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Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品 All the Winners

第11回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品

堀川弘通 著

『評伝 黒澤明』

(2001年10月 毎日新聞社刊)

選 考 小林信彦
受賞者プロフィール
堀川弘通(ほりかわひろみち)

映画監督。1916年京都生まれ。1940年東京帝国大学(東大)文学部卒業。同年東宝入社。主にクロサワ作品「わが青春に悔いなし」「生きる」「七人の侍」などの助監督をつとめた後、55年「あすなろ物語」(黒澤明脚本)で監督としてデビュー。以後、「女殺し油地獄」(57年)、「裸の大将」(58年)、「黒い画集・あるサラリーマンの証言」(60年)、「狙 撃」(68年)、「軍閥」(69年)など数々の話題作を撮る。77年「アラスカ物語」を最後に東宝を離れてフリーに。 「翼を心につけて」(76年)、「ムッちゃんの詩」(85年)、「花物語」(89年)、「エイジアン・ブルー」(95年)など主として独立プロで作品を作る。著作は、本作が第1作となる。

受賞作品の内容
「この人が書かずして誰が黒澤明を書けるか」と永年密かに言われていた第一の黒澤門下生である堀川弘通監督が遂に筆を執った。黒澤明という天才に対する熱っぽい尊敬とクールな視線で描く人間像、作品論、技術論――。まさしく第一級のクリティカル・バイオグラフィー。

選評

「『評伝 黒澤明』を推す」/ 選考委員 小林信彦

 現在、映画に関する本は、映画の最盛期よりも、はるかに多く出版されている。そして、それらの中には、過去の邦画をテーマにしたものが目立つ。黒澤明、成瀬巳喜男、小津安二郎たちの作品がその対象である。中でも、黒澤明に関する本は数が多く、俗に<黒澤本 >と呼ばれているが、それらは黒澤明を<世界のクロサワ>として、若い人が見上げる視点から書かれている。すべてがそうとはいわないが、大体はそうである。
 昨年の秋に出版された堀川弘通氏の『評伝 黒澤明』は、それらの<黒澤本>とは全くことなる秀作である。

 堀川氏は1940年(昭和15年)に東宝に入社し、間もなく山本嘉次郎監督の「馬」に演出助手として付いた。売れっ子の山本嘉次郎は「孫悟空」を「馬」と並行して撮っており、「馬」はチーフ助監督の黒澤明がB班として地方ロケーションまでこなした。
 当時の"国民映画"「馬」の撮影秘話に始まり、黒澤明の第二作「一番美しく」、戦後の「わが青春に悔いなし」、「生きる」「七人の侍」と、氏は黒澤組の仕事についた。特に「七人の侍」では、作品の構想の段階からチーフ助監督として働いていたため、この巨大な作品の進行の全体を描ける立場にいた。
 黒澤明の第一作「姿三四郎」についていないのは、堀川氏が病気だったからである。病気がちのために黒澤明の全作品につけなかったことが、この本にも微妙に影響していると思う。
 それは対象である黒澤明という天才に対する尊敬の念と、どこかクールな眼である。距離感といってもよい。熱っぽい尊敬とクールな視線が、この本の特徴である。

 この本のもう一つの特徴は、今までだれも触れなかった東宝の大ストライキの時の黒澤明の在り方を活写したところにある。だれも触れなかった、というのは、別にタブーだからではなく、評論家では内部の事情がわからなかったのである。すべてをリアルタイムで体験しているところに、この本の価値がある。
 さらに、時代はとぶが、1960年代におけるフォックス映画の「トラトラトラ」の監督辞退という事件についても触れている。
 この事件については、話に羽根がはえてひろがっているのだが、堀川氏は(さもあらん)という急所をつき、ただし、わからない部分については、はっきり不明と記している。
 <評伝>として本書が信用できるのは、自分が見ていないことは<わからない>と書いてしまう氏の態度にあると思う。
 黒澤明の言葉、貴重な技術論にいたっては、本書のあちこちにはめこまれ、あるいは散らばっているので、映画研究者、ファンは、それらにうなずくことができる。

 私ごとになるが、「馬」や「姿三四郎」「続姿三四郎」を小学生のころ、あるいは中一の時に映画館で観ている。「姿三四郎」一作で、黒澤明の名は、のちのスピルバーグなど足もとにも及ばぬほどのパワーで日本中にひろまり、「姿三四郎」を観ていない子供は仲間に入れてもらえなかった。
 それからずっと、黒澤作品を観つづけている一ファンにとって、内外の論者を問わず、従来の黒澤論はもの足りないものがあった。堀川氏のこの本が描く人間像、作品論――いずれも、私にとって、よくぞ書いてくださったと、初めて納得できるものであった。
 黒澤明の自伝「蝦蟇の油」は欧米で翻訳されているようだが、本書も欧米で読まれることを私は希望する。本書は、黒澤作品をリアルタイムで観ていなかった人々にとって、なによりガイドブックであり、氏のいう<尋常じゃない>監督の素顔、吐息を感じさせるものだからだ。
 本書が<ドゥ マゴ文学賞>にふさわしいと思う理由は以上の通りである。

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