ビニールの城

伝説のアンダーグラウンド演劇が30年の時を経て蘇る! 美しく、悲しい、〝へだたり″愛の物語――!!

あたしは ビニールの城で待っている
真昼に春を売る店の その向こうにひるがえる
スカートのような お城でと―

演出:蜷川幸雄が(平成28年5月)永眠いたしました。
病床に台本を持ち込み、上演に向け意欲を燃やしていましたが、叶わぬこととなりました。
しかし、蜷川氏が信頼をおき、また、氏への敬愛の念が強いキャスト・スタッフが集結をしています。
演劇にその人生を懸け走りぬいた蜷川氏へ、追悼の意を込めて、蜷川幸雄監修作品として上演いたします。
どうぞ、ご期待ください!

POINT見どころ

5月に永眠したシアターコクーン芸術監督・蜷川幸雄。80歳を迎えての逝去ではあったが、志半ば、と言いたくなるほど精力的に刺激的な舞台を生み出し続けていた。その魂を受け継ぐ為には、立ち止まってはいられない…! 蜷川が敬愛の念を隠さなかった唐十郎の傑作戯曲。監修に蜷川幸雄、演出は金守珍が引き受け、蜷川幸雄追悼公演として、上演することが決定した!
主人公の青年【朝顔】に森田剛。生身の人間とは接することができない繊細な内面を、数々の演出家や映画監督に渇望されるその演技力でくっきりと描き出すであろう。儚さと烈しさを併せ持つヒロイン【モモ】に、近年の蜷川作品のミューズである宮沢りえ。まさに、蜷川の熱い魂を身近に強く感じてきた二人が唐流ラブストーリーに息吹を吹き込む! そして、その存在感に蜷川も注目をし、初仕事を楽しみにしていた荒川良々が狂気を感じさせるほど一途な男【夕一】役に挑む。他にも、映像分野でも大活躍の江口のりこ、舞台に奥行を与えるベテランの六平直政、石井愃一など、強力な布陣が揃った。
出演者としても名を連ね、この事態に、急遽演出を手掛けることになった金守珍。唐十郎と蜷川幸雄、両虎を師とし、アンダーグラウンド演劇に真正面から取り組み続けている、生粋の演劇人である。その強烈な個性で俳優としても蜷川の信頼が篤く、森田剛と寺山修司作『血は立ったまま眠っている』で。宮沢りえとは唐の『下谷万年町物語』『盲導犬』で各々、共演している。「演出を依頼されたからには、蜷川さんはこうしたかったであろうとイメージし、そこに向かって全力で進むしかない。」と、固い決意で、蜷川への熱い想いを持つキャスト・スタッフと一丸となり挑んでいく! 追悼の念と演劇への情熱が溢れる舞台に、期待が高まる。

STAFF&CASTスタッフ&キャスト

演出
金守珍(キム・スジン)

蜷川スタジオを経て、唐十郎主宰「状況劇場」で俳優として活躍。蜷川と唐というアングラの代表とも言うべき演出家から直接に指導を受ける。87年、日本の演劇界に失われつつある物語の復権を目指して新宿梁山泊を創立。旗揚げより演出を手掛け、海外公演も積極的に行っている。アパートの地下部分を劇場に大改造した<芝居砦・満天星>やテントで作品を上演し続けるその姿勢は他の追随を許さないエネルギーに溢れ、注目を集める演劇人である。

  • コメント
     

     蜷川さんの訃報を聞き、あぁ、とうとうその日が来たのかと、全身の力が抜けた。それは14年前に父を亡くした時の感覚と、とてもよく似ていた。
     演劇を志した若い頃、初めて蜷川さんが演出する『オイディプス王』を見て、これほどダイナミックな表現をする日本人がいるのかと激しい衝撃を受けた。そこで私は「蜷川教室第一期生募集」の告知を見つけた時、迷わず応募した。
     教室で蜷川さんはしきりに「おまえら、唐十郎の状況劇場を見て来たか!」と檄を飛ばし、エチュードでは『盲導犬』が使われる。その台詞に感動を覚え、状況劇場の『ユニコーン物語』を見に行くと、意味はよくわからないがなぜか体がカッと燃え上がった。その後『近松心中物語』や『ノートルダム・ド・パリ』『ロミオとジュリエット』の舞台に立たせてもらったが、熱気をはらんだテント芝居が忘れられない。そこで『ロミオとジュリエット』の楽日に帝国劇場の屋上で打ち上げをしている時、蜷川さんに「しばらく状況劇場で修行し、成長して帰ってきます」と宣言した。1979年夏のことだ。
     翌日から毎日唐十郎の稽古場に押しかけ、6日目にやっと本人にお会いでき、「丁稚奉公をさせてください」と直談判。そこから研究生以下の「飼育生」としての生活が始まる。私は唐さんの小説を芝居化したりするなかで徐々に認められ、異形の役をもらえるようになった。たまに状況劇場を見に来る蜷川さんからは、「おまえ、がんばっているな」と声をかけてもらった。
    1987年、唐さんの『少女都市からの呼び声』を自ら作り上げたいと思いから、新宿梁山泊を旗揚げした。旗揚げ当初は在日コリアンをテーマにした作品が中心だったが、満を持して唐十郎の作品を演出。以来、今に至るまで唐作品に取り組み続けている。
    私は演出家としても、役者としても、若い日に蜷川さんから教わったふたつの言葉を自分の座右の銘としてきた。そのひとつが「幕開き3分勝負」。日常を背負って劇場に来た観客を、3分以内に日常から引き離さなくてはいけない。その仕掛けをいかにつくるかが、演出家の重要な仕事だ。もうひとつが、「役者は一生自分の言葉を持つな。そこに悲惨と栄光がある」。役者は自分の生理で台詞を変えてはいけない。作家の言葉を完全に消化する、精神と肉体のタフさを持たねばならない。そしてスペクタクルな演出も、蜷川さんから学んだ。
    蜷川さんが演出する寺山修司作品『血はたったまま眠っている』に役者として出て呼ばれたのは、6年前のことだ。公演中、「僕の演出は、すべて蜷川さんからもらったものです。僕は蜷川さんの弟子でいいですよね」と言ったら、蜷川さんはすっと手を出して私に握手を求め、「ありがとう」とひとこと言ってくれた。その瞬間、涙があふれ出て止まらない。5年くらいで戻るつもりでアングラの世界に修行に出て、実に31年。放蕩息子はやっと演劇的父の懐に戻ってくることができたのだ。
     蜷川さんはもともとアングラ演劇から出発し、商業演劇で「世界の蜷川」となった。だが常に、アングラ演劇への強い思いを持ち続けていた。テントという子宮の中に咲く闇の花は、大きな劇場の光の元でも決してその魅力を失わない。そのことをダイナミックかつ繊細な演出で、私たちに見せてくれた。
    晩年はもう一度アングラと向き合い直したいという思いから、唐十郎や寺山修司の作品をたてつづけに演出した。そんな蜷川さんがどうしても手掛けたかったのが、唐十郎の『ビニールの城』だ。それだけ思いの深い作品だった。その願いがかなう前に逝ってしまったことは、本当に悔やまれてならない。
     私はこの作品に役者としてキャスティングされていたが、蜷川さんが入院したため、演出を手助けできないかと考えていた。だが、それは叶わなかった。演出を依頼されたからには、蜷川さんはこうしたかったであろうとイメージし、そこに向かって全力で進むしかない。
     蜷川さんの死によって、アングラ1世代は確実に終わろうとしている。アングラ芝居は一種の風俗として始まり、世界に誇る日本の演劇文化として育っていった。この文化をしっかり定着させ、次代につなげていけるかどうかは、私たち2世代目、3世代目にかかっている。演出家・蜷川幸雄が最後まで抱き続けた、劇作家・唐十郎への敬愛の念を、なんとか形にしていきたい。この2人のエッセンスを後世につなげていくことが、私の使命だと思っている。

    2016年5月16日
    新宿梁山泊代表  金 守珍

  • 略歴
     

    金 守珍(キム・スジン)

    演出家・蜷川幸雄に師事し、蜷川スタジオに所属。『近松心中物語』等に出演し、演劇の基礎を学んだ。78年より唐十郎の状況劇場に参加し、独自の表現スタイルであるテント演劇のノウハウを獲得し、その後、87年に新宿梁山泊を創立。89年には小劇場として初めて韓国三都市公演を行う。第17回『テアトロ演劇賞』を受賞。その後も、ドイツ、中国、韓国などに招聘され、高い評価を受けた。叙情的ノスタルジアを呼び起こす濃密な舞台空間を創造する手腕。エネルギッシュ且つ強烈なビジュアルを印象付ける演出力に高い評価が集まっている。また演劇公演以外にもロックコンサート、韓国伝統音楽会各種イベント、デザイン博覧会などの演出をはじめとして様々な芸術活動を行っている。