8月の家族たち August:Osage County

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2016.05.11 UP

【コラム】本日の家族たち Vol.6

ヤケド覚悟で人生を笑え!

開場してロビーに張り出された〈3時間15分(休憩2回)〉という予定上演時間を見て「う……」とひるむ反応がチラホラと。まぁそうかもしれない。KERA作品を見慣れていれば想定内とはいえ、「せりふだけのストレートプレイ、しかもホームドラマで3時間超え??」と思うのも無理はないだろう。だが、実際の体感時間はせいぜい半分だ。まったく長さを感じさせないから騙されたと思って観てほしい。もしも映画版を観て「母娘たちの罵倒合戦がしんどかった……」という印象を抱き、それを理由に舞台版を観ることを躊躇しているのだとしたら、それはもったいなさすぎると声を大にして叫ぼう。芝居としての圧倒的な面白さ。とにかくこれに尽きる。『8月の家族たち』は、紛れもなく極上のコメディだ。



物語の内容はとことん痛烈でシリアスである。病気でヤク中で認知症も入りかけの毒舌母と、老いゆく親の面倒を誰がみるのか牽制しながら実家と距離を置く三姉妹。この設定だけでもある程度年齢を重ねた大人は身につまされてしまうが、そんな女たちを残して姿を消した父親の事件をきっかけに、それぞれのパートナーと叔母夫婦が母の住む家に集結する。彼らが抱える秘密(時に爆弾級)が徐々に暴かれ、本音はむき出しになり、仁義なき家族バトルに発展していくという展開だ。13人という家族劇にしては多く思える登場人物の、誰一人として欠けても成立しない。割かれる時間の長短はあれど、 それぞれに深度のあるドラマが用意され、しかもそれぞれが冗長にならず簡にして要。キレよくテンポよく畳み掛ける展開に、集中力がダレる隙間は一切なし。 スパッと潔い転換もメリハリを生む。むしろ休憩が入るたびに、客席が前のめりにこの崩壊寸前家族の行方に惹き付けられていく空気が肌で感じられる。芝居が進むにつれ客席の笑いも波状をなし、3回に及んだカーテンコールでの拍手の厚みが満足感の証明だ。



そんな事態を笑っていいのか、というヘビーな会話や場面が続くのだが、「ヘビーなのに笑える」、いや「ヘビーだからこそ笑える」、この凄さに唸ってしまう。突拍子もないキャラクターがいるわけでも、ナンセンスなギャグが繰り出されるわけでもない。けれど炸裂する本音が、見透かされた嘘が、不都合な真実が、都合のいい言い訳が、痛すぎる自意識が、理不尽な逆上が、正論と感情の平行線が、ゲスな欲望が、中年期の自虐が、いい大人の取っ組み合いの大ゲンカが、いちいち笑えて仕方がない。トレイシー・レッツによる練り上げられた脚本の妙に、群像劇コメディの名手KERAの細部までゆるがせにしない演出が息づいているからであり、コンマ単位の “間”や反応のズレ、セリフの言い回しや強弱、テンポによって、脚本に埋め込まれた笑いのツボを余すことなく捉え、さらに作者も意識していなかったであろう笑いの種を嗅ぎ取り、増幅させている。KERA自身が上演台本を手がけている点も大きい。そんなKERA演出に粒だったキャスト陣が妥協なく誠実に応えているとなれば、舞台の充実は推して知るべし。凄みと鋭さの中に大らかさと切なさが同居する麻実れいを筆頭に、適材適所の役者たちが奏でるアンサンブルを存分に堪能できる。空中分解家族を象徴する、がらんどうな家のセット(美術:松井るみ)も効果抜群だ。



脚本、演出、俳優、スタッフワークが全て拮抗する芝居の圧倒的面白さのうえで、物語から観客が受け止める切実さは人それぞれだろう。女性と男性では感じ方が大きく異なるはずだし、女性であればとても他人事とは思えず、胸にグサグサ刺さりまくる向きは多いに違いない。笑ってるそばから自分もお尻をヤケドしている。人生の酸いも甘いも知ってしまった大人のための、懐の深いコメディだ。
とりあえず今後の人生において何か不都合な真実に直面したら、「ナマズ食べろナマズ食べろナマズ食べろ」を連呼して乗り切ろうと思う。何があってもお腹は減るし、明日は来るし、生きていかなきゃならないし。何のことかわからないだろうが、まぁともかく劇場に行けばわかる。テレビ中継もないそうなので、これはナマで体験するしかない。一度観た後で、あの場面であの人がどんな表情をしていたかとか、そういえば意味深なセリフがさりげなく挟まれていたとか、後から確認したい伏線も多いため、リピートもしたくなる。いやはや、完全にノックアウトされてしまった。

 

文:市川安紀
写真:宮川舞子