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今月のゲスト:日和 聡子さん@グランマ・モーゼス展


ID_011: 日和 聡子さん(詩人)
日 時: 2005年1月4日(火)
参加者: 宮澤政男(Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員)
藤江千恵子(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)
ギャザリングスタッフ(中根大輔、海老沢典世)

PROFILE

日和 聡子(ひわ さとこ)
詩人。1974年9月27日、島根県邑智町(現在は美郷町)に生まれる。立教大学文学部日本文学科を卒業。2001年3月、詩集『びるま』『唐子木』(ともに私家版)刊。2002年、『びるま』にて、第7回中原中也賞を受賞。新版『びるま』(青土社)刊。「新潮」2004年7月号に、小説「瓦経」、同12月号に「鼠山」を発表。最新刊は、2004年11月刊の『風土記』(紫陽社)。


『記憶の中の風景』


海老沢:日和さんはグランマ・モーゼスが大変お好きと伺ったんですが、最初はどこでお知りになったんですか?

日和:おそらく東京富士美術館で「ご褒美で買ったもの」という絵を見たのが最初だったと思います。グランマ・モーゼスの作品って、どれもすごく広い構図で描かれていて情報量が多いですよね。だから一枚の絵の中に人や動物がいっぱいいて、視点をちょっとずらすとそこでいろんなドラマが見て取れるところが面白いと思うんです。
あと、彼女の絵を見ていて不思議に思うのは、絵に温かみがあると同時に客観性があるというところなんですよね。グランマ・モーゼス本人が絵の中にいるのかいないのか、そのあたりが微妙なんです。ひょっとしたら本人がいるのかもしれないけれど、もしそうだとしてもそれをほとんど意識させない描き方をしているんじゃないかなと。そういう風に “自分” というものに固執しない、突き抜けた感じがすごくいいと思うんです。

藤江: 展覧会には彼女が絵を描く時に参考にしていた新聞の切抜きとか写真とかいろんな資料も結構展示されていましたよね。実際に見ながらというより、そういう資料を参考に再現した部分が多いということもあるのかもしれませんね。

日和: 資料をもとにして絵を描いていたというのは、展覧会を見て初めて知ったので驚きましたね。

宮澤: そういう資料を参考にした部分っていうのは、それなりにちゃんと描いてあるけれど、それ以外のものというのは、いわゆる正確な描写というものじゃないと思うのね。そういう彼女独特の表現の仕方が、ほのぼのとした味わいにつながっているような気がするよね。細かな描写がどうこうというよりも、全体としてすごくまとまっている。

中根: 個人的には、絵を描く前にやっていたという刺繍がすごいと思いましたね。樹木の描写とかがすごく細かくて。刺繍って絵に比べると子供の服やかばんにやってあげるようなイメージもあるし、グランマ・モーゼスの絵もひょっとしたら、もともと伝えたいものとか描きたいものがあったというわけではなくて、子供のため、孫のためにやってあげていたものの延長で、だから温かみとか優しさとかを感じさせるのかなあと思いました。画家という以前にそういう視点を感じさせるところがすごくいいなあと。

宮澤: 最初のうちはそういう気持ちでやっていたかもしれないけれど、やはりある程度作品が認められてくると、やはり画家としての自覚みたいのが出てきたんじゃないかと思うけどね。でなかったらこれだけの数の作品を残せないんじゃないかな。

日和: 絵の中の世界は、自分が住んでいたことのない場所だし、自分が育ったところとは空気や気候も違うはずだとわかっているんだけど、自分が昔触れていた風とか光とか、そういう感覚が呼び覚まされる気がするんです。それは私が田舎で育ったという事も関係していると思うんですね。だから、例えば東京で産まれて育ったような方だと、どう感じられるのかなって。

宮澤: 僕は東京で生まれ育ったけれど、やっぱりこういう風景は無いよね。覚えているのは駅前の人通りとかデパートの中の雑踏とか。そういうものだよね。そもそも彼女の作品に描かれている風景というか情景がすべて現実だとは思わないけど、実際結構起伏のある土地に住んでいて、高台のようなところからパノラマ的に見下ろす風景には何度も出くわしたのは事実じゃないかなあ。東京にいるとそういうのはあまりないよね。東京は坂が多いからまだそれなりに高いところはあったけれど、広がっているのは大体屋根なのね(笑)。

海老沢: 私もそうなんですけれど、そういうのが私の場合はコンプレックスというか、そういう思い出のある人がうらやましいと思うんですよ。やはり自分の中には無い風景ですから。

中根: 僕は田舎育ちなので、もちろん自分の田舎はここで描かれているようなところではなかったけれど、小さい頃育ったところ、というような感覚でなんとなく懐かしい気分にさせられるところはありますよね。それは、ルーツがある、というような共有感かもしれないけれど。

日和: 驚いたのは、どうやら彼女は実際にいま眼前にある風景を見ながら描いているわけではないらしいということなんです。でもイメージを元に描いているから、実際に風景を見ていない人にも共感できるようないろんな要素が入ってくるし、こうだったらいいなという願望も入ってくるんじゃないかなと。私は東京に来てから田舎の良さをわかったというか、感じるようになったんですけど、東京にいる間、常に故郷の風景というのが頭の中にあって、彼女の絵はその記憶の中にある原風景としてイメージしているものに通ずるものがあると思うんです。だから、田舎で育ったことがない人にも共通する、憧れとか郷愁とかいうイメージに合わさっていくんじゃないかなと。

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