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山川健一さん@ルドンの黒


ID_024: 山川健一さん(作家)
日 時: 2007年8月24日(金)
参加者: 齋英智さん(日本デザイナー学院教員)
ギャザリングスタッフ(中根大輔、高山典子、海老沢典世)

PROFILE

山川健一(やまかわけんいち)
1953年7月19日生まれ。早大在学中から執筆活動を開始。
1977年「鏡の中のガラスの船」で『群像』新人賞優秀作受賞。
以降『壜の中のメッセージ』、『水晶の夜』、『ロックス』、『安息の地』など
ロック世代の小説の旗手として活躍。ウェブマガジン"I'M HERE"、アメーバブックス編集長。
近著は日本人の精神の原点としての空海の教えに迫った『「空海」の向こう側へ
現世を生き抜くための密教のすすめ』、書き下ろしエッセイ、『幸福論』。

公式サイト:「BeHappy!」http://www.yamaken.com/
ブログ:「イージーゴーイング」http://yamaken.ameblo.jp/


『黒の革命』


海老沢: 今回の『ルドンの黒』展、いかがでしたでしょうか。

山川: 今回の展覧会はサブタイトルが「眼をとじると見えてくる異形の友人たち」となっていて、なるほどこういう切り口も確かにあるなって思いました。僕らが学生の頃はルドンってみんな知っていたし、好きだったんだよね。だから意外と新鮮でしたよ。

海老沢: 今までルドンの“黒”だけに焦点をあてて紹介されたことがあまりなかったみたいなんですね。どちらかというとパステルを使った色彩豊かな作品をメインに紹介する場合が多くて。今回は“黒”と言った以上、黒の時代の作品だけを展示すると言うことも考えたんですが、こういう世界を経た結果として色彩の世界に行ったということも伝えたかったんです。

山川: パステル作品が有名なのはわかるし、ルドンの描く花は圧倒的に美しいと思うけど、やっぱりルドンっていったら“黒”だよね(笑)。実際色彩のある作品を作っていた方が活動としては短いでしょ。それまではずっと黒だったわけだから。

高山: そういう風におっしゃっていただけると嬉しいです(笑)。色彩の作品をご存知の方はたくさんいらっしゃるんですね。美術の教科書に載っているのも大体そっちですから。だからルドンをお好きな方でも、黒の時代の作品は今回初めて観たという方がいらっしゃいました。

山川: 僕の友達にも絵を描くアーティストが結構いるんだけど、我々作家から見ると絵描きの人ってとても頑固なんだよね(笑)。小説なんかは1本書いたら次はもう全然別の世界を書いたりするわけなんだけど、画家は画風がほとんど変わらないし、変わる場合もほんとに少しずつの場合が多い。ルドンも風景画なんかは50代になってからだから頑固だよね(笑)。しかも印象派の画家たちがあれだけ光や色を等しく求めた時代に、これだけ黒に固執したって言うのは、とても個性的だよね。

海老沢: 印象派を代表する画家であるルノワールと年齢は1歳違いで、亡くなったのも同じ歳ぐらいなんですよね。でも作風はまったく対照的ですね。

山川: 彼は幼少期にお母さんに疎んじられたって言うか、両親と住んでなかったですよね。いろんな説があるんだろうけど、要するにあんまり愛されていない子だったように見えるね。一人暮らしで孤独な幼少期を過ごす中で、内面的な世界が生まれてきたのかもしれない。そういう意味では今の若い人が見ても十分伝わる作品なんじゃないのかな。

齋: ルドンを知っているうちの学生たちの彼に対する印象は大体カラフルな作品の世界なんですね。ところが今回は明るい花とかファンタジックものはほとんど出てこない(笑)。だから驚いたと思います。ただ、彼らの反応を見ていると、やはりおっしゃるとおり何か感じるものがあったみたいですね。どちらかと言うと絵そのものよりも、背景や絵のモチーフに共感したようです。

山川: ルドンの絵を見ると、まさに異形のものがたくさん出てくるでしょ。一つ目の怪物(《『起源』Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》)なんかもすごく気持ち悪い(笑)。でも圧倒的なオリジナリティがあるから、若い人たちも惹かれるだろうね。目玉とか、人の顔をした植物とか、そういうものが、ルドンには多分本当に見えていたんじゃないかと思うんだけど、我々が住んでいる世界っていうのは、目に見えるものだけじゃないってことだよね。ルドンはヨーロッパ人でキリスト教の文化で育っているから、悪魔が出てくるけど、日本にも幽霊や妖怪がいるわけで、そういうものたちがいる方が実ははるかに豊かな世界なんじゃないのかなという気がするね。

高山: 今回もチラシの裏にこの作品を使うにあたり、インパクトがあっていいという派と、気持ち悪いという派に分かれました(笑)。

山川: この時代にこんな絵を描くって言うのは、はっきり言って革命だよね。実は我々が考える以上にキリスト教って強固で、日本人が考える以上に束縛があって、絵画って言うのは、聖書の世界っていうのは実在したんだっていうことを一般大衆に知らしめるためのもので、すべて聖書のプロパガンダって言っても過言じゃない。それ以外に価値のある絵は肖像画ぐらいだったんだけど、そこでクールべという人が出てきて名も無い人々の自然な営みを描いた。それって革新的なことだったんだけど、ルドンが出てきたのは、そういう時代のちょっと後ぐらいのものでしょ。だからこういう世界をあの時代に描くって言うことはやっぱりものすごく冒険だし、もしかしたら世界全体を敵に回さなきゃならない仕事だったかもしれない。今となってはうかがい知ることは出来ないけど、おそらく相当のエネルギーだったんじゃないかな。

中根: 今もテクノロジーは進化し続けているけれど、当時はもっと大きな波だったんでしょうね。今、画家で新幹線や携帯電話やパソコンの新型をモチーフにする人はいないじゃないですか。でも、当時は蒸気機関車や気球そのものがモチーフとして存在しえたわけですよね。

山川: 面白いのは、ルドンは幻想的な作品を描くんだけど、やっぱりどこか具象なんだよね。そこだけは印象派の画家と一致していると思う。印象派の画家は、それこそ携帯電話を持っていて打ち合わせしているんじゃないかって言うぐらい(笑)、全員が後半は抽象の一歩手前までいくよね。モネにしてもセザンヌにしてもゴッホにしても、ぎりぎり抽象のところまでいくのに、自然、いわば神を最後まで否定しなかった。そこはルドンも同じだったんだなって。一枚ぐらい抽象があるかと思って作品を観たんだけどなかった。花の絵にしても、花瓶が宙に浮いているけれど、それでも花瓶であり花であり、抽象にはなっていないんだよね。逆にそのラインをまたがないことによって、エネルギーを出そうとしたのかなという気はしたね。

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