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稽古場レポート
 さすがに100人ものキャストが集まる稽古場は壮観だ。「幻の観客」たちを演じる80余人の若き無名の俳優たちが、日米安保をめぐって熱き闘争の真っただ中にいた60年代後半に生きた若者の姿を纏おうとする様子を日々目の当たりにした。「君たちが生まれるずっと前、みんなの気持ちが一緒だということを、誰も疑ってなかった時代があったんだよ。偶然隣に居合わせた見ず知らずの誰かと、同じ希望を見据えていると信じてた」(蜷川)。そんな時代の若者たちが熱狂し、やがて社会に敗北し、変わっていく――。

 そんなオープニングシーンの「幻の観客」たちが稽古場を去ったあと、役付きのメンバーの稽古が始まる。「幻の観客」が熱狂する残像が遠い記憶のようになんとなくあとを引く。そこに清村盛役の堤真一、妻ぎん役の秋山菜津子が現れただけで、冷たい空気が流れる。その正体は、舞台となる新潟の冬であり、映画館のひなびた感じであり、そして登場人物たちが秘めた憂いであり、哀しみであり、苦しみであり……。二人によって一気に持ち込まれてそうしたものが、これから展開される物語を暗示している。その振れ幅の広さに、「開演から3分で客席を惹き付ける」蜷川演出を感じ、稽古場にいながらにしてすでに巻き込まれていくのが分かる。少しずつ狂気に浸食され、混乱し、虚々実々の世界をさまよい出す盛、その事実を受け入れながらもしっかと立ち、彼を見据えるぎん……。

 映画館を守る盛の弟・重夫役の高橋洋、下世話な叔母であるはな役の新橋耐子が、生家を飛び出して都会で疲れきって戻ってきた盛をあざ笑うかのように生き生きと存在している。毬谷友子が体を張って演じる弱視の従業員や、盛の狂気の中に存在する上斐太のオジサンを演じる沢竜二ら、それぞれの登場人物もしかり。


 そんな人間臭いキャラクターたちの関係を鋭く切り裂くように違った風を吹き込むのが常盤貴子演じる、かつて盛と愛し合った名和水尾。寂れた映画館に、白いワンピースがその存在感をシャープに際立たせる。これが二度目の舞台とあって、稽古の当初は緊張していたのだろうか、心なしか笑顔が少なかったが、日に日に持ち前の明るさを取り戻していった。自分の登場シーンのない時間は、壁に向かって、あるいは堤とタンゴの練習。終盤の見せ場で披露するものだが、ステップを繰り返し体になじませるのは地道な作業だ。ただ長身の堤とのペアで踊る姿は期待せざるを得ない。水尾を追ってくる夫・連役の段田安則にも目を見張らされる。蜷川のアドバイスを二倍にも三倍にもふくらませて次々と違ったアイデアを提案していく様子は、それを目の前で見つめている若い俳優陣にも学ぶものがあっただろう。


 前述した若い俳優たちも、スローモーションやタンゴのステップを、稽古場の外で日が落ちたあとも個人練習している。それは演出家・蜷川が「皆さんの名前を全員覚えようと思います」と言った過程と似ているのかもしれない。蜷川に名前を覚えてもらうぶんだけ、彼らは群衆から個へと一歩一歩、少しずつ成長していくように見えるからだ。無名の集団から個となっていく役者たちが、メインの出演者たちとともに一つになっていく。出演者だけで100人、スタッフも入れると200人という大所帯が一つになっていく。その中心では蜷川が確かに一人ひとりと関係性を結ぼうとしていた。名作『タンゴ・冬の終わりに』の感動は、そうした地道な作業のもとにある。

Texts:今井浩一
Photos:大原狩行



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