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今月のゲスト:永田欄子さん@スーパーエッシャー展


ID_020: 永田欄子さん(「LUNCO(ランコ)」オーナー)
日 時: 2006年12月1日(金)
参加者: 宮澤政男(Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員)
ギャザリングスタッフ(中根大輔、高山典子、海老沢典世)

PROFILE

永田欄子(ながた らんこ)
布と玩具のお店「LUNCO(ランコ)」のオーナー。幼い頃から作ることが好きで、絵を描くことやガラス制作に熱中。ガラス作りのヒントを探しに出かけた骨董市ではぎれに出遭い、古い布に魅せられる。日本の染色の楽しさを多くの方々と分かちあいたく、面白いものを求めて今日も西へ東へ奔走中。著書に「LUNCOのオモシロ着物柄」(マーブルトロン)がある。
2007年1月27日(土)AM11:00~ 池袋東武10Fにてトークショー「LUNCOの早春私色」(参加無料)
WEBサイト:LUNCO(ランコ) http://www.lunco.net/


『職人としてのエッシャー』


海老沢: 今回の「スーパーエッシャー展」いかがだったでしょうか。

欄子:私は1970年代に日本で開催されたエッシャー展を見ているんですが、今回の展覧会は、その時に見たのとは全然違う印象を受けました。今でこそ世の中にエッシャー作品やエッシャー的な世界に触れる機会は普通にありますが、当時はまだエッシャーの作品がほとんど知れ渡っていない頃で、彼の創り出す世界は本当に新鮮で衝撃的でした。見終わった後、自分が2次元にいるのか、3次元にいるのかわからなくなるような感覚に陥り、動けなくなった記憶があるぐらいです(笑)。今回は、初期の作品から時系列で並んでいて、さらにいろんな解説や読み解きが用意されているので、どちらかというと、作品の面白さ以上にトータルとしてエッシャーという人物に非常に興味がわきました。謎めいた部分も多いんですけれど、彼の“技”の凄さが改めて理解できたのもよかったです。

海老沢: 欄子さんがご覧になったのは、1976年に西武美術館で行われた展覧会ではないかと思いますが、その当時エッシャーを見た人にとっては本当に衝撃的だったでしょうね。私たちは教科書でエッシャーを目にしている世代なのですが、お客様の中で本当に若い方だと初めての方も多いんです。だからそういう方たちは、おっしゃるようにやはり大きな衝撃を受けていると思います。アンケートの中に「見終わった後にめまいがした」と書かれた方もいらっしゃいましたから。

宮澤: 実際、エッシャーという人物については、まだまだ解明されていないところが多いと思うんです。今回も、プレスリリースや図録など、いろんなところに文章を提供したんですが、やっぱり正則分割のような数学的な構図からだまし絵的な作風に移るところがわかるようでわからない。いろんな要素が垣間見えてはいるんだけれど、決定的なものがなかなか見えてこないんですよね。

中根: 僕は、“わからない”という意味では、エッシャーが数学的な構造を持った作品を版画で作り続けたこと自体が不思議なんですよね。例えば、僕は手ぬぐいが好きなんですが、手ぬぐいの柄で江戸時代からあるようなものの中には、職人さんの身近にある工具なんかをモチーフにした素晴らしいデザインのものがあるんですよ。そういうのを見ると、花とか風景とか、最初から美しいものをただ美しく見せるということじゃなくて、自分達の身の回りにある普通のものから美を生み出すような、職人魂みたいなものを感じることがあるんです。エッシャーも職人気質のところはあるとはいえ、そういった作品そのものには特にメッセージめいたものがあるわけでもなさそうだし。

宮澤: メッセージじゃないかもしれないけれど、正則分割や円の極限のような構造は、後から数学者とか研究者が発見するわけだよね。だからエッシャー自身はあまりそういうことを深く意識せずに、淡々とやっていたのかもしれないね。

欄子: 今回の展示では、ところどころに彼の遺した言葉が展示されていましたよね。私はその中の「世の中は一見混沌としているように見えるが、実はとても秩序立っていて、規則正しいもので形作られている」という言葉に何かヒントが込められている気がします。他の言葉もどれも表現力豊かで詩的なんですが、特にこの言葉にはいろんな意味が含まれているような感じがするんです。おそらく彼は、秩序や規則から立ち表れるものを解明したり、その解き明かす過程をみんなと分かち合ったり、そういうことを考えていたんじゃないでしょうか。結局私たちは生命の成り立ちについてもよくわかっていないですよね。だから使われているモチーフに動物や昆虫などの生命体が多いのも何か意味があるのかもしれない。そういう深さを感じさせながら、それでいてその動物や昆虫達が本当にユーモラスでかわいいところがエッシャーの良さでもあると思います。どれもただ単にデザインや図案としてではなく、とても生き生きと描かれていますよね。遺作となった蛇も、信じられないほど美しい。

高山: 私もその言葉にはすごく引っかかるものがあって、何か特別な思いが込められているのかなと思って作品を見ていました。世の中の成り立ち、人間の神秘性、本当に広がりがあっていろんな意味が読み取れる言葉ですよね。

欄子: 何かを表現したり伝えたりするためにはいろんな過程があって、そのいかなるシーンも等しく大切にすべき尊いものだと思うんですよね。それは私のたずさわっている古い着物の世界においても同じで、もの作りに関する作業だけでなく、例えば会社であれば経営や営業もそうです。どれも同じぐらい大事です。それらトータルでのあり方が表現だと思うんです。エッシャーの作品や、彼の風貌に言葉、そういったトータルな要素から浮かび上がってくるものって、美しさや深さを感じさせるんですが、決して権威や名声を求めているのではなくて、作業そのものを楽しんでいる、そんな職人的な姿勢が伝わってくるところも素敵だと思います。

宮澤: そもそも版画を選んだ時点でヨーロッパではメジャーになれないんですよね。ヨーロッパにおける芸術のヒエラルキーというのがあって、まず建築が一番上。ついで彫刻、絵画、中でも油絵ですよね。でグラフィック、さらにその下が陶芸。日本では全然違うけれどね。だからエッシャーが最初からそういう方向を選んだとうのは、確かにそういうことには無頓着だったんでしょうね。もちろん、絵で身を立てようとしたこともあったんだけれど、だんだん変な方向にいっちゃった(笑)。職人的っていうのはまさにそう思うんですけど、さっきの手ぬぐいの話もそうだけど、職人さんが模様を作るときって挑んでますでしょ。そういう姿勢って日本的な感じがするんですよ。語弊があるかもしれないけれど、模様って実用的にはなくても困らないもので、それを一生懸命作っているわけだから。そういう職人的なところが日本で受ける理由の一つかもしれませんね。

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