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シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界

2014/1/2(木)-3/9(日)

Bunkamuraザ・ミュージアム

学芸員による展覧会紹介

《聖ジュヌヴィエーヴの幼少期》 1875年頃 油彩・鉛筆・カンヴァス
島根県立美術館蔵 52.5×102.3 cm

アルカディアとはギリシアのペロポネソス半島の内陸部にある地名で、古来牧歌的な楽園、理想郷と考えられてきた。山々に囲まれたこの桃源郷は、多くの芸術家のインスピレーションを掻き立て、古くは古代ローマの詩人ウェルギリウスが『牧歌』において理想の田園としてのアルカディアを謳い、その精神は後世に引き継がれていった。美術の世界では17世紀フランスの画家ニコラ・プッサンが、この地名をそのまま取り入れた名作《アルカディアにて》を描いている。シャヴァンヌは作品名としては用いなかったが、アルカディアのありようをその研ぎ澄まされた独自の美学で、しかも壮大なスケールで描きつづけた。その作品は古典主義的な様式から出発しつつも、それを超えて独自の領域に達したものであり、後輩の画家たちの目にも斬新な現代的世界観として映る画期的なものであった。象徴主義の画家は言うに及ばず、スーラやピカソ、マティスにも大きな影響を及ぼしたシャヴァンヌとは、一体どんな画家だったのだろうか。

壁画家としての大成

ピエール・ピュヴィス・ド・シャンヴァンヌ(1824-1898)は、壁画制作によって名声を得た19世紀フランスを代表する画家である。しかしながらその含意溢れる詩的で静謐な画面には、たしかにこの巨匠を象徴主義の先駆者として位置付けさせるものがある。
 リヨンの名家に生まれ、パリのリセに進む。卒業後は2度イタリアに旅行し、ルネサンスのフレスコ壁画などから大きな影響を受け、画家を志す。旅行後はロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワやアカデミスムの画家トマ・クチュールらのもとで絵画を学び、さらに夭折の画家テオドール・シャセリオの壁画にも大きな影響を受ける。こうして保守的な様式とロマン派の大胆な作風の両方に接しながら模索を続け、ようやくその方向性を見出したのは30歳になってのことで、兄が持つ別荘の食堂の壁を飾る装飾画の制作がきっかけであった。四季を題材とした4点と放蕩息子の帰還をテーマとした作品には、確かに以降の壁画家としてのシャヴァンヌの芸術の萌芽が表れている。一方、サロンでのデビューは1850年のことで、その後8年連続で落選し、1861年36歳で出品した《戦争》と《平和》という、古代の人間の営みを寓意的に表現した大画面の叙事詩的作品で初めて高い評価を受ける。《戦争》と《平和》はこれに続く《労働》と《休息》とともに、アミアンのピカルディ美術館(当時のナポレオン美術館)の階段の壁画として採用され、さらに大作《プロ・パトリア・ルドゥス(祖国のための競技)》などがこの美術館の壁を飾ることになる。そしてアミアンを皮切りにマルセイユ美術館、パンテオン、リヨン美術館、パリ市庁舎など次々と壁画制作の依頼が入るようになる。背景には当時ナポレオン3世が各地に新美術館の建造を推進しており、パリの都市改造とも相まって、壁画の需要が高まっていたことがあった。
 シャヴァンヌは壁画として制作した作品を手元に残す目的で自ら縮小版を制作した。壁画を数多く制作したこの画家の展覧会が可能なのも、こうした質の高い縮小版が存在するからなのである。なお出品作品《プロ・パトリア・ルドゥス(祖国のための競技)》の縮小版は横280cmと大きいが、本作にはさらにかつて切り取られた右端125cmがあり、両者は切断後に本展で初めて出会うこととなる。

《プロ・パトリア・ルドゥス(祖国のための競技)》 1885-87年 油彩・カンヴァス 個人蔵 94×280 cm

《プロ・パトリア・ルドゥス(祖国のための競技)もしくは家族》 1885-87年頃 油彩・カンヴァス トレド美術館蔵 94×125cm
Purchased with funds from the Libbey Endowment, Gift of Edward Drummond Libbey. 1951.313

裸体芸術

サロンでの成功をもたらした作品《戦争》およびそれと対の《平和》に続き1863年に発表した《労働》、《休息》を加えた四部作は、「アルカディア」を舞台に展開する人間の原初的な営みを表すものであるが、肌色の裸体が画面の多くを占めることに気づかされる。なぜ裸で表現されているのかという素朴な疑問。そしてその裸体表現はまた、オリュンポスの神々の世界に観る者をいざなっていく。
 ヨーロッパでは古代ギリシアから裸体は芸術の中心的課題であった。そして裸体芸術論を著した美術史家ケネス・クラークが指摘するように、裸体像とは紀元前5世紀にギリシア人が発明した芸術形式であり主題ではない。シャヴァンヌの場合も、時にはアルカディアの住民に非現実的な様相を与え、実在しない桃源郷での物語であることを強調しているかのようである。裸体による表現はヨーロッパの芸術の基調をなすものであり、そこには古代ギリシアからルネサンスへと受け継がれたユマニスム(人間中心主義)と人間賛歌の伝統と美の理想がある。このようにシャヴァンヌの古典主義は、ヨーロッパの美術の流れの主流に位置するのだが、彼の作品は単なるアカデミスムの歴史画を超えた奥行と独自性を、モニュメンタルな表現の中に獲得しているのである。

地中海、そして「水辺」へ

《海辺の乙女たち》 1879年頃 油彩・カンヴァス オルセー美術館蔵 61×47cm
©RMN-Grand Palais (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF - DNP artcom

裸体像はギリシア彫刻を思い起こさせ、ギリシアはエーゲ海を、そしてそれを抱く地中海へと繋がっていく。青い海、輝く光、乾いた風、オリーブの茂み。シャヴァンヌの作品は人類の故郷として幾多の文明を育んだ地中海世界を彷彿とさせるものが多い。リヨン出身の画家にとって地中海は身近な存在であったばかりでなく、彼はこの海が好きだった。
 《美(うま)し国》と《海辺の乙女たち》という作品がある。前者において「美し」と訳されるDouxというフランス語の形容詞には、恋人を称えるような甘い響きがある。背景に広がる青い海原はまさに地中海そのものであり、登場人物の女性と子供は漁にでた男たちを待っているのだろうか、あるいは愛すべき対象として象徴的にそこに描かれているのだろうか。
 《海辺の乙女たち》は文字通り若い女性だけが描かれているため、むしろ官能的なものも感じられる作品である。ここには太古から続く時間が静かにゆったりと流れている。海は昔から変わらずそこにあるが、モニュメンタルに描かれた娘たちもこの静けさの中で永遠の存在であるかのようだ。3人の女性が各々の世界に浸り互いに無関心なのは現代的ですらある。中心となる女性が背を向けるという斬新かつ高い象徴性をもつこの作品は、ピカソやマティスといった多くの画家に影響を与えることとなる。
 また必ずしも海でなくとも、水辺は理想郷を表現するツールとして頻繁に導入された。水は人の営みと共にあり、生命の象徴であり、波のない穏やかな水の存在は憩いと安らぎ、清明な精神を象徴するものである。パリのパンテオンを飾る市の守護神・聖ジュヌヴィエーヴの生涯をテーマにしたシャヴァンヌの壁画の場面にも、水辺は巧みに取り入れられている。敬虔な信仰によって尊敬された少女の物語は静かなセーヌ河畔の村を舞台としているのである。
 このような水辺はリヨン美術館の壁画として描かれた《諸芸術とミューズたちの集う聖なる森》において最もその効果を発揮している。抑えた色調のフレスコ画を思わせる色使いによって表現された穏やかな水辺の情景。建築、彫刻、絵画という芸術を象徴する3人の女性を、美術、音楽、舞踏、詩などを司る月桂樹の葉の冠を頂いた9人の女神ムーサ(ミューズ)たちが取り囲み、その背景にはイオニア式の神殿。つまりこの神話の舞台も、画家の心の中の「水辺のアルカディア」なのである。

シャヴァンヌの芸術はフランスに留学し直接シャヴァンヌに会った黒田清輝、藤島武二や白樺派らを通じて早くから日本に紹介され、多大な影響を及ぼしている。本展は壁画の縮小版を含むシャヴァンヌの油彩画に素描作品を加え、影響を受けた日本画家の作品も併せて、その神話世界を展観する日本で初めての待望の回顧展である。

Bunkamuraザ・ミュージアム チーフキュレーター 宮澤政男