれとして、「黒の時代」の作品は今も多くの人々の支持を得続けている。それは現代人の心の琴線に触れると言う点では、カラー作品以上であると言えるかも知れない。

夢想家の独り言

 ルドンの作品は、それを通じて何かを伝えようというメッセージの類とは無縁かもしれない。今で言う自閉症のような、自分の殻に閉じこもっていた彼が、外へ向かって何かを発信することはない。その作品には、孤独な芸術家が見た夢や幻が、本を読んだあとの自由な印象が、丁寧に描写されているだけなのである。だがそれこそが、現代人を引き付ける理由なのだろう。孤独はもとより、人間疎外が常態化している現代では、うるさいメッセージではなく、心のありようをそのまま形にしたような、ただそれだけのものが、深い共感を呼ぶのである。
 一方、ルドンはかなりの読書家であった。ときには興味を持った本の挿絵というかたちで、あるいはそれを独自に解釈して、自らの世界に採り入れている。例えばフランスの同時代の小説家ギュスターヴ・フロベールの『聖アントワーヌの誘惑』の場合。この話は古代キリスト教の聖者が荒野で修行中に、悪魔や妖怪が現れる生々しい幻覚に見舞われたという伝説をもとに書かれた幻想小説で、まさにルドンにとって格好の素材であった。彼はよほど気に入ったのか、これを三度も版画集として制作している。
 ルドンが自分の世界にのめりこんでいったことは、似たようなモチーフを幾度となく登場させていることからも伺える。例えば目玉。処女版画集『夢の中で』では光る巨大な眼球として、また『エドガー・ポーに』というシリーズの中では、天を睨みながら大空を舞う気球に変えてという具合に。この大きな目玉の意味を、精神分析的に、あるいは病理学的に説明することは可能かもしれない。しかし敢えてそれをせずに、ひとつひとつの作品を静かに観ていくほうが、この孤独な夢想者と一緒になってその不思議な世界を旅するほうが、彼の芸術の本質に触れることになるのではないだろうか。そして私たちはいつのまにか、この作家の虜になっているのである。

 ルドンが自分の世界にのめりこんでいったことは、似たようなモチーフを幾度となく登場させていることからも伺える。例えば目玉。処女版画集『夢の中で』では光る巨大な眼球として、また『エドガー・ポーに』というシリーズの中では、天を睨みながら大空を舞う気球に変えてという具合に。この大きな目玉の意味を、精神分析的に、あるいは病理学的に説明することは可能かもしれない。しかし敢えてそれをせずに、ひとつひとつの作品を静かに観ていくほうが、この孤独な夢想者と一緒になってその不思議な世界を旅するほうが、彼の芸術の本質に触れることになるのではないだろうか。そして私たちはいつのまにか、この作家の虜になっているのである。

  本展はリトグラフなどの版画作品と木炭素描を中心に構成され、年代を追う形で作品を見ながら「ルドンの黒」の魅力を探る。また本展は、オディロン・ルドンのコレクションとしては世界的な名声を誇る岐阜県立美術館の全面的な協力のもとに開催される。200点に及ぶこれらの作品が一挙に公開されることはめったにないことで、是非この貴重な機会に、ルドンの世界を堪能していただきたいと思う。

Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員
宮澤政男


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