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Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品 All the Winners

第6回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品

飯島耕一 著

『暗殺百美人』

(1996年2月 学習研究社刊)

選 考 中村真一郎
受賞者プロフィール
飯島耕一(いいじまこういち)

1930年岡山県生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。詩人・明治大学教授、フランス文学専攻。主な著書に『シュルレアリスムという伝説』『虹の喜劇』『日本のベル・エポック』『六波羅カプリチョス』などがある。

受賞作品の内容
「暗殺」とは?「百美人」とは何か?詩人=作家、飯島耕一の到達点、シュルレアリスム小説、奇蹟の秀作。

選評

「”前衛小説”の楽しい成功 『暗殺百美人』を推す」/ 選考委員 中村真一郎

  1996年度の「Bunkamuraドゥ マゴ文学賞」を決定する役目は小生に任された。

 この賞の特色は、毎回、その最終決定が、ひとりの個人に任されるというところにある。
 凡百の文学賞は―今日、日本全国で、五百を数える文学賞が存在するとのことであるが―そのいずれも例外なく、様々の文学的経歴と独自の文学的主張を持つ、数人の委員の合議によって決定されている。

 私自身も数回にわたって、大小様々の賞の選考委員に任命されたことがあるが、その度に私と正反対な文学的信念の持主と、私の推す作品とのあいだの調整を迫られた。

 その場合の調整作用は、容易に想像がつこうが、文学的であるより、一種の政治的折衝にゆだねられることになる。

 私のように、二十世紀小説の国際的前衛を目標としている者と、そうした主張は空虚な幻影であるとして、頑強に日常的写実に生涯を捧げている選者との、両方の好みに合う作品など在りうる筈がないからである。それは「白イ黒」をさがすようなものである。
 そこで、前衛派の私と、写実派の相手の推すそれぞれの作品は、いずれも相手の気に入らなくて、両方にとって比較的我慢のできる中間的作品が、妥協の産物として選ばれることになる。しかも五人の選者がいれば、五種類の文学的理想に対して比較的無難な作品に賞がいくということになり、選者のすべてに漠然とした不満を残すことになる。

 そうして選ばれた作品は、八方美人的で、将来に明かりを投ずるような革命的なものは皆無である。
 私は度々、最も気に入らない、私の文学的信念に反する作品が、多くの選者の間で一種の取引きによって入選したり、ある選者の強引な性格に押し切られて、私の最も望まない作品に、壇上で賞状授与をさせられたり、祝辞を述べさせられるという、道化的役割を課せられたことがある。

 そのようなわけで、大概の文学賞は、比較的無難な保守的作品に与えられることが多い。
 ところが、このドゥ マゴ文学賞は、毎回、ひとりの選者に、その選択が任せられるという。私は任命された時、大いなる満足を味わった。

 そこで、私の具体的方針としては、あくまで私の立つ文学的立揚に近いもの、できれば私の立揚を更に先に推し進めてくれるもの、を選ぶことにした。
 これは私個人の文学的趣味というようなものではなく、私自身が文明諸国の芸術的前衛の一員たろうと意図している、その戦線における文学的営みの一環のつもりである。

 それから、もうひとつの私の決めた基準は、大出版社から出された本は、選考からあらかじめ除外するという方針である。
 これは選考の初期の段階で、あまりにも数多くの、あまりにも多様な書物が私の手許に集積され、小説、評論、随想からはじめて、哲学や宗教、社会科学から自然科学に至るまでの新著のあいだで、選択の方法に閉口してしまったからである。その上、従来からの経緯を見ていると、大出版社から出ていて、広い注目を既に集めている書物―それは大出版社の見識に従って、ある高い水準にあるものがあらかじめ選ばれて世に出ているわけであり――そうした本は、各種の大文学賞なり、学芸賞なりにノミネートされる率が非常に高いので、大出版社から出たものは、数多くの賞の方に譲ろうと決め、わがドゥマゴ文学賞は専ら、世間で目立たない小出版社や自費出版のようなものから選ぶこととした。

 こうした二つの基準からして理想的な本が、手許に来ていた。それは詩人として既に著名な飯島耕一の『暗殺百美人』という小説である。
 これはわが文壇の一般常識からすれば、全く問題にもされない片隅の仕事であって、現に新聞や雑誌の書評にもあまり目立って採り上げられなかったのではなかろうか。
 前衛指向にある私が、半世紀以上にわたって抱いてきた大問題は、今世紀最大の芸術的革命である超現実主義が、小説ジャンルにおいて可能かということであった。
 文学の革新は、常に詩のジャンルからはじまり、小説に及ぶというのが昔からの常道である。
 そして、この運動の発祥の地、フランスにおいては、ブルトンやエルンストの試みに続いて、レ-モン・クノーやモーリス・ブランショによって、超現実主義小説は今や現実的成功に導かれている。日本において、ほとんどその試みが見られないことに歯がゆい思いをしていた私は、今、飯島氏のこのロマンによって、初めて日本でもこのジャンルが可能だと知り、文句なく賞をこの作品に冠しようと決めたのである。

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