ミュージアム開放宣言ミュージアム・ギャザリング ― ミュージアムに出かけよう。ミュージアムで発見しよう。ミュージアムで楽しもう。

今月のゲスト:坂東 京子さん@生誕100年記念展 棟方志功


ID_002: 坂東 京子(ファッション・デザイナー)
日 時: 2003年12月20日(土) Bunkamuraザ・ミュージアムにて
参加者: 宮澤政男(Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員)
ギャザリングスタッフ(中根大輔、高山典子、海老沢典世)

PROFILE

坂東 京子(ばんどうきょうこ)
徳島県生まれ。従来呉服の分野に限られていた藍染を、最も早く洋服素材として取り入れたファ
ッション・デザイナー。
1971年古藍染に魅せられ、第1回コレクション「藍を斬る」を開く。以来、故郷徳島(阿波藍の
本場)の藍染師、全国の染師の協力を得て、毎年「藍」をテーマにしたコレクションを発表。
ショーの会場は、由緒ある日本庭園、能舞台、神社などから、最近では若い人にも藍を身近に感
じてもらえるよう六本木のカフェテラスやビストロなどでも開催。会場の持つ個性と藍の服の雰
囲気が幻想的な相乗効果を生み出し、好評を博している。

坂東さんの作品コレクション

坂東さんの公式HP


『はみ出した“美”』


海老沢: 今回のギャザリング企画のために、(棟方志功展を)すでに何度かご覧いただいたようですが、いかがでしたか?

坂東: 実は今日でもう4回目なんですけど、この前見たときに、ふと「これは絶対ゴッホじゃなくてピカソだ」と思ったの。彼はゴッホになりたかったのかもしれないけれど、ピカソだなーって。だって生きる喜びというか力がみなぎっているじゃない。それはきっと人間誰もが持っているものだし、求めているものだと思う。ひょっとしたら、上手にいいもの作ろうなんていう気持ちは無かったんじゃないかしら、この人。

宮澤: 彼の言う“ゴッホ”の意味するところは、イコール「油絵」であったり「西洋美術」であったりするわけで、確かにもっと大きな存在を感じさせる作品ですよね。ただ、一見素朴な感じを受けますけど、芸術家としての野心みたいなものは結構あったみたいですよ(笑)。どちらかというと一般的な棟方志功のイメージというのは、即興的にすごいスピードで板を彫る人、みたいな感じなんだけれど、今回の展覧会では、実際は結構下絵なんかも作っていて、緻密に計算されていたんだよ、っていうことも見せているんです。志功はテレビなんかにもよく出ていて、東北弁でそのまま喋ったりしていますが、そういうのも彼特有のサービス精神によるものじゃないかという気がするんですよね。

坂東: もちろん計画性がないとこれだけのものは残せないでしょうね。でも、そういった計算されたものでありながら、その枠の中に収まりきらない、逆に言うと収まりきれないものを収めているような気がするんです。私なんかからすると、予想外のところに花の図柄があったりしてね。本当に一つ一つの作品に無限大とでも言うような広がりが感じられますよね。

中根: 志功について書かれた本にあったんですが、1959年にロックフェラー財団とジャパン・ソサエティーに招かれて渡米した際、アメリカに着いて最初に志功が発した言葉が「アメリカには鮭はありますか?」だったらしいんです(笑)。彼は鮭を食べないと力が出ないので、開口一番そう訊ねたらしいんですね。これなんか、いかにも純朴な志功らしい人間味溢れるエピソード、と思えますけど、その質問を受けたジャパン・ソサエティーのアメリカ人にしてみると、シャイな日本人には珍しく自分の欲しているものを明快に述べられる、ストレートでオープンな人だと。この話一つとっても、志功の人間性がすでに当時の日本人の枠を越えていたという感じがしますよね。

坂東: まさに“人”そのものであって、どこそこの国の人というかいうことではないんでしょうね。そうなるともう地球規模よね。

高山: この前、坂東さんのファッションショーを収めたビデオを拝見したんですけれど、見終わった後に地球規模を超えて、さらに宇宙を漂っているような安堵感みたいなものを感じたんです。映像を通して見ただけでそこまで感じられるわけだから、実際にショーを見た人や坂東さんのデザインした服を着ている人はもっと強烈に伝わってきたのだろうなあと。なんというか、すごくスケールが大きくておおらかな感じがしたんです。

坂東: ありがとう。身に余る評価ですけど嬉しいわ。このところ宇宙をテーマにしているので、わかっていただけて…。

海老沢: 坂東さんが日本古来の藍染に着目して、ファッションの世界に取り入れたのが30年前ということですが、そのきっかけは?

坂東: よく聞かれるのですが、もともとうちは徳島の呉服屋で、幼い頃から日本の織物や、染物が身近にあったの。でも、その良さに気づかず、ヨーロッパ文化にひかれて、親が引き留めるのも聞かずに、東京に飛び出して来た(笑)。そして、銀座のオートクチュール店で、デザイナーとして働いているときに、イタリー製の生地の中に、日本の柄がそっくりプリントされているのに出会ったの。白地に紺の菊唐草のモチーフのね。で、それを舶来品だというだけの理由でいい気になってお客さまにお薦めしている自分に気がついたとき、もう本当に恥ずかしかった。それからなの、日本素材に目を向け始めたのは。まだ、20代だったわね。日本の伝統布を知ろうと、京都に行って西陣織と友禅染を見学した帰り、ふと立ち寄った骨董品屋で、古い藍染布に出会ったのよ。江戸時代の油単にね。それは150cm×150cm位の大きな布で、真ん中に大きく小槌車の家紋が紺地に白くスパっと染め抜かれていて、その大らかさというか、ダイナミックさに、思わず「私、これ!」と口走ってしまった。それは私の求めていた素材、私の感性に“ドン”と響いてきた表現だったのね。実際、今日の染めや織は、緻密過ぎて、私の肌には合わないなあ、と思いながら退散するときに出会ったからねえ。
不意に幼い頃の記憶が呼び覚まされて、その店の女将さんに「これ、ひょっとしたら、徳島の藍染じゃないですか?」って聞いたら、「あんたはん、お若いのによう知ってますなあ」って言われて。で、それをきっかけに徳島に帰る機会が多くなるんだけれど(笑)。

宮澤: たまたま出会ったのは京都だったけど、発見したものは京都のものではなくて、生まれ育った土地の産物だったんですね。やっぱり何か引き付け合うものがあったんでしょうね。棟方志功も東京に出て民芸運動をやっている人たちと交流するけれど、最後には青森に帰ってくる。何か坂東さんの辿ってこられた道と似ている感じがしますね。

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