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今月のゲスト:杉浦 幸子さん@ベルギー象徴派展


ID_013: 杉浦 幸子さん(ギャラリーエデュケーター/プログラムコーディネーター)
日 時: 2005年5月12日(木)
参加者: ギャザリングスタッフ(鷲尾和彦、中根大輔、海老沢典世)

PROFILE

杉浦 幸子(すぎうら さちこ)
ギャラリーエデュケイター/プログラムコーディネーター
京都造形芸術大学、佛教大学、武蔵野美術大学、女子美術大学非常勤講師
1966年 東京都生まれ。
1990年 お茶の水女子大学文教育学部哲学科美学美術史専攻卒。
1994年 ウェールズ大学大学院教育学部修了。
1995年 よりインディペンデントのギャラリーエデュケイターとして活動。
2001年 「横浜トリエンナーレ2001」教育プログラム担当。
2002年 森美術館パブリックプログラムキュレーター。

2004年

鑑賞ワークショップやギャラリートーク、シンポジウムなどアートや美術館を利用したエデュケイションプログラムの企画・実施、美術館のエデュケイションシステムの構築、評価などに携わる。
共著『ミュゼオロジー入門』、『ミュゼオロジー実践篇』(武蔵野美術大学出版局)


『時代が象徴するもの』


海老沢:今回の「ベルギー象徴派展」は、いかがでしたでしょうか?

杉浦:私の中ではベルギーの象徴派というと、クノップフが思い浮かぶぐらいなんですが、今回もっと幅広い人たちの作品を見ることができて面白かったですね。私がアートを見るときに興味を引かれるのは、その作品を作らせた時代背景や、描いているときの作家の気持ちなんですね。作品によっては、何でこの人はこんな風に描いちゃったんだろう?みたいなのもありましたが、やはり時代というものが少なからず影響しているということなんですね。微妙な色合いとか人物のいない室内画とか、ああいう作品を描くときの画家の心理って本当に興味深いですね。そもそも象徴派の人たちって一体何を象徴したかったのかっていうことも不思議ですよね。

海老沢: そうなんです。今回の展覧会に関して、象徴派の時代的な定義は説明できるんですけど、じゃ展示されている絵は何の象徴なんですか?とずばり聞かれると、それはすべて画家の内面から出たものですから、明確に説明できないんですよね。それぞれのエピソードが残っていない画家も結構多いんです。なので、私たちもそうですし、お客様にも、残された絵と対峙して読み取ったり、感じ取ったりしていただくしかないのかなと。例えば、骸骨があるというのは死をイメージしているとか、その辺りまではお答えできますけど、レオン・フレデリックの「キャベツを持つ少女」を見て、何でキャベツを持っている女の子を描いているの?と問われるとさすがに...。(笑)。

杉浦:でも、そういう風に、何でキャベツなのかな、って考えることって「アート・リテラシー」、つまりその作品を読み解くことにつながっていくと思うんですよ。例えばこれがジャガイモだったら、ゴッホにもジャガイモを食べる人たちを描いた作品があったなって考えることも出来ますよね。「アート・リテラシー」では、まずちゃんと観察するっていう事が大事です。絵にはやはりその時代の雰囲気がすごく出るし、その時代が画家の心理的にも影響を与えると思います。その結果、画家の個人的な感情や歴史が作品にいろんな形で反映される、そういうことを読み解いていくのは、とても面白いと思います。

中根: 象徴派の時代って、以前開催された印象派とほぼ同時代ですよね。印象派の人たちもやりたいようにやっていて前衛的で面白いと思ったんですけれど、今回もみんな意外といろんな素材を使っていますよね。驚いたのは、墨を使っている人もいること。あと、ロップスの「漂着物」という、ドクロをモチーフにした作品で文字が入ってるものがあるんですが、これって、ロック・フェスティバルのちらしみたいですよね(笑)。僕は象徴派というのはよく知らなかったんですが、何でもありな感じだし、思ったよりファンタジックな作品が多いことにも気づきました。

海老沢: そういう意味では今回も展覧会の名前のつけ方に苦労しました。最終的にはベルギー象徴派展というストレートなネーミングに落ち着きましたが、最初はそれだとベルギーという国や象徴派という存在を知らない方だと少し入りにくいかなという危惧もあって。かといって「世紀末絵画展」とか言ってしまうと、世紀末という言葉の持つミステリアスな印象が強すぎますしね。
ファンタジックで美しい作品もたくさんありますが、フレデリックのような最終的に「我教」的な世界に入って行ってしまった人の作品も見ていただきたいし、難しいところです。

杉浦:いろいろ見ている中で、フレデリックっていう人の作品って面白いなと思ったんですけれど、我教的ってどういう意味なんですか。

海老沢: これは、自分の狭い世界にのめり込んでいったフレデリックの世界観を表現するのに、うちの学芸員が作った造語なんです。フレデリックは、最終的には結構ロリコンというか、もっと深い世界に入っていってしまった人なんです。

杉浦:ああ、なるほど。最初彼の「聖三位一体」という絵を見たときに、描かれているのは子供たちなのに、胸が少し膨らんでいるのを不思議に思ったんですよ。ひょっとしたらそういう嗜好がこの絵の中にも表現されているのかもしれませんね。後、「アトリエの内部」という作品もそうですが、骸骨を持っているんですけど、自分が脱いだ洋服や靴をちゃんと整頓してあって、現実と狂気が一緒になっている感じですよね。常人にはない力を感じますね。

鷲尾: 僕は1回だけベルギーのアントワープっていう街に行ったことがあります。現代のベルギーを垣間見た経験が少しだけある。その時のことを思い浮かべながら、この展覧会を見ていたのですが、やはり気になったのは、当時の画家たちは一体どんな風景を見ていたんだろうとか、どんな顔をして歩いていたんだろう、みたいなことでした。でも意外と今の風景とも違わないところもある。アントワープは古い面影を残しているところもあるし。象徴派の人たちが活動していたのはちょうど100年くらい前ですよね。その100年の差というのは何だろうかと考えましたね。

杉浦:私もそう思いました。ちょうど私が生まれた年の100年前に生まれた画家がいたりして、この100年という時間に一体何が変わったのか、そしてそれにはどういう意味があるんだろうって。だから展覧会に来るといつも、タイムマシンがあればいいのに、って思うんです(笑)。

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